■岐阜街道は県道14号を西川手8丁目の信号から東へ外れ、境川沿いを北へ向かいます
途中から名鉄名古屋本線の脇を北上し、茶所駅のすぐ西で中山道に合流します
■街道沿いの下川手で、和館に洋室が付属したタイプ(大正~昭和に流行)の住宅を発見
■外観はとても戦前物件には見えないくらいピカピカにリニューアルされています
■中山道・岐阜街道追分~東西に走る中山道から右手に阜街道が分岐しています
■中山道と岐阜街道は一緒になって鍵の手に曲がりすぐ北に向かいます
■旧街道の風情が残る加納宿の町並み
■この古い薬局の角で西へ向きを変えます
■薬局のかどに右岐阜・谷汲、左西京、裏側には明治18年の年号が刻まれた道標が設置されています
■名鉄加納駅南、街道沿いの商店~「コバタ」の文字に戦前の面影が
岐阜街道は加納新町で北へ、中山道は南へそれぞれ向きを変えます~岐阜街道ポタリング(3)へ続く
今年になってから自宅周辺の旧街道散策(徒歩・自転車)にはまっています。
旧街道は近世以前(江戸時代より前)の宿場町や古い神社仏閣めぐりというイメージがあり、明治~昭和の街角の風景・建築に興味のあるわたしにとって、あまり魅力的なコースには思えませんでした。
ところがためしに旧街道沿いを散策してみると、戦前~昭和にかけての近代の街角の風景が残っている地域が多く、あらためて旧街道の魅力を再認識することができました。
これは考えてみれば当たり前の話で、近世に発達した旧街道沿いの町並みは明治以降も引き継がれ、近代化の波もその地方の産業、商業、交通の拠点である旧街道沿いの町から始まったのです。
そんなわけで、旧街道沿いの町には近代建築の蓄積量も多く、現存している有名な近代建築はもちろん、 昭和40年代頃までの人々の暮らしを感じさせる街角の風景が今も随所に残っています。
以前、岐阜街道の宝江渡し~真清田神社(愛知県一宮市)の様子をお伝えしましたが、今回は宝江渡しから木曽川を渡り、岐阜県笠松町から岐阜市まで街道沿いのポタリングを楽しみました。
■今回の出発点、笠松みなと公園にある笠松渡船場跡から対岸宝江渡し跡(愛知県一宮市)を望む~右手に見えるのは改修中の木曽川橋
■笠松みなと公園の案内板~赤のラインが岐阜街道
■岐阜街道の笠松の起点になる港町~訪れた日(4月14日)はちょうど笠松春まつりの最終日で、「大名行列お奴」が待機中でした
■岐阜街道(上本町)沿いを、本まつりのオープニング新笠松音頭のパレードが進みます
■笠松問屋跡と鮎鮓街道の碑(下本町)
■岐阜街道は名鉄笠松駅西側を北上、境川を渡ると岐阜市に入り県道14号線に合流します(下の写真は合流地点の岐阜市西川手界隈)
県道14号を境川沿いに北へ走り、中仙道との合流点を目指します。 岐阜街道(2)に続く・・・
昭和40~50年代の男子の喫煙率は非常に高く、昭和41年の83.7%をピークに昭和57年まで70%台をキープしていました。
こうした時代背景もあり、煙草屋のショーウィンドウもデザインの多様化や大型化に加え、ライトアップされたタバコの看板などが設置され、時代のニーズに合わせて進化?してゆきました。
そう言えば私が大学生だった昭和50年代は、わたしも含めほとんどの学生が煙草を吸っていました。
喫茶店に麻雀にビリヤード、青春の日々を過ごした昭和の時代には煙草が良く似合います。
■枠は木製ですが、ショーウィンドウの角に丸みをつけ台座部分も大理石風です(愛知県西尾市)
■スタンダードな縦長のショーウィンドウの上部に、大型の看板を設置(愛知県岡崎市)
■枠は金属製になり看板も『TOBBACO』から『CIGARETTES』に変わっています(愛知県犬山市)
■タバコの葉?をあしらったデザイン(愛知県犬山市)
■ショーウィンドウも大きくなり、看板にはピースのマークのハトが描かれています(愛知県常滑市)
■ミッキーと同じネズミのキャラですが、トッポジージョは昭和の匂いがします(岐阜県可児市)
昔ながらの煙草屋さんには必ずあるショーウィンドウ、基本形は同じでも店によって細部のデザインが微妙に違っていて、色々なバリエーションが楽しめます。
下に紹介するのはシンプルな縦長のタイプで、年代的には一番古く、戦前~昭和30年代頃までに多く設置されたようで、タイル貼りの土台と木製の枠が特徴です。
■廃業しているのは残念ですが、名古屋市内に残る懐かしい昔ながらの煙草屋(上の写真:中区橘)
店舗の古さとタイルの『コバタ』から貴重な戦前物件と思われます
■タバコの表示が英字(筆記体)タイプ。土台の化粧タイルは渋めの煉瓦調(愛知県小牧市)
■上と同じタイプのショーウインドウですが、こちらはブロック体タイプ(愛知県江南市)
■木製枠からアルミ製に変更したタイプ(岐阜県可児市)
■廃業後かなり年数が経っているようですが、グリーン系の豆タイルが今も鮮やかです(愛知県犬山市)
どこの町にも必ずあった昔ながらの煙草屋さん、最近では自販機の普及やコンビニで手軽に煙草が買えるようになり、見かけるのは廃業した煙草屋ばかりになってしまいました。
ところで昔ながらの昭和な煙草屋さんには欠かせないのがショーウインドウです。
このショーウインドウには基本形があって、下の台にあたる部分はタイル貼り、ウィンドウの上部には必ず「たばこ・TOBACCO」などの表示があります。
ショーウインドウのなかには煙草や販促用のポスターはもちろんですが、人形や手づくりの置物など、その店独自のディスプレイがほどこしてあり、それを見るのも楽しみの一つでした。
今ではかなり貴重な存在になってしまった「昔ながらの昭和の煙草屋さん」、いつまでも街角の風景に残ってほしいもののひとつです。
■このブログのタイトルの「角の煙草屋」はこの店がモデルです(岐阜県下呂市)
■豆タイルの貼られたショーウインドウには手づくり感満載のペーパークラフトが並びます
■こちらも昭和の正統派煙草店~ショーウインドウが二つ設置されているのはかなり珍しいのでは?(愛知県一宮市)
■上部のタバコの表示も剥げ落ちたかなりの年代物ですが、白地にグリーンの装飾タイルがさわやかです
■つげ義春の漫画に出てきそうな昭和の哀愁が漂う煙草屋(愛知県碧南市)
■真ん中に一つポツンと置かれた人形が寂しそう
江南市東野郵便局となり、県道164号線沿いにある昭和の街角の雰囲気を伝える煙草屋さんです。
連子格子のある戦前の町屋の一部が改装され煙草屋になっていますが、現在は廃業している様子で、シャッターが下ろされた店の脇にポツンと残されたからっぽのショーウィンドウが寂しそうです。
煙草屋といえば昔は看板娘がつき物でしたが、いまや看板娘どころか店の奥に座っていたオババの姿もとんと見かけなくなりました。
■装飾タイルと「MISE TOBACCO」の浮き彫りの装飾がレトロなショーウィンドウ~内部にも木彫の装飾があります
撮影:2013/02/10
各務原市立稲葉東小学校の沿革を公式HPで調べてみると、創立は明治6年までさかのぼり、その後尋常小学校、国民学校などを経て、昭和38年各務原市誕生時に現在の校名になりました。
広い敷地の東側には昭和40年代に建てられたちょっと古めのRC造の校舎と、その西側には増築された新しい校舎が並んで建っていますが、校庭の南側には戦前のものと思われるかなり古い校門が現在も残されています。
校門の竣工年は不明ですが、昭和14年当時新校舎が落成しているので、校門もその当時に一緒に造られた可能性が高いと思われます。
校門は大小4本セットの脇門のある立派なもので、現在は当時の門扉の代わりに、レールの上を移動するスライド式の門扉が新設されています。
◆各務原市立稲葉東小学校校門/岐阜県各務原市前渡西町
竣工:不明(昭和14年頃?)
撮影:2012/08/05
■門柱のデザインはいたってシンプルですが、柱頭に施された幾何学模様の装飾が戦前の昭和モダンな雰囲気を現在に伝えてくれます
愛知県丹羽郡大口町を流れる五条川沿いの堀尾跡に木造下見板張りの洋風建築が建っています。
外壁は縦長の窓廻りを横板下見板張り、その下は縦張りの羽目板にして変化をつけ、窓の上下には木骨を見せる戦前の洋風下見板建築の定番様式です。
建物の中央に玄関を設けたシンメトリーな外観から、当初は公民館などの公共の建物として建てられた可能性もありますが、築年など詳細は一切不明で、現在は堀尾史蹟顕彰会館として使用されています。
大口町は堀尾一族発祥の地で、豊臣秀吉に仕え、後に松江藩主となった堀尾吉晴は特に有名で、邸宅跡は「堀尾跡公園」として整備されています。
また公園内には、小田原征伐で18歳の若さで死去した吉晴の子金助と母の物語で有名な裁断橋が復元されています。
◆堀尾史蹟顕彰会館/愛知県丹羽郡大口町堀尾跡1丁目
竣工:不詳(大正~昭和初期?)
構造:木造平屋建
撮影:2013/01/27