旧中山道太田宿に残る十六銀行太田支店として明治40年に建てられた土蔵造りの銀行建築です。
明治期の銀行建築は、その堅牢性を利用した土蔵造りが多用され、大正~昭和期になるとほとんどが鉄筋コンクリート製に変わっていきます。
明治期の銀行建築→銀行へ行こう(明治編)
■現在は住宅として使われているようです
■特注の「銀」マーク入りの鬼瓦
◆十六銀行旧太田支店/岐阜県美濃加茂市
竣工:明治40年(1907)
構造:土蔵造り
撮影:2017/06/04
加茂郡川辺町は美濃加茂市の東側に位置し、町の中央を南北に流れる飛騨川に沿って、国道41号線とJR高山線が通っています。
川辺町の中心はJR高山線の中川辺駅の東側地域で、大正期に建てられた洋風建築の旧下麻生町役場が現存しています。
現在は中川辺公民館として再利用されていますが、明治期~大正期の役所建築の定番である木造下見板張りの洋風建築らしい外観をよくとどめています。
本格的な様式建築ではありませんが、役場の建物ということで洋風建築を見よう見まねで取り入れ、細部にこだわった造りは、当時の施工者の熱意が伝わってくるようです。
◆中川辺公民館(旧下麻生町役場)/岐阜県加茂郡川辺町中川辺1-1
竣工:大正11年(1922)
構造:木造平屋
撮影:2013/05/03
■建物は太部古天神社境内、本殿の東隣に接するように建っています
■建物東側正面~全体のプロポーションは和洋折衷ながら、縦長の上げ下げ窓が洋風建築らしさを演出しています
■建物西(裏)側
■玄関の両脇に並ぶ上げ下げ窓は額縁で囲い、下にブラケットのついた窓台を設けた本格的な洋風仕様
中央の玄関は当初の東側から南側に出入り口を変更しているようです
■軒下にはブラケット(持ち送り)を配し、角の柱も額縁と同色にして柱頭にもオーダー風の装飾を施しています
八百津町から木曽川沿いの県道を美濃加茂市方面へ向かうと、、途中に可児市兼山町があります。
兼山町は対岸の八百津町とともに、木曽川水運の港町として古くから栄えた町で、現在兼山歴史民族資料館として使われている旧兼山小学校は明治18年に建てられました。
建物は木造3階建て、建設費は2千円(現在では2億円)という当時としても破格の規模で建造されました。
木曽川に沿った地形の関係で、道路側は2階、川側は3階という珍しい「懸造形式」を採用、玄関を中央に設け1階は職員室と事務室、2階は教室と講堂、地階は雨天体操場を備えた近代的な造りになっています。
※資料館内部はHPでご覧になれます→http://www.city.kani.gifu.jp/gakushuu/bunsin/rekimin/
◆兼山歴史民俗資料館(旧兼山小学校)/岐阜県可児市兼山674-1
竣工:明治18年(1885)
構造:木造3階建
撮影:2013/05/03
■建物正面~入母屋屋根、桟瓦葺、白壁造の伝統的な木造建築ですが、玄関を中央にした左右対称の外観は学校建築の特徴。
■建物裏側~木曽川に向かって傾斜地になっているため川側は3階建てになっています
■千鳥破風の立派な正面玄関
■玄関脇の説明看板には「現存最古の木造3階建て小学校」とあります
■資料館の前に、近くにあった吊り橋の兼山橋(T12)の遺構が保存されています
発電所本館の北西、木曽川に面して本館をそのまま小さくしたような建物があります。
大正6年(1917)に電力需要増加のため増設された放水口発電所で、本館発電所の放水口から出る落差7mの水を再利用して発電しました。
■小さな発電所ですが、本館に合わせたアーチ窓の大きさを変えているあたり、なかなかの芸の細かさです
撮影:2013/05/03
5月の連休に笠置発電所の下流、岐阜県加茂郡八百津町にある旧名古屋電灯木曾川発電所を訪れました。
名古屋方面からは国道41号を北上、美濃加茂市内で木曽川沿いの県道を上流に向かって走ると八百津の町に出ます。
旧木曾川発電所は名古屋電灯によって木曽川水系最初の本格的発電所として建設されましたが、新たに丸山発電所が完成したため、昭和49年(1974)閉鎖されました。
平成10年(1998)には本館と放水口発電所が国の重要文化財の指定を受け、現在は旧八百津発電所資料館として開館されています。
本館建物は発電設備のある発電棟と送電設備のあった送電棟に分かれています。
いずれも煉瓦造で、外観は煉瓦壁を支えるバットレス(控壁)と連続する大きなアーチ窓が特徴的で、全体ではゴシック風デザインになっています。
■本館全景~手前の小さな建物は放水口発電所
■送電棟1階母線室~入口受付と2階への階段
■情報コーナー町民ギャラリー
■送電棟2階配電室~電気と川とくらしなどのパネル展示
■発電棟~まるで巨大カタツムリのような発電装置の機械群は壮観です。天井には建設当時のアメリカ製クレーンも残る。
新緑に包まれた古い発電所は、連休だというのに訪れる人もなく、時がゆっくりと流れていました
◆旧八百津発電所資料館(旧名古屋電灯木曾川発電所本館)/岐阜県加茂郡八百津町八百津1770-1
竣工:明治44年(1911)
施工:早川組
構造:煉瓦造
撮影:2013/05/03
※国指定重要文化財
郡上八幡の町を抜け、せせらぎ街道(国道427号)を高山方面へ向かうと、旧明宝村(現在は郡上市)に至ります。
せせらぎ街道沿いの「道の駅明宝」を過ぎ気良口の信号を左折、道なりに走り明宝小学校を過ぎると右手に懐かしい木造校舎が見えてきます。
この木造校舎は、昭和12年に建てられた旧明方小学校で、昭和49年に廃校になった後、明宝歴史民俗資料館としてそのまま利用され、現在4,7000点を超える歴史、生活、生産に関する資料が展示されています。
また校庭の東端には武道館も当時のまま現存しており、木造校舎とともに戦前の小学校の様子を伝えています。
※歴史民俗資料館HP→http://dac.gijodai.ac.jp/vm/virtual_museum/sanpo/5/
◆明宝歴史民俗資料館(旧明方小学校)/岐阜県郡上市明宝気良154
竣工:昭和12年(1937)
施工:和田長太郎
構造:木造2階建
撮影:2012/09/16
■校門から向かって左側に旧校舎、正面は武道館
■校舎正面~戦前の木造校舎は地方でもほとんど取り壊され、今や貴重な存在。
木造校舎を前に校庭に立つと、初めて訪れた場所なのに懐かしくしみじみとした気分になります。
■校舎裏側
■玄関は入母屋破風のある立派なもの
■校舎の東側にある武道館~下見板張りの洋風建築で白く塗られた窓枠や柱がモダンな雰囲気です
■校舎の前につくられた築山
■木造校舎にはかかせない定番の二宮金次郎。周りに置かれた古い石造物の説明看板もあります。
豆タイルをファサードに貼った商店は、戦前から昭和30年代頃までの建物と思われます。
豆タイルは浴槽から流し台、建築まで幅広く使われました。
このタイルを使うと昭和っぽくなるから不思議です。
■タイルが小さいので分かりにくいですが、建物前面はすべてタイル貼りです。
郡上八幡の町で見つけた戦前物件と思われる洋風建築です。
■願蓮寺前の仏具店。付け柱と軒下の装飾がポイント。
■新橋北詰左側の住宅。2階部分だけ洋風意匠です。
■八幡町役場会議室の看板があり、まだ現役みたいです。
■宮ヶ瀬橋北詰すぐの喫茶セリーヌ。外壁は改装されていますが屋根から突き出た望楼はかなりの年代物です。
建築当初は何に使われていたのでしょうか?
■小川屋洋品店。建物の最上部に洋風装飾があります。
旧堀谷医院は、郡上八幡の町でも八幡城に近い古くからの町並みが残る市街地に位置し、大正モダンな雰囲気を今に伝える貴重な建物です。
木造2階建、外壁はコンクリート洗出しで石貼り風に目地が切ってあり、2階は洋館の定番上げ下げ窓ですが、1階の大きなアーチ窓と、それに合わせた半円の庇が付く装飾のある玄関ポーチが特に目を引きます。
大きなアーチ窓は名古屋陶磁器会館や旧加納町役場などにも見られ、大正末~昭和初期のアールデコや表現主義に代表されるモダンデザインの流れが感じられます。
■擬洋風建築の林療院(明治40年)と大正モダンな堀谷医院(大正9年)を比較すると、
明治から大正にかけて建築のデザインが大きく変化したのがわかります。
■玄関ポーチの持送りと欄間に施された漆喰の装飾は左官職人の技が冴えます
◆旧堀谷医院/岐阜県郡上市八幡町大手町804
竣工:大正9年(1920)
構造:木造2階建
撮影:2012/09/16
※国指定登録有形文化財
旧税務署の建物を再活用した郡上八幡博覧館は、郡上八幡の魅力を水、歴史、技、郡上おどりのコーナーを設けわかりやすく紹介しています。
建物は大正9年に建てられた木造下見板張りの旧税務署の外観を残していますが、内部は展示施設として完全にリュニューアルされています。
外観は下見板や外壁、屋根瓦など、すべてがきれいに改装されていますが、かえって大正期の建物らしい歴史の重みが感じられず、観光地によくあるレトロな洋館を再現したような印象になってしまったのが、私的にはちょっと残念なところです。
◆郡上八幡博覧館(旧八幡税務署)/岐阜県郡上市八幡町殿町50
竣工:大正9年(1920)
構造:木造2階建
撮影:2012/09/16
■木造下見板張りの外観は大正の面影を残しています
旧郡上八幡役場の南西にある旧林療院は、明治37年に建てられた医院で、北側に大正期に増築された県下で最も早く設置されたレントゲン棟が、向かって左東側には、江戸末期に建てられた足軽長屋を改造した看護婦棟が現存しています。
外観は木造2階建の明治期特有の擬洋風建築で、木造に漆喰を塗って洋風に仕上げています。
正面から見てまず目に入るのが、玄関ポーチのイオニア式オーダーの円柱ですが、これは丸太に縄を巻き漆喰で固めたもの。
建物の隅や腰壁はモルタルを厚く塗り石造り風に見せ、窓も洋風建築の定番の「上げ下げ窓」で、上部には三角形のペディメントが載ります。
建物は平成10年に国の登録有形文化財に指定され、現在は郡上八幡楽藝館として郡上八幡の文化伝達、交流、情報発信の場として保存活用されています。
◆郡上八幡楽藝館(旧林療院本館・旧レントゲン棟・旧看護婦棟)/岐阜県郡上市八幡町島谷789-1
竣工:本館/明治37年(1904)・レントゲン棟/大正初期・看護婦棟/江戸末期
構造:木造2階建一部地下
撮影:2012/09/16
※国指定登録有形文化財
■本館東側に付属する建物は江戸末期に建てられた元足軽長屋で、看護婦棟として使われた
■本館の後ろ南側に白とグリーンのレントゲン棟が見えます
■軒下のブラケットや隅の柱、窓枠やペディメントは漆喰を盛り上げ洋風に仕上げています
■本館の裏手にある大正期に増築されたレントゲン棟~2階軒下には軒板飾りを設ける
■玄関ポーチのイオニア式円柱
■玄関を入ると左手に受付窓口、右手に旧リハビリ室があります
■当時の医院の木製看板~右書きが時代を語ります
■受付と投薬窓口
■廊下を挟んで向かって左側にある旧外科室~当時使用していた医療器具などを展示
■外科室の隣の旧診察室~歴代の院長を紹介したパネルなどを展示
■薬品戸棚も当時のものでアールデコ調の装飾があります
■本館裏手にあるレントゲン室~渡り廊下でつながっています
■本館東側展示室につながる渡り廊下には、当時実際に使われていた便器や洗面台、タイルが展示されています
■リハビリ室の奥にある階段。2階は病室として使われていましたが、現在は郷土出身の芸術家や市民の作品を展示するギャラリーとして使用。
病室で実際に使われた家具なども展示されています。
9月の三連休の中日、久しぶりに(前回は10年以上前)清流吉田川を中心に戦前の古い町並みが残る郡上八幡を訪れました。
現存する洋風の近代建築の数はそれほど多くはありませんが、グレードの高い建物が登録文化財の指定を受け、観光資源としても再活用されています。
まずは昭和11年に建てられた郡上を代表する洋風建築、旧八幡町役場を訪ねました。
吉田川に架かる新橋の南詰にある建物は、平成6年まで八幡町役場として使われていましたが、現在は郡上八幡旧庁舎記念館として、観光案内所・売店・休憩所などに再活用されています。
旧庁舎の建物は木造下見板張り2階建、西側正面と南側に玄関ポーチを設け、正面北側を前に出し切妻屋根にし、あえて非対称にすることで外観に変化を持たせています。
また庁舎の東側の吉田川沿いに、書類や行政資料を保管するために旧庁舎と同時に造られた土蔵も現存しています。
◆郡上八幡旧庁舎記念館(旧八幡町役場庁舎)/岐阜県郡上市八幡町島谷524-6
竣工:昭和11年(1936)
設計:野村建築事務所
施工:水谷藤兵衛
構造:木造2階建
※国指定登録文化財
◆旧八幡町役場土蔵/岐阜県郡上市八幡町島谷524-6
竣工:昭和11年(1936)
構造:土蔵造り平屋建
※国指定登録文化財
■吉田川沿いに建つ庁舎と土蔵。川沿いの北面は記念館になってから改修を受け、新たに出入り口を設けています。
■建物南東側~建物はコの字型で中庭を設けています
■中庭から庁舎を望む
■西側正面玄関ポーチ
■南側玄関ポーチ
■庁舎の中には観光案内所やお土産販売のコーナーも
■2階への階段~この日は貸切で一般の観光客は立入禁止でした
■庁舎東側の土蔵
2012/09/16撮影
昔からの広見の町並を通る土岐可児線沿いに、昭和初めに建てられたモダンな建築が残っています。
現在は歯科医院として使われていますが、当初は十六銀行広見支店として建てられた銀行建築です。
地方の銀行としては、昭和初めに建てられたとは思えないモダンなデザインの鉄筋コンクリート2階建造ですが、屋根が瓦葺きなのがいかにも時代を感じさせます。
◆岩田歯科医院 (旧十六銀行広見支店)/岐阜県可児市広見字桝田798-1
竣工:昭和3年(1928)
構造:RC2階建
撮影:2011/10/10
歴史様式の装飾は一切無いモダンな外観
基礎の部分は石積みで外壁はコンクリート
中山道太田宿から古井に抜ける街道沿いにある洋風建築です。
建物の外観がちょっと変わっていて、向かって右から大・中・小に分かれ、中と小は下見板張りで真ん中に店舗風の玄関を設けています。
現在は住宅として使われているいるようですが、建物の構造から当初は店舗兼住宅として建てられたと思われます。
すぐ近くに下古井郵便局があるので、戦前に建てられた旧郵便局舎の可能性が高いのではないかと考えられます。
◆古井町の洋館/岐阜県美濃加茂市古井町下古井
竣工:不明
構造木造平屋一部2階建
撮影:2011/10/02
郵便局か交番がっぴたりの玄関まわり~両脇の縦長の窓が洋風です
一番手前の大きな建物部分は二階建てにし側面に別の玄関を設けています
大の部分が住居、中と小を業務用として使用したのではないかと思われます
古井駅前の道を高山本線沿いに200mほど川辺方面に向かうと、森山町本町交差点の角に古い洋風建築が残っています。
木造下見板張り瓦葺き寄棟屋根の洋風建築で、よく見ると鬼瓦に「〒」マークが入っているので元々は郵便局舎として使われていたと思われますが、現在建物自体が使われている様子はありません。
建築時期は近代建築の文献等にデーターが無く一切不明ですが、私の勝手な推測では古井駅開業(大正11年)前後の大正末から昭和初め頃と思われます。
現在の古井郵便局は古井駅のすぐ南側に移転し営業しています。
◆旧古井郵便局/岐阜県美濃加茂市森山町3
竣工:不明(大正末~昭和初?)
構造:木造平屋
撮影:2011/10/02
屋根の大棟の鬼瓦に2つ、四方の鬼瓦に4つ、当時の逓信省の〒マークが入る