週1回だけ自転車で通勤します。車とは違って風景をゆっくり見ながら走れるので、なかなか楽しいです。
自宅を出て、市街地を抜けると田んぼ道です。稲刈りの終わったのどかな田園風景が広がります。
田んぼの途中に、巨大な守口大根が地面に突き刺さっています。
JAの面白物件、空中都市とバベルの塔。
旧街道沿いにある小口城址公園。江戸時代の砦が復元されています。
鳥居の前に広がる、まさに日本の田園風景を横目で見つつ、5分ほどで職場に到着。
勤務先までは30分ほどの距離ですが、全身で風を感じて走る気持ちよさは自動車通勤では味わえません。
わたしの地元犬山市内で、ここ数年に取り壊された建物たちです。昭和を感じる建物がどんどん減っていくのはしょうがないとは言え、さみしい限りです。
ご近所の洋風の銭湯「松竹湯」。ずっと以前に廃業されたままの状態でしたが、最近気がついたら更地になっていました。
松竹湯のそばの玄関が立派な元医院風の建物。門柱も良い味わいです。松竹湯と前後して取り壊されました。
今は無き、名鉄犬山口駅近くの昭和レトロな看板建築。
実家のすぐ隣に昭和57年頃まで岐阜大学農学部・工学部(旧岐阜高等農林学校)のキャンパスがありました。跡地は現在、各務原市の市民公園になっていますが、大正期に建てられた木造校舎はすべて取り壊され、かつてここに大学が存在した痕跡は何一つ残っていません。
大学のキャンパスは、子どもにとっては格好の遊び場で、古い木造校舎を探検をしたり、広い芝生の洋風庭園や池で毎日のように遊んでいました。またどこへ行くにも大学構内を抜けると都合が良かったので、私にとって大学は通学路や遊び場として、非常に身近な当たり前の存在でした。思えば少年時代に見慣れた大学の木造校舎が、心象風景として強く心に焼き付けられ、近代建築への思いを培ったようで、いつの間にか明治~昭和に建てられた古い建築の持つ独特の雰囲気が大好きになっていました。
秋の連休の一日、私の近代建築への興味の出発点になった思い出の場所を改めて訪ねてみました。
●公園の片隅に建てられた学園跡碑
●昭和9年当時のキャンパスの全景
私が遊んでいた頃(昭和40年代)の建物の配置とほとんど変わりません。中央のコの字型の建物が本館で、左側の講堂とつながっています。手前右隅が洋風庭園で、築山や池を配した日本風庭園もありました。
●よく遊んだ洋風庭園跡 石畳と階段は当時のままです。石畳の奥は本館へと続いていました。(写真左) 現在はモニュメントが建っていますが、かつての庭園の配置が残っています。(写真右)
●右奥の木立の辺りが築山の跡。芝生で野球をしたり、かくれんぼをして遊びました。
●本館のあった辺り。樹木はほとんど当時のまま残され、緑に囲まれた気持ちのよい公園になっています。