旧御津郵便局を後に県道384号線を南に向かい、今回最後の探訪物件旧今泉医院を目指しました。東海道線の踏切を超え、東三河環状線から住宅街の細い路地に入りしばらく歩くと、敬圓寺という大きなお寺のすぐ南側、木立に囲まれた閑静な一角にお目当ての建物は建っていました。ひと目で戦前に建てられた西洋館だと分かる怪しくも重厚なたたずまいは、まさに長い年月をを経て醸し出された本物だけが持つヴィンテージ感が漂います。
西側道路に面した診療棟は昭和2年築、1階の外壁はドイツ壁、2階は洗出し仕上げで大正~昭和初に各地で見られた典型的な洋風建築の意匠を備えています。西側ファサードは左右対称で、中央玄関部にバルコニー付の大きな車寄を設け、その上に医院名のレリーフが施された額を掲げています。玄関車寄の意匠や窓割り、建物両隅を張り出して強調した外観は、ルネサンス、バロック建築の様式を取り入れた手法で、当時の洋風建築の姿をよく残しています。
今回は一日で新城~豊川の飯田線、東海道線沿線をまわったので取りこぼした物件も多く、近いうちの「奥三河~東三河地域建築探訪パート2」の決行を心に決め帰路に就きました。
◆旧今泉医院診療棟/愛知県豊川市御津町御馬西37
竣工:昭和2年(1927)
構造:木造平屋一部2階建
撮影:2014/05/03
※国指定登録文化財
(同敷地内に隣接する和風意匠の病室棟と、前庭に残る手洗い場も国の定登録文化財に指定されています)
■建物西側正面
■建物北側
■窓割りのデザインに大正~昭和の洋館らしさが漂う
■洋風意匠が際立つ車寄
■右から書かれた医院名に時代を感じる
JR東海道線愛知御津駅から北西へ100mほどの所、県道384号線沿いに旧御津郵便局の建物が残っています。閉鎖されてからどれくらいの年数が経過したのか、荒れ放題の建物は崩壊寸前、まさに廃墟と呼ぶのがぴったりなちょっと怪しい雰囲気が漂います。
外観は大正期に流行ったセセッション風なモダンデザインで、左右対称のファサード中央頂部を山型に立ち上げてメダイオン風の装飾を配し、外壁や玄関上部には幾何学模様の帯を廻しています。大正~昭和戦前期の地方の町の郵便局と言えば、圧倒的に木造平屋の簡素な局舎が多いなかで、RC造2階建のモダンな局舎は、御津の町を代表するランドマーク的な存在だったと思われます。
現在御津郵便局は駅の南東部に移転し、取り残された旧郵便局の建物は、すかっり人々から忘れ去られた存在になってしまいました。大正・昭和・平成と時代は変わり、御津の町の風景も大きく変わっていく中で、当時と同じ場所で町の人々とともに年を経てきた郵便局舎。時代の記憶をとどめるその姿がいつまで見られるのか、行く末が心配です。
◆旧御津郵便局/愛知県豊川市御津町西方字中通
竣工:大正12年(1923)
構造:RC造2階建
撮影:2014/05/03
■大きな玄関と中央上部の壁を山型に立ち上げたファサードが印象的です
■玄関は板で厳重にふさがれ、その上にはかつて窓だった部分がぽっかりと開いて廃墟感が漂います
■外壁は思ったより良い状態で、側面の窓枠は当時のまま残っています
■玄関上部中央には、お約束の逓信省〒マークが入ります
■外壁のキャタピラー様の幾何学模様は、大正~昭和初の頃によく見られたデザイン
■メダイオン風の装飾が大正モダンな雰囲気を醸し出しています
牛久保から伊那街道を豊橋方面に2kmほど行くと、小坂井東小学校の北、豊川市消防署小坂井出張所に隣接した駐車場の片隅に小さな木造の建物があります。建物は昭和7年築の旧青年学校(旧小坂井東小学校)の木造校舎のを一部移築したもので、昭和53年から平成22年まで小坂井町郷土資料館として使用されました。
全体は洋風の木造下見板張りですが、玄関車寄部分には和風意匠を残しています。このような和洋折衷の外観は、明治~昭和戦前期頃までの地方の役所や校舎などの公共建築によく見られた様式で、この建物も当時の学校建築の面影をよく残しています。現在は資料館が閉鎖され空き家状態ですが、取り壊さず何らかの形で保存再利用されることを願います。
◆旧小坂井町郷土資料館(旧青年学校~旧小坂井東小学校)/愛知県豊川市宿町字光道寺40
竣工:昭和7年(1932)
施工:太子講組合・竹尾和三郎他
構造:木造平屋建
撮影:2014/05/03
■建物正面外観
■玄関車寄は寺社建築のような純和風のつくり
■玄関破風には學の文字入り鬼瓦と蕪懸魚
■扉には閉館のお知らせの小さな紙がポツンと貼ってありました・・・ちょっと行く末が心配です
JR牛久保駅の北、町の中心街の伊那街道沿いに残る昭和戦前期の医院建築です。道路側に面したファサードは落ち着いた茶系色のスクラッチタイル貼りで、玄関、窓廻りは白にしてアクセントをつけています。建物全体の印象は、直線を基調としたモダニズム建築ですが、玄関脇のオーダーと壁面頂部のロンバルジアバンドに古典様式も残す昭和初期に流行った代表的な洋風建築のスタイルです。建物は随時手を入れているようで、保存状態は極めて良好、オーナーの建物に対する愛情が伝わってきます。
◆旧星野医院/愛知県豊川市牛久保町常磐59-1
竣工:昭和6年(1931)
構造:木造2階建
撮影:2014/05/03
■建物北東側~茶褐色のスクラッチタイルに白く塗られたモルタル部分が際立ちます
■伊那街道に面したファサード~壁面頂部の小アーチが並ぶロンバルジアバンドが効いています
■道路沿いに並ぶ石柱にも時代が感じられます
■玄関脇の柱頭に古典様式の意匠を残す
県道495号線を姫街道の交差点からさらに南へ進み、名鉄豊川線の手前で旧伊那街道と合流、JR飯田線沿いに牛久保方面へ向かいます。伊那街道をそのまま進むとほどなく牛久保の町並みに入り、八幡社の向かいにタイル貼りの昭和モダンな建物が見えてきます。昭和7年築の旧牛久保郵便局で、現在は西隣に新しい局舎が建てられています。
戦前の地方の郵便局は個人所有がほとんどで、牛久保郵便局も東隣に和風の住宅が付属しています。局舎はファサード全面に、白っぽいスクラッチタイルが貼られたモダンな洋風意匠で、200mほど先にある同じく洋風の旧星野医院とともに、戦前の昭和の牛久保の町並みを今に伝える貴重な近代建築です。
◆旧牛久保郵便局/愛知県豊川市牛久保町常盤12
竣工:昭和7年(1932)
設計:花田栄一
施工:井桁屋(現花田工務店)
構造:木造2階建
撮影:2014/05/03
■和風の住宅部分と洋風の郵便局舎がセットで残っています
■タイル貼りのファサードだけ見るとRC造に見えますが、横から見ると看板建築風の木造なのが良く分かります
■端正な直線的デザインで装飾はありませんが、外壁にまわした石貼りの帯と2階の連続する上げ下げ窓が外観上のアクセントになっています
■淡い色合いのスクラッチタイルがなかなかお洒落で、モダンな雰囲気を演出しています
向かって右側の通用口の扉は当時のままの木製です
■豊川牛久保郵便局の文字がうっすらと残っています
■雨どいも逓信省の〒マークが入った特注品
■掲示板もレトロなデザイン
旧街道沿いには戦前の郵便局舎がそのまま残されているケースをよく見かけます。使われなくなった建物は老朽化が進む一方なので、手遅れにならないうちに保存再活用する手段が望まれます。滋賀県の旧醒井郵便局では、町の資料館として再生し、貴重な地域の近代化遺産を保存活用しています。
牛久保には牛久保城跡や今川義元の胴塚、山本勘助の墓など多くの歴史遺跡が残されています。これらの歴史遺跡と近代建築を組み合わせて、人々が訪れたいと思うような魅力的な町づくりができないものかと素人の浅知恵で思ってしまいます。どこの自治体も予算には余裕がなく、費用対効果とか考えるとなかなか難しいのが現実なのでしょう。あと10年もすれば、現存する近代建築は文化財指定の建物か、運よく資料館などとして保存活用された一握りの建物だけになってしまうのでしょうね。それまでに今はまだかろうじて現存している街角の近代建築を、ひとつでも多く紹介したいとあらためて思う今日この頃です。
豊川稲荷の総門前の道を南へ向かうと、姫街道との交差点にちょっと変わった古い木造2階建の建物があります。大正5年に建てられた松井線香(旧日本駆虫品製造)の工場で、道路に面した東側は線香の乾燥室になっています。板張りの壁はブラインドのように板が開閉可能で、線香を自然乾燥させるための空気調整ができる昔ながらの工夫が見られます。
◆松井線香製造所(旧日本駆虫品製造)/愛知県豊川市中央通1-11
竣工:大正5年(1916)
構造:木造2階建
撮影:2014/05/03
■乾燥室の板がブラインドのように開いているのが分かります
別所街道を豊寿園から西へ100mほど行くと、左手に一目で戦前築と分かる昭和モダンな医院建築があります。ファサードはパラペット造にして、屋根の上まで壁を立ち上げ、全体は直線的なデザインながら、玄関廻りや1、2階の間の壁面などに装飾が施され、それが外観のアクセントになっています。玄関前に残る門柱も当時のままで、昭和戦前期の新城の別所街道の様子を今に伝える貴重な近代建築です。
◆田口医院/愛知県新城市字町並130
竣工:昭和4年(1929)
施工:滝本屋・山本又蔵
構造:パラペット造2階建
撮影:2014/05/03
■旧街道沿いに唯一残る昭和モダンな面影を残す医院
■玄関周りはどこかイスラムのモスクを思わせるデザイン
■門柱も当時のまま残されています
■1~2階の壁面には植物?をモチーフにしたレリーフ
新城市町並の別所街道を歩いていて、偶然にも絵に描いた様な洋風ファサードの看板建築を見つけました。この建物は豊寿園という戦前からの老舗の和菓子屋さんですが、近代建築の資料にも掲載が無く、まったくのノーマーク物件だったので、「ほんと出会えてよかった!」という感じで、まさに建築探訪冥利に尽きます。
最近は大正末~昭和戦前期に建てられた看板建築は老朽化による取り壊しなどで激減しており、愛知県でこれだけ良い状態の現役で営業している看板建築に出会えるのはめったにありません。一近代建築ファンとしては、このままの店舗で少しでも長く、美味しいお菓子を造り続けていただけることを願うばかりです。
豊寿園さんのHPを調べてみると、創業は前身の太田屋時代の明治時代までさかのぼるそうで、現在の店舗は大正末頃に建てられたようで、その当時撮影された店舗の写真が掲載されています。HPにはその当時の別所街道の写真もあり、大正~昭和にかけての新城の町の様子がご覧になれます。
「御菓子司 豊寿園」HP→http://www.h6.dion.ne.jp/~ho-juen/index.htm
■看板建築とは~
関東大震災(大正12年)後、商店建築などに用いられた建築様式。典型的なものは木造2階建ての店舗兼住宅で、建物前面を平坦として(軒を前面に出さない)モルタルや銅板で仕上げて装飾をつける。ちょうど看板のような平坦な壁を利用して、しばしば自由なデザインが試みられたため、看板建築と命名された。(wikipedia 看板建築より引用)
■愛知県でも当時のままの外観で、現役で営業している数少ない看板建築だと思われます。
「ALWAYS三丁目の夕日」の映画にそのまま使えそう。
◆豊寿園/愛知県新城市字町並146
竣工:大正末頃
構造:木造2階建
撮影:2014/05/03
旧大野宿の中心鳳来館のある交差点から南へ100mほどの所に、洋風ファサードの昭和な商店があります。昭和初に建てられた溝口時計店で、通りに面したファサードは丸窓や幾何学模様の装飾など当時の表現主義風のモダンなデザインを取り入れています。
■旧大野宿の昭和戦前期を代表する商店建築
■看板建築風の洋風ファサードに意味不明の幾何学模様の装飾、丸窓とスクラッチタイルがたまりません。
JOE COOLさんからのご教授で、幾何学模様は五階菱(ごかいびし)という家紋と判明。
家紋をさりげなく装飾にしてしまうセンスに脱帽です。
■ショーウインドウには1986年のポスターが貼られたまま、30年前で時が止まっています
三河大野駅から東へ300mほど、旧大野宿の中心部、別所街道と秋葉街道が交わる交差点の角に立派な洋風建築があります。大正13年(1924)大野銀行の本店として建てられたもので、戦後は東海銀行、東三信用組合などを経て、2006年まで豊川信用金庫鳳来支店三河大野出張所として使われていました。その後2007年に大野宿 美術珈琲鳳来館としてオープン、喫茶兼ギャラリーとして再活用されています。
建物は交差点の東南角に正面玄関を配置、隅を丸くした当時の銀行やオフィスビルによく見られる外観です。外壁は石積風で1~2階を貫く付け柱や、玄関周りのオーダーやメダイオンの装飾が見所。鳳来館としてよみがえった大正時代の銀行は、林業と養蚕で栄えた鳳来町大野宿の往時をしのぶランドマーク的存在として、地域の人々に親しまれています。
■鳳来館(旧大野銀行本店)/愛知県新城市大野上野17-2
竣工:大正13年(1924)
設計:志水正太郎
施工:志水建築業務店
構造:RC造2階建(2階床、屋根は木造)
撮影:2014/05/03
※国登録有形文化財
※建物内部がご覧になれます→大野宿 美術珈琲 鳳来館
■建物東南正面
■建物南側側面
■東南角玄関周り
■玄関周りの装飾が見所
■本館の西側には初代本店と同時期(明治中期)に建てられたと思われる土蔵も残っています
豊橋建築散歩~その12
豊橋鉄道渥美線南栄駅の北、田原街道沿いにコンドーパン南栄蟹原店があります。愛知大学と時習館高校がすぐ近くで、学生がちょっと寄って気軽に買い食いできる、昔からある古いパン屋さんです。
大きな看板がかかった店舗は普通の民家ですが、隣の古い煉瓦造の建物が気になります。煉瓦造の蔵のような外観で、屋根にかわいい煙突があるので、さしづめパン工場といったところでしょうか。竣工年は不明ですが明治~大正物件と思われ、長手と小口が一列ごとに交互に積まれたイギリス積みの赤煉瓦が今も美しい表情を見せています。
店舗の奥には畳敷きの座敷があり、店で購入したパンや飲み物をその場でいただけるのはうれしい心遣いです。遠い青春の日、部活帰りに寄ったパン屋を思い出しほっこりとした気分になりました。明治創業のコンドーパン、いつまでも変わらずにいてほしいパン屋さんです。
◆コンドーパン南栄蟹原店/愛知県豊橋市南栄町蟹原21-36
竣工:不明
構造:煉瓦造
撮影:2011/10/9
豊橋建築散歩~その11
愛知大学から北へ500mほど離れた県道405号線沿いの小高い丘の上に旧陸軍15師団長官舎があります。建物は明治~大正期に見られる洋館に和館を併設したタイプで、洋館部は寄棟桟瓦葺き、軒周りに蛇腹持送りをつけ、白く塗られた下見板張りで基礎の赤煉瓦がアクセントになっています。洋館は公的スペース、和館はプライベートな居住スペースとして使われました。 戦後は愛知大学学長公館や教員宿舎として利用されましたが、現在は使われている様子はありません。
深い木立に囲まれた蔦の絡まる古びた洋館は、現代の喧騒から隔離された別世界で、100年前からこの一角だけ時が止まっているようです。
◆愛知大学公館(旧陸軍第15師団長官舎)/愛知県豊橋市高師石塚町22
竣工:明治45年(1912)
設計:臨時陸軍建築部
施工:大林組
構造:木造平屋建
撮影:2011/10/09
※豊橋市指定有形文化財
当時のままの門柱~左手奥に洋館が建っています
正面玄関車寄せ~向かって右手西側に和館部分が見えます
竣工時の木製ドアが残る玄関
正面玄関脇の出入り口
蔦の絡まる張り出し窓
アーチ型の床下換気口~グリルの格子のデザインも凝っています
庭に残る古井戸~左奥に見えるのが和風住宅部分
豊橋建築散歩~その10
◆愛知大学中部地方産業研究所付属産業館(旧機銃廠)/愛知県豊橋市町畑町1
竣工:明治41年(1908)
構造:木造平屋建
撮影:2011/10/09
一部外壁がモルタル塗りに変更されていますが、基礎の赤煉瓦や下見板、☆マークのある鬼瓦などは当時のまま健在です
現在は中部地方産業研究所付属産業館として使われています
◆愛知大学教職員組合(旧養生舎)/愛知県豊橋市町畑町1
竣工:昭和2年(1927)
構造:木造平屋建
撮影:2011/10/09
外壁は改修を受けているため竣工時の詳細は不明、現在は愛知大学の教職員組合の建物として使用されています
豊橋建築散歩 その9~愛知大学第2体育館(旧陸軍教導学校大講堂)
建物の構造は、アングル材を組み合わせた柱と小屋組みによる鉄骨造ですが、壁は木造、外壁は下見板張りになっています。
玄関のある西側の妻は真壁、細部意匠にセセッションの影響がみられます。
◆愛知大学第2体育館(旧陸軍教導学校大講堂)/愛知県豊橋市町畑町1
竣工:昭和2年(1927)
構造:鉄骨造
撮影:2011/10/09
細部の装飾にセセッション風の幾何学的造形が見られる
豊橋建築散歩 その8~愛知大学総合郷土研究所・中部地方産業研究所(旧陸軍歩兵第60聯隊将校集会所)
峻工時は歩兵第60聯隊将校集会所として使われ、将校の集会室や食堂、休憩室があり、ビリヤード台も設置されていました。
木造平屋建てアメリカ下見板貼り、外周部分の基礎は煉瓦造で、出入り口の上のペディメントや屋根の鬼瓦には、陸軍の☆のマークが今も残っています。
現在は大学の研究所施設として使用されています。
◆愛知大学総合郷土研究所・中部地方産業研究所(旧陸軍歩兵第60聯隊将校集会所)/愛知県豊橋市町畑町1
竣工:明治41年(1908)
設計:臨時陸軍建築部
施工:大林組
構造:木造平屋建
撮影:2011/10/09
入口上のペディメントには陸軍の☆マークが