戦前からの毛織の工場が残る細い路地の入り組んだ古い街並みは、どこか懐かしい昭和の風景を思い出させてくれます。
■路地の奥には懐かしい煙突のある風景が
■戦前からの木造下見板の古い工場
■珍しい下見板貼りの蔵
■昔ながらの銭湯「玉ノ井湯」
■玄関には帆船が行きかった戦前の木曽川の風景を描いたタイル画がありました
撮影:2009/10/18
■柳戸ポンプ場(旧下水抽水場)/一宮市柳戸1丁目
竣工:昭和4年(1929)
構造:鉄筋コンクリート造1階
撮影:2009/10/11
水面の高い大江川に排水するたの下水抽水場として建設されました。
歴史様式の近代建築が持つ華やかさはありませんが、装飾を廃した機能主義のコンクリート建築は、現代建築にも通じるシンプルな美しさが漂います。
現在もポンプ場として現役で使用されている貴重な近代化遺産です。
毎年秋に行われる岐阜基地の航空際ですが、今年も天気に恵まれ大勢の人でにぎわいました。
皆さんのお目当てはブルーインパルスの曲技飛行ですが、私の目的は基地内の近代建築です。
岐阜基地の歴史は古く、明治初期に陸軍の大砲射撃場として開設され、その後各務原飛行場として使われました。
基地内には陸軍各務原航空隊当時の古い建物が、現在も数多く残っています。
■大勢の人でにぎわう正門附近
■航空自衛隊岐阜基地渉外室広報館(旧陸軍飛行第一聯隊将校集会所)/岐阜県各務原市那加官有地無番地
竣工:大正9年(1920)
施工:北川組
構造:木造平屋
撮影:2009/10/12
■建物正面~屋根や外壁はリニューアルされ塗装も真新しい
■8本の石柱が並ぶ玄関部分
■下見板貼りに縦長の上げ下げ窓が当時の雰囲気を伝えます
■補給倉庫(旧飛行機格納庫)昭和3年(1928)
■基地内に現存する古い洋風の建物
昭和40年代は基地に勤務する隊員の住宅として使われていました。
私が中学生の頃の友人は、実際にこの建物の一軒に住んでいてよく遊びにいきました。
玄関を入ると当時では珍しい広い板貼りのワンルームになっていて、日本式住宅に慣れていた私はそのモダンさに驚いたものです。
おそらく戦後のアメリカ軍による接収期に住宅として使用されたようで、広い敷地に点在する洋風住宅は、とても同じ日本とは思えない風景だったのを記憶しています。
実家にいた頃は余りに身近すぎて航空際もご無沙汰でしたが、ブルーインパルスの飛行展示も久しぶりに間近で堪能しました。
繊維の街として栄えた頃の一宮を代表する近代建築で、愛知県最初の鉄筋コンクリート造市庁舎。
装飾の少ない端正な外観ながら、玄関を角に設けメダリオンやオーダーを配するなどバロック様式風なクラッシクな意匠も見受けられます。
1階の窓口には庁舎としては日本で初めての対面式カウンターが設けられ、職員がカウンターを挟んでオープンな空間で市民に接するという現代と同じ形式を採用した大変モダンなつくりになっています。
建設当時は中庭を設けたコの字型の建物でしたが、現在は正面玄関を中心に両翼(東、北側)の部分しか残っていません。
現在旧庁舎を取り壊して新庁舎を建築する計画が進められており、建築史学会から地方都市の近代化を語る歴史的文化財として保存再生の声が上がっています。
■一宮市役所本庁舎/一宮市本町2丁目5-6
竣工:昭和5年(1930)
設計:松本善一郎(前愛知県営繕課技師)
施工:榊原信太郎
構造:鉄筋コンクリート造
撮影:2009/10/11
■庁舎全景~敷地の外側に建物を配置し中庭を設けた、当時の庁舎・事務所建築の典型
左後方には増築した庁舎が見えます
■北東角に設けられた正面玄関
上部のメダリオンと幾何学模様の装飾が目を引く
■4本のオーダーが並ぶ
■玄関ホールの銅製の装飾腰板
■玄関照明
■北側玄関
■南西側の建物は取り壊され現在は駐車場に
揚輝荘のすぐ西側が覚王山日泰寺です。
この日(9月21日)はちょうど縁日のようで、参道にはたくさんの露天が出てにぎわっていました。
日泰寺を抜け東山給水塔へ向かいます。
東山給水塔は覚王山日泰寺の北側の高台にあり、現在は災害時の貯水施設として使用されています。
とんがり帽子を頭に載せ、街を見下ろすように建つ姿はどこか愛嬌があり、昭和の風景を今に伝える覚王山のランドマークとして、現在も市民に親しまれています。
■東山給水塔/名古屋市千種区田代町四観音堂西5-1
竣工:昭和5年(1930)
設計:市水道部(成瀬薫)
施工:大倉土木
構造:鉄筋コンクリート
■年2回一般公開されていますが、今回は敷地外からの撮影になりました
■公開日に撮影した東山給水塔(1999/6/6)