聴松閣の玄関受付で入館料300円を支払い、まずは1階の部屋を見学。
■玄関受付
■玄関の階段ホール
■展示室1(旧居間)~映像で揚輝荘を紹介
■展示室2(旧サンルーム)~パネルや昭和14年当時の揚輝荘を再現したジオラマが展示されています
■八角形の張り出し窓は度重なる改変のため無くなっていましたが、今回当時の姿に復原されました
■サンルームの隣にある旧食堂は喫茶室として営業中で、お昼時ということもあり大繁盛
天井や壁に張り出した荒削りの木材と、中央の大きな暖炉が山荘の雰囲気を巧みに演出しています
■階段の手すりや親柱にはチョーナの削りあとを残し、イングランドのチューダー風の味を出しています
北園から連絡通路を通り南園にある聴松閣を訪れました。南園には洋風の聴松閣と並んで和風の揚輝荘座敷が現存していますが、現在は聴松閣だけが公開されています。
揚輝荘は、いとう呉服店(後の松坂屋)の初代社長伊藤次郎左衛門祐民が開設した別荘なのですが、そもそも揚輝荘と言う建物は存在せず、別荘の1万坪の敷地全体を指して「揚輝荘」と呼んでいました。大正~昭和にかけての最盛期には、大小三十数棟の建物が軒を連ね、テニスコート、弓道場、温室などもあったようです。
今回訪れた聴松閣は昭和12年、宮家や政治家など各界の要人が集まる迎賓館として建てられましたが、祐民の意向でアジアの留学生が寄宿する学生寮として国際交流の場としての役割もになっていたようです。戦後はGHQに接収され、その後松坂屋社員寮として使われ改装が繰り返されましたが、2013年の開館に合わせ創建当初の姿に復元されました。
◆揚輝荘・聴松閣/名古屋市千種区法王町2-5-17
竣工:昭和12年(1937)
設計:竹中工務店
施工:竹中工務店
構造:木造地上3階、地下1階
撮影:2014/11/22
※名古屋市有形文化財
■南園入口
■戦後揚輝荘の敷地はマンションなどの開発が進み、南北に分断されました
■聴松閣全景~外観は柱を外壁に露出したハーフティンバー様式の山荘風で、上高地の帝国ホテルを参考に建設されました
■聴松閣の西隣に建つ揚輝荘座敷
■山荘風の外観ですが、外壁は隣の和館にあわせ、創建時のべんがら色に塗られています。
写真などを見ると戦後外壁が白壁だった時期もあるようで、個人的には山荘風が似合う白も捨てがたい・・・
■建物西側~隣の座敷と結ぶ通路は現在閉鎖されています
■地階の明り取り用の窓が設けられています
■ハーフティンバーの外壁と玄関の石積の柱が、山荘の雰囲気を醸し出しています
■玄関前に鎮座するのはトラでしょうか?
■玄関入口
■北園と結ぶ通路の脇に、伊藤銀行本店ビルに飾られていた「いとう丸」の商標が置かれています
次回は聴松閣内部を探訪します~
本日は連休の中日、絶好の秋晴れということで揚輝荘(名古屋市千種区)の伴華楼がある北園と聴松閣のある南園を訪れました。揚輝荘は松坂屋の初代社長伊藤次郎左衛門祐民によって覚王山に開設された別荘で、当初の敷地面積は1万坪を誇りました。現在敷地の真ん中にマンションが建設され南北に分断されていますが、揚輝荘の建物としては伴華楼(北園)と座敷、聴松閣(南園)が現存しています。
以前北園の伴華楼を訪れた時は、このブログにもアップさせていただきましたが、まだ南園の聴松閣が一般公開前だったので、今回の訪問は建物内部も公開されている聴松閣がお目当てです。まずは伴華楼のある北庭園の紅葉を楽しみました。
■北庭園・伴華楼の紅葉
■北園から日泰寺五重塔を望む
北園をあとに南園にある揚輝荘に向かいます~
最近は朝晩ぐっと冷え込むようになり、冬が駆け足で近づいてきた感じです。
ここのところ日曜に必ず野暮用が入り、午後からしか時間が空かないので、大好きな町歩きで遠出ができず、かなりストレスもたまり気味。
ということで、午後からの時間を利用して、ストレス発散に恒例の日曜ご近所散歩に出かけました。
今日は自宅近くの上街道(木曽街道)を北へ向かい、旧善師野宿までのんびり歩きました。
■合戦橋を渡り上街道を北へ向かいます
■街道沿いに残る石仏や常夜灯などが歴史を伝えます
■名鉄広見線善師野駅界隈~稲刈りの終わった田園地帯を赤い電車が走ります
■尾張パークウェイから善師野方面を望む
■愛嬌があるタヌキの動物注意の道路標識
ちなみに岐阜の笠松競馬場近くには、馬に注意の標識があります
■これはツバキ、それともサザンカでしょうか?
相変わらず花の名前がわかりません。
今日のおともはマイルスの『In A Silent Way』/1969
60年代後半、ジャズにエレクトリック・サウンドを取り入れた後のフュージョンの先駆的作品。
この頃のマイルスグループは、若き日のウェイン・ショーター(サックス)、デイヴ・ホランド(ベース)、トニー・ウィリアムス(ドラム)、ハービー・ハンコック、チック・コリア、ジョー・サヴィヌル(キーボード)、ジョン・マクラフリン(ギター)というそうそうたるメンバーで、まさにジャズ界の梁山泊といったところでしょうか。
ロック少年だったわたしは、70年代後半にチック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーや、ショーター・ザビヌルのウェザー・リポートのフュージョン系から入った口なので、後からこのアルバムを聴いた時は、「マイルスもこんなことやってんだ」と言う感じで、ゴリゴリのジャズよりすんなり聴けた記憶があります。
ジャズやフュージョンとジャンル分けしなくても、良いモノは良いと文句なく言える美しいアルバムで、今でも時々無性に聴きたくなる一枚です。
連休最後の日、午後から市内の公園に散歩に出かけました。
歩くと小一時間かかるので、かなりいい運動です。
子どもたちが小さいとき(かれこれ20年近く前)はよく来たのですが、ほんとに久しぶりです。
紅葉はちょっと早いようですが、色づき始めた木々を見ながらの散歩はリフレッシュできます。
■小高い丘の上にあるひばりが丘公園
■公園の西側はほとんど人がいないので、静かでのんびりできます
■少しだけ紅葉している木々がありました
■公園の前に広がる浄水場~遠くに岡本太郎の「若い太陽の塔」が見えます
■浄水場の横にある京大の霊長類研究所~あの有名なチンパンジーのアイちゃんがいます
■帰り道で見つけた昭和な公民館~窓枠は木製、四連換気ガラリと玄関の柱のタイルが良い感じです
■いつもの川沿いの散歩コースを帰ります
■川沿いでカエルを二匹見つけました
■栗のイガもこれだけ集まると、ちがうものに見えてくるから不思議です
本日のおともはビル・エバンスの『グリーン・ドルフィン・ストリート』
1曲目の「あなたと夜と音楽」の頭のシンバルを聴くとほっこりします。
お気に入りのウイスキーをちびちびやりながら、ビル・エバンスを聴いて過ごす秋の夜長は至福のひと時。
さあ連休最後の今夜は、バーゲンで買ったジムビームを飲みながら、まったりすることにします。
南宮大社の一の鳥居のある交差点から257号線を北へ向かった左手に戦前物件と思われる洋風建築を発見。おそらく垂井宿で唯一の戦前の本格的洋風建築と思われますが、文献等全く未掲載のため詳細は定かではありません。
外観はモルタル塗りで石貼り風の目地を切り、玄関脇にドーンと2本の円柱を立てているのが目を引きます。正面中央に玄関を設けオーダーを配した左右対称の外観は、銀行建築などに良く見かける手法なので、竣工当時は金融機関などに使われていた可能性が考えられます。垂井宿に残る戦前の建物はほとんどが和風建築なので、近代の垂井の町並みの面影を残す貴重な洋風建築としてこれからも残ってほしい建物です。
■ファサード中央上部はなだらかな山型で、彫の浅い装飾は看板建築風
上部の6箇所の正方形の跡には、建物の名称が掲げてあったと思われます
■玄関廻りに施された幾何学模様の装飾が見どころ
撮影:2014/09/28