名古屋市の西に隣接するあま市は、海部郡七宝町、美和町、甚目寺町が合併し、平成22年に誕生しました。その七宝地区の中心、あま市役所七宝庁舎のすぐ西側にある七宝小学校に戦前の講堂が残っています。
講堂は小学校の敷地の南西、校庭に面して建物東妻側に正面入り口を設け、玄関部分が前に突き出た形状になっています。外壁は3つに分かれており、石張りの腰壁の上は下見板張り、窓枠より上は土壁塗りに仕上げています。玄関上部の3連換気ガラリの下と窓枠の上はタイル張りで、妻壁にはセセッション風の装飾が見られます。
これまで愛知県下の戦前の講堂としては、瑞陵(名古屋市)、小牧、津島、西尾などの高校で現存確認していますが、小学校の講堂は今回が初めてです。おそらく小学校の講堂建築としては現存例が少なく、県下でもかなり貴重な存在と思われます。これからも末永く七宝町の近代遺産として保存されることを願うばかりです。
■建物北東面
■玄関部
■玄関上部の換気口と装飾
■建物南西面~窓は上下2段で窓の間の小壁には装飾の施され、上部の小壁はスクラッチタイル張り
■建物北西面~西側の出っ張った部分は舞台裏になっています
■南門の門柱も竣工当時のまま残されています
◆七宝小学校講堂/愛知県あま市七宝町桂角田1777
竣工:昭和11年(1936)
構造:木造
撮影:2016/05/04
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このサイトで紹介させていただいた学校建築に関して、卒業生の方からよくコメントをいただきます。
やっぱり母校の建物には皆さん思い出が多いようで、それが戦前からの古い建物ととなると、もうう学校の歴史そのものです。
七宝小学校の講堂は、県下でも希少な現存例で、卒業生の皆さんの思い出が詰まったまま保存されると良いですね。
私がいた時代の玄関は物置として、昭和中頃まで存在した剣道部のものと思われる古びた剣道具などがそのまま置かれて埃をかぶっていました。
床下に潜って入れるだけの隙間があるため、死体があるとか幽霊の噂もあり怖がって必要な時以外入らない子もたくさんいました。
床はミシミシと鳴り、少し狭くかなり暗いため体育などでは使いませんが、プールの着替えや音楽合唱会その練習、学年集会などでは普通に使われていました。
私の時代は毎日お昼放課後の掃除の時間に2人入ってモップがけをします。舞台裏や天井を探検した思い出が蘇りました。