旧東海道は松田橋の交差点で国道1号線と合流した後、新堀川の手前で再び左に分岐しJR東海道本線の踏切を渡ります。
■国道1号線と分岐した旧街道は新堀川の手前で東海道線の踏切をわたります
■前方に新堀川に架かる熱田橋が見えてきました
■熱田橋を渡ると伝馬町、東海道五十三次の41番目の宿場町「宮宿」で栄えた宮地区に入ります
■名鉄常滑線のガードをくぐると公園内に宮地区の歴史を案内した看板が設置されています
■伝馬町を進むと名古屋城下へ向かう美濃路とぶつかります
■国道19号を渡ると終着「七里の渡し」です
■七里の渡し跡は公園として整備され、鐘楼と常夜灯が復元されています
■熱田荘/明治29年(1896)
旧船着場の前に料亭(魚半)として建てられました。現在は高齢者の福祉施設として再利用されています。
■旧魚半別邸/大正13~昭和3年~魚半の別邸として建てられた洋館と和館が現存しています
旧東海道(県道222号)と国道1号が合流する松田橋交差点北西角にある八丁畷公園内に松田橋遺構が復元されています。
公園の説明看板によるとかつてこの辺りには用水が通っていて、松田橋という小さな橋が架かっていました。
橋の撤去に際し保存されていた親柱を使い、平成5年公園内に松田橋が復元されました。
大正の年号が刻まれた石造の親柱の丸く削った柱頭には、セセッション風のシンプルな装飾が施されています。
■3本の親柱と石橋が復元されています
■公園内にある説明看板
■大正十四年?の銘がある親柱
■現在の松田橋交差点~小さな石橋が架かっていた90年前に誰がこの風景を想像できたでしょう?
撮影:2015/11/03
鳴海の丹下常町夜灯から笠寺方面へ旧街道を1kmほど歩くと天白橋です。
■天白川に架かる天白橋を渡ると緑区から南区へ入ります
■「やじきた道中」のイラストをあしらった東海道の案内板
■名古屋で唯一残る笠寺一里塚
■旧街道ならではのゆるやかなカーブの狭い道が続きます~国旗を掲げている古い商店(浅安製帽)は昭和6年築
■笠寺観音の前を通り笠寺商店街を抜けます
■名鉄本笠寺駅の踏切を過ぎると交差点を右折、名鉄線沿いに北へ向かいます
■笠寺から呼続へ向かう旧街道沿いの町並み
■呼続郵便局前の理髪店~ねじれた柱と豆タイルが素敵です
■名鉄呼続駅周辺で見つけた昭和な建物たち~看板建築風ファサードの昭和な銭湯「呼続温泉」
■呼続温泉前の酒屋の屋根にズラリと並ぶ木製看板
■呼続駅前にぽつりと残るレトロな雑貨店はまさに昭和のエアポケット
次回は山崎川を渡り瑞穂区へ、いよいよ七里の渡しのある終点宮宿も間近です
今回の旧街道歩きで鳴海を訪れたついでに、2009年名鉄自動車学校(旧鳴海球場)訪問時に見つけた洋館住宅を再訪。
特に外観も変わりなく健在で、まずは一安心。
旧街道へ戻る途中新たな一部洋館住宅も見つけたので、今回は寄り道をしたかいがありました
◆名鉄自動車学校前の洋館/名古屋市緑区鳴海町白山
竣工:昭和5年頃(1930)
構造:木造2階建
■この周辺は名鉄が戦前に開発した住宅地で、なるみ荘と呼ばれました。
ファサードはドイツ壁に木骨の装飾を施し、半切妻屋根が左右非対称なのが面白いところ。
■同じ住宅地で偶然見つけた名鉄開発時の面影を残す一部洋館住宅。
こちらは急勾配の切妻屋根にアールデコ風の窓割りが見どころ。
有松をあとに名鉄の踏切を過ぎてさらに旧東海道を東へ進むと、平部北の交差点に立派な常夜灯があります。
この平部常夜灯が鳴海宿の東の端にあたり、ここから500mほど先にある扇川を超えると鳴海宿の中心です。
■平部常夜灯
鳴海宿の東の出入り口平部町に建てられたもので、その規模は道中でも有数のものといわれています(案内看板より)
■扇川を越えたあたりの鳴海宿の町並み~中央の縦長の建物は相原町唐子車山車倉(明治11年築)
■クランク状に曲がる曲の手を過ぎると鳴海宿の中心本町です(本町の交差点を南へ向かうと名鉄鳴海駅)
左手の御菓子司菊茂富は昭和元年築
■鳴海宿の中心に残る看板建築風のモダンな商店
■2009年鳴海訪問時に確認した薬局と自転車屋さんは当時のまま永久に閉店中でした
■作手交差点を右に曲り街道は北へ向かいます
■作手交差点の北500mあたりに建つ丹下町常夜灯を過ぎ鳴海宿をあとにします
次回はちょっと寄り道、鳴海で見かけた洋館住宅を紹介します...
旧東海道は大将ヶ根の信号で1号線と分岐、西へ向かうとほどなく絞りで有名な有松に入ります。
■分岐してすぐ左手にある古い町屋。ここからは旧街道の風情を残す町並みが見られます
■有松郵便局は戦前の洋館建でしたが建て替えられ、丸ポストだけが残されています
■街道沿いには江戸~大正期頃の商家や町屋が建ち並び、往時をしのばせます
ここから西側の街道沿いは有松町並み保存地区の中心で、文化財指定に指定された建物が並びます
■連子格子に虫籠(むしこ)窓の塗籠造の商家や、海鼠壁のある漆喰塗りの土蔵などが往時の旧街道の雰囲気を伝えます
■井桁屋(服部家住宅)/江戸末~明治期(県指定文化財)
■旧街道沿いで唯一見つけた一部洋風住宅
■レトログッズを陳列した商店のショーウインドウ
■名鉄有松駅南の交差点の西側にも有松の古い町並みが続きます
■竹田家住宅/江戸期(名古屋市有形文化財)~黒塗りの土蔵がひときわ目を引きます
■丸ポストの似合う懐かしい町並みがまだ名古屋市内にも残っています
■有松の町並みの西の端、名古屋第2環状自動車道の高架が見えてきました
次回は有松を抜け鳴海宿に向かいます・・・
11月3日文化の日、旧東海道を歩きました。
名鉄名古屋本線前後駅(豊明市)を下車、駅のすぐ北側を通る旧東海道(現県道222号線)を鳴海宿方面へ向かいます。
■名鉄前後駅~地名由来の珍しい駅名。そう言えばむかし、「後ろから前から」なんていう歌謡曲もありましたっけ...
ちなみに名鉄には「道徳」、「五ノ三」なんていう学校を思わせる駅名もあります。
■前後駅西側の踏切近くに残る古い商店は昭和30年代で時が止まっています。トレードマークのスカートの女の子がナイスです!
■前後駅から旧街道を国道1号線合流地点まで、昔の面影を残す古い建物はほとんど残っていません。
かろうじて下の様な町屋が数えるほどといった状況です。
■国道1号線合流地点。向かって右が旧東海道です。
■国道1号線は中京競馬場駅前駅のすぐ東側で名鉄のガード下を通り、この辺りから豊明市から名古屋市緑区に入ります。
■東海道沿いの豊明市から名古屋市の緑区にかけては、戦国時代に今川義元と織田信長が戦った桶狭間の戦にゆかりのある場所として有名。
中京競馬場前駅のすぐ南にも「桶狭間古戦場伝説地」の史蹟があります。
桶狭間の戦いの主戦場の位置や、義元の最後の地に関しては諸説あるようで、この辺り一帯は史蹟だらけになっています
■国道1号線と合流した旧街道は、大将ヶ根の交差点から再び分岐、有松に向かいます。(向かって右が旧街道)
次回「有松編」に続きます~~