■下の2枚の写真は、数枚に分割された看板を並べてひとつの看板にする分割方式です。
縦・横・斜めのディスプレイが可能で、壁面にあわせて臨機応変に対処できます。
岐阜県可児市
岐阜県各務原市
■下の2枚は昭和の暮らしが偲ばれるホーロー看板。
「えびす綿」の商品名が時代を感じさせます。
愛知県江南市
■練炭火鉢は、昭和40年代までは一般家庭で使用され、暖房はもちろん煮物もできて大変重宝しました。
我が家では大晦日になると、おせち料理の黒豆を煮るのに大活躍していました。
使用済みの練炭は七輪を逆さにすると、レンコンの様な穴のあいた円筒形の灰のかたまりが出てきます。
それを足で踏んだり棒で崩すのが大好きで、練炭火鉢の灰捨ては、冬場のわたしの楽しみでした。
長野県妻籠
■シンプルな看板ですが、黄色に黒文字のロゴは一度見たら忘れられません。
肛門科だけに、「たじみ(多治見)」を「たぢみ」と書くセンスはベタながら秀逸で、私好みです。
愛知県江南市
肥料や薬品の看板も良く見かけます。
製品名やメーカー名だけのシンプルなデザインながら、なかなか味のある看板が多いようです。
■押し合いへし合い
「マグホスさん、もう少し奥につめてください。多木さん、押さないで」
「別府さん、そんなこと言っても奥はしき島さん一家でいっぱいですよ」
「ちょっと住友さん、いつまでわしら一家の上に乗れば気が済むのかね」
岐阜県美濃市
■大人の関係
「トモエさん、もう少しそばに来ませんか」
「住友さん、つかず離れずのこの距離がいいんです」
愛知県犬山市
■読んで字のごとく、「完全な飼料」ですが、何か?
愛知県江南市
■ブルーに白の文字が際立ちます
岐阜県八百津町
■こちらは黄色にカタカナのロゴが印象的でドリンク剤と間違えそうです。
愛知県犬山市
食品会社のホーロー看板は比較的数が多く、特に醸造関連(味噌・醤油・酒など)の看板はまだ街角で発見できる確率が高いようです。
■最近はレトロブームでホーロー看板の人気が高く、昭和の雰囲気を演出するために店の壁や店内にディスプレイしてあるのを良く見かけます。
下の写真は、ホーロー看板を木製台座に貼り付け、店のブロック塀に取り付けてありますが、文字通りとって付けた感は否めません。
ホーロー看板はやっぱり田舎の古びた小屋の壁で、朽ち果てていくのが似合うような気がします。
愛知県常滑市
■オリエンタルカレーと言えば南利明のTVCMを思い出す。
「メッチャメチャ、ウミャーデカンワ、ハヤシモアルデヨ!」
名古屋弁丸出しのフレーズが懐かしい。
愛知県江南市
■「だっこちゃん」そっくりのコックさんのトレードマーク入り
岐阜県各務原市
■全国各地の地酒の数だけホーロー看板があるといっても過言ではありません。
岐阜県美濃加茂市
岐阜県八百津町
■味噌・醤油も地方メーカーの看板がたくさんあります。
愛知県碧南市
■トレードマークの男の子がかわいい!(名前はトミーにちがいない)
愛知県半田市
■全国ブランドの二大メーカーそろい踏みです。
岐阜県美濃加茂市/残念ながら撤去されました
■中二の夏、部活の帰りに飲んだ駄菓子屋のファンタオレンジ(もちろんビン入り)の味は忘れません。
中三の夏、いつも入りびたっていた友達の家では、スプライトではなくキリンレモンをビンごと出してくれました。ビートルズやツェッペリンのレコード聴きながら飲んだキリンレモンの味は、遠い夏の日の思い出です。
愛知県安城市
昭和30年代に全盛期を迎えたホーロー看板も、TVコマーシャルの登場により昭和40年代以降、その姿は徐々に消えていきます。
ところが昭和40年代にホーロー看板の歴史の最後を飾るべく「超強力オールスター・ホーロー看板軍団」が街角を席巻します。あのオロナミンCやポカリスエットの大塚グループが、当時放映したTVCMにあわせて、CMに出演中の文字通りの看板俳優やタレントを前面に押し出した新しいタイプのホーロー看板を大量生産したのです。
この「大塚看板役者五人衆/大村崑・松山容子・浪速千栄子・由美かおる・水原弘」のホーロー看板は日本全国津々浦々、都会から田舎町まであまねく行き渡り、誰もが知る昭和のホーロー看板の代名詞になりました。(ちなみに昭和40年代を描いた映画や漫画には大塚ホーロー軍団が必ず登場します)
■オロナミンC/大村崑
オロナミンCの看板は時代により数バージョンあるようだが、「うれしいとメガネが落ちる」のは共通している。
このノーマル・バージョンが一番多く、現在でも地方では見つけることができる。
採集場所:愛知県常滑市
■黄金バット・バージョン
サビがひどく分かりにくいが、右下には黄金バットが踊っている。
上のノーマル・バージョンに当時提供していたアニメ番組(黄金バットの他、アタックNo.1、天才バカボン、巨人の星、ミラーマン)のキャラクターが描かれている。
生息数は極めて少なく発見はかなり難しい。
採集場所:犬山市
■ボンカレー/松山容子
今の若者には絶対誰だか分からない「お姫様スター松山容子」がにっこり微笑む。
ボンカレーと言えばレトルトカレーの元祖で、当時新発売のカレーを家族全員でわくわくしながら食べたのを今でも覚えています。
それにしても和服姿の女優と「牛肉・野菜入り」の直球勝負のコピーは時代を感じさせます。
採集場所:愛知県常滑市
■オミズ(水原弘)&かおるのペア看板
少年時代に見た由美かおるの白い足は一生の思い出です。
あっ、オミズの思い出は特にありません。
採集場所:愛知県犬山市/残念ながら撤去されました
■ゴキブリがリアルな「ごきぶりホイホイ」の看板
「ホイホイ」というネーミングが昭和ぽくっていいです。
我が家も愛用していましたが、捕獲された紙の家の中のごきぶりを見るたびに気持ちがなえました。
採集場所:愛知県江南市
琺瑯看板とは文字通り琺瑯製の広告看板のことで、戦前から作られていましたが昭和30年代に全盛期を迎えました。しかしその後TVコマーシャルの登場により琺瑯看板の需要は激減し、現在では街角でその姿を見かけることも少なくなりました。それでも昭和40年代までは、TVコマーシャルに出演している俳優やタレントが登場する琺瑯看板が街角にたくさんありました。ボンカレーの松山容子、オロナミンCの大村崑、アース蚊取りの由美かおるは、昭和の琺瑯看板スターの不動のクリーンアップと言えるでしょう。
今回は近代建築探訪の際に見つけた、昭和40年代を代表する蚊取り線香の琺瑯看板を紹介します。
■琺瑯看板群生地の様子
大量発生中の消費者金融の看板の片隅でひっそりと生息しています。
残念ながら下の写真の群生地は2箇所とも撤去されてしまいました。
愛知県丹羽郡扶桑町
愛知県犬山市
■蚊取り線香の動物御三家~金鳥・ライオン・月虎
現在も比較的生存率の高い看板ですが、最近は生息場所(古い木造建築)ごと撤去される事例が多く、絶滅も時間の問題です。
なぜか蚊取り線香メーカーは動物をトレードマークにしています。
採集場所:岐阜県多治見市
採集場所:愛知県丹羽郡大口町/撤去確認
採集場所:愛知県犬山市/撤去確認
橋を渡るとすぐ左側に小学校と中学校があります。
昭和33年7月の銘があるので、半世紀にわたり子どもたちがこの橋を渡って登校してきました。
これからもずっと子どもたちを見守ってくれることでしょう。
ちなみに向こう側の親柱には「下校橋」の銘はありません。
撮影:犬山市 2009/6
河原の石を拾ってそのまま売っている男の話ですが、この販売所の石は一応台形に加工してあるようです。
良く見ると石の下に紙があるので、ペイパーウェイトとして使うということでしょうか?
それにしても「一個二十円」と言う値段が気になります。
十円か五十円にした方が、きりがいいのではと思いますが、「なぜ二十円なんだ」と思わずつぶやいてしまいます。
新田次郎原作の「剱岳・点の記」が映画化され、犬山市の博物館明治村でロケが行われました。
映画のほとんどは剱岳を中心とした山岳シーン(木村監督の撮影が素晴らしい)ですが、舞台が明治40年頃という設定なので、当時の陸軍関連の建物や、主人公夫婦の住宅、SLや市電のシーンが明治村で撮影されています。
犬山在住の近代建築ファンとして、映画に登場する明治村の建物を分かる範囲でご紹介したいと思います。
■北里研究所本館・医学館/大正4年
映画では主人公の測量官、柴崎芳太郎(浅野忠信)が勤務する陸軍参謀本部陸地測量部の建物として使われています。
映画の冒頭、柴崎はこの建物の一室で上司の陸軍のお偉いさんたちに、前人未踏の剱岳の山頂に三角点埋設と言うとんでもない至上命令を受ける。
柴崎が日本山岳会の小島烏水(仲村トオル)とすれ違う廊下。
この場面ではまだお互いの存在を知る由もないが、後に剱岳初登頂を争うことになる。
■京都市電/明治43年~44年製造
柴崎が通勤に利用している都電の設定。写真の京都七條駅を柴崎の自宅近くの神田の停車場に見立て、妻の葉津よ(宮崎あおい)が夫の帰りを出迎えるというシーンが撮影された。
■森鷗外・夏目漱石住宅/明治20年
柴崎夫婦の新婚家庭。撮影は実際の部屋をそのまま使用。
浅野忠信と宮崎あおいが、いかにも明治時代らしい初々しい夫婦を演じている。
■第四高等学校武術道場「無声堂」/大正6年
柴崎が剱岳登頂のアドバイスを受けに測量部OB古田盛作(役所公司)を訪ねた弓道場。
建物は柔道、剣道場で、一番奥に弓道場がある。
■幸田露伴住宅「蝸牛庵」/明治初年
測量部OBの古田の自宅も登場するが、外観が写らず未確認。(たぶん幸田露伴住宅では・・・)
■三重県尋常師範学校・蔵持小学校/明治21年
柴崎が古田を訪ねる(二回目の訪問)図書館?の設定。建物をバックに剱岳登頂について相談する。
■SL東京駅
柴崎が列車から降り立つ富山駅プラットホームとして使用。柴崎が乗車する蒸気機関車も村内で動態展示されている100年前の現役のSLが使われている。ここで案内人の宇治長次郎(香川照之)と初めて出会う。
富山駅の正面からの撮影は、富山地方鉄道の岩峅寺駅が使われている。
■三重県庁舎/明治12年
陸軍のお偉いさんのいる司令部として使用。柴崎の剱岳登頂の知らせを、柴崎の直属の上司である玉井大尉(小澤征悦)が報告に走るシーンで使われた。
しかし剱岳の頂上には柴崎たちが思いもかけないあるものが待ち受けていた・・・・以下映画をご覧ください。
新田次郎の書く山岳小説は昔から大好きでした。以前映画化された新田作品では、「八甲田山」が忘れられません。
今回の作品も同じカメラマン木村大作がメガホンを取り、剱岳の自然の美しさと厳しさをストレートに見せてくれます。ほとんどが現地の山岳ロケで、昨今流行のCGは一切使われておらず、本物の山の美しさが大スクリーンで堪能できます。
ちなみに少しだけ出てくる建物のシーンも、セットではなく明治村などでロケをした本物の近代建築が使われています。