■白い洋風の建物は旧津島信用金庫
■風情のある元うどん屋さんの建物
■昔ながらの造り酒屋
■昭和へタイムスリップしたような街角
■屋根神様がある町屋
■津島神社隣の老舗の料理旅館
■持送りのアールデコ調デザインに過ぎ去りし時代を感じます
■煉瓦塀と蔵のある風景
■細かく仕切られた木製の窓枠と手摺が見どころ
■思わず歩きたくなる風情のある小路
撮影:2016/05/04
かなりアップが遅れましたが、5月の連休に津島駅西側の津島神社、天王川公園周辺の古い町並みを散策しました。
この界隈はまだまだ古い町屋や商店などが残っていて、昭和ディープな建築散歩が楽しめます。
■大手チェーンのドラッグストアが増え、今や昔ながらの薬局は風前のともしびです
■こちらは地元の常連さんが通う昔ながらの「床屋さん」
いつまでも元気で営業して欲しいものですが、ほとんどの店は今のオヤジさんの代で終わってしまうのだろうなあ~
■ファサードが石張り風のレトロな商店をリニューアル
■何とも風情のあるたたずまい!屋号の「桔梗屋」も良し
■靴・履物 下駄理(げたり)の看板が良い味
「げたり」という屋号にも昭和の哀愁が漂います・・・
■おそらくオーダーメードの背広の仕立屋さんだと思われます
そう言えば私の父は着道楽で、近所の仕立屋さんであつらえた背広を何着も持っていました
もちろんわたしは既製品ですが、今でもオーダーの背広は庶民にはかなりの贅沢です
撮影:2016/05/04
金時湯や中京幼稚園がある名駅の西側、中村区役所界隈には戦前の古い建物が点在しています。
高層ビルが立ち並ぶ名古屋駅から徒歩15分ほどの所で、昭和の名古屋の街角散歩が楽しめます。
■金時湯の東にあるレトロな不動産屋。昭和を感じさせる窓割りがたまりません。
■中京幼稚園のすぐ南側に残る戦前物件と思しき文化住宅。
■半切妻の屋根とドイツ壁が良い味です。
■戦前の町屋建築
■名古屋の真ん中にまだこんな古民家が残っています。
■すぐ東側には名駅の高層ビル群がそびえます。
撮影:2016/01/10
旧東海道は松田橋の交差点で国道1号線と合流した後、新堀川の手前で再び左に分岐しJR東海道本線の踏切を渡ります。
■国道1号線と分岐した旧街道は新堀川の手前で東海道線の踏切をわたります
■前方に新堀川に架かる熱田橋が見えてきました
■熱田橋を渡ると伝馬町、東海道五十三次の41番目の宿場町「宮宿」で栄えた宮地区に入ります
■名鉄常滑線のガードをくぐると公園内に宮地区の歴史を案内した看板が設置されています
■伝馬町を進むと名古屋城下へ向かう美濃路とぶつかります
■国道19号を渡ると終着「七里の渡し」です
■七里の渡し跡は公園として整備され、鐘楼と常夜灯が復元されています
■熱田荘/明治29年(1896)
旧船着場の前に料亭(魚半)として建てられました。現在は高齢者の福祉施設として再利用されています。
■旧魚半別邸/大正13~昭和3年~魚半の別邸として建てられた洋館と和館が現存しています
鳴海の丹下常町夜灯から笠寺方面へ旧街道を1kmほど歩くと天白橋です。
■天白川に架かる天白橋を渡ると緑区から南区へ入ります
■「やじきた道中」のイラストをあしらった東海道の案内板
■名古屋で唯一残る笠寺一里塚
■旧街道ならではのゆるやかなカーブの狭い道が続きます~国旗を掲げている古い商店(浅安製帽)は昭和6年築
■笠寺観音の前を通り笠寺商店街を抜けます
■名鉄本笠寺駅の踏切を過ぎると交差点を右折、名鉄線沿いに北へ向かいます
■笠寺から呼続へ向かう旧街道沿いの町並み
■呼続郵便局前の理髪店~ねじれた柱と豆タイルが素敵です
■名鉄呼続駅周辺で見つけた昭和な建物たち~看板建築風ファサードの昭和な銭湯「呼続温泉」
■呼続温泉前の酒屋の屋根にズラリと並ぶ木製看板
■呼続駅前にぽつりと残るレトロな雑貨店はまさに昭和のエアポケット
次回は山崎川を渡り瑞穂区へ、いよいよ七里の渡しのある終点宮宿も間近です
有松をあとに名鉄の踏切を過ぎてさらに旧東海道を東へ進むと、平部北の交差点に立派な常夜灯があります。
この平部常夜灯が鳴海宿の東の端にあたり、ここから500mほど先にある扇川を超えると鳴海宿の中心です。
■平部常夜灯
鳴海宿の東の出入り口平部町に建てられたもので、その規模は道中でも有数のものといわれています(案内看板より)
■扇川を越えたあたりの鳴海宿の町並み~中央の縦長の建物は相原町唐子車山車倉(明治11年築)
■クランク状に曲がる曲の手を過ぎると鳴海宿の中心本町です(本町の交差点を南へ向かうと名鉄鳴海駅)
左手の御菓子司菊茂富は昭和元年築
■鳴海宿の中心に残る看板建築風のモダンな商店
■2009年鳴海訪問時に確認した薬局と自転車屋さんは当時のまま永久に閉店中でした
■作手交差点を右に曲り街道は北へ向かいます
■作手交差点の北500mあたりに建つ丹下町常夜灯を過ぎ鳴海宿をあとにします
次回はちょっと寄り道、鳴海で見かけた洋館住宅を紹介します...
旧東海道は大将ヶ根の信号で1号線と分岐、西へ向かうとほどなく絞りで有名な有松に入ります。
■分岐してすぐ左手にある古い町屋。ここからは旧街道の風情を残す町並みが見られます
■有松郵便局は戦前の洋館建でしたが建て替えられ、丸ポストだけが残されています
■街道沿いには江戸~大正期頃の商家や町屋が建ち並び、往時をしのばせます
ここから西側の街道沿いは有松町並み保存地区の中心で、文化財指定に指定された建物が並びます
■連子格子に虫籠(むしこ)窓の塗籠造の商家や、海鼠壁のある漆喰塗りの土蔵などが往時の旧街道の雰囲気を伝えます
■井桁屋(服部家住宅)/江戸末~明治期(県指定文化財)
■旧街道沿いで唯一見つけた一部洋風住宅
■レトログッズを陳列した商店のショーウインドウ
■名鉄有松駅南の交差点の西側にも有松の古い町並みが続きます
■竹田家住宅/江戸期(名古屋市有形文化財)~黒塗りの土蔵がひときわ目を引きます
■丸ポストの似合う懐かしい町並みがまだ名古屋市内にも残っています
■有松の町並みの西の端、名古屋第2環状自動車道の高架が見えてきました
次回は有松を抜け鳴海宿に向かいます・・・
11月3日文化の日、旧東海道を歩きました。
名鉄名古屋本線前後駅(豊明市)を下車、駅のすぐ北側を通る旧東海道(現県道222号線)を鳴海宿方面へ向かいます。
■名鉄前後駅~地名由来の珍しい駅名。そう言えばむかし、「後ろから前から」なんていう歌謡曲もありましたっけ...
ちなみに名鉄には「道徳」、「五ノ三」なんていう学校を思わせる駅名もあります。
■前後駅西側の踏切近くに残る古い商店は昭和30年代で時が止まっています。トレードマークのスカートの女の子がナイスです!
■前後駅から旧街道を国道1号線合流地点まで、昔の面影を残す古い建物はほとんど残っていません。
かろうじて下の様な町屋が数えるほどといった状況です。
■国道1号線合流地点。向かって右が旧東海道です。
■国道1号線は中京競馬場駅前駅のすぐ東側で名鉄のガード下を通り、この辺りから豊明市から名古屋市緑区に入ります。
■東海道沿いの豊明市から名古屋市の緑区にかけては、戦国時代に今川義元と織田信長が戦った桶狭間の戦にゆかりのある場所として有名。
中京競馬場前駅のすぐ南にも「桶狭間古戦場伝説地」の史蹟があります。
桶狭間の戦いの主戦場の位置や、義元の最後の地に関しては諸説あるようで、この辺り一帯は史蹟だらけになっています
■国道1号線と合流した旧街道は、大将ヶ根の交差点から再び分岐、有松に向かいます。(向かって右が旧街道)
次回「有松編」に続きます~~
伊勢神宮周辺のちょっと気になる建物を紹介します。
■外宮前の旅館山田館~今では珍しい木造三階建ての和風旅館
■内宮前のおはらい町通りの看板建築風食堂~ファサードの装飾がモダン
■神宮道場(旧神宮司庁舎)/伊勢市宇治浦田町
竣工:明治36年(1903)
設計:伊東忠太・駒杵勤治
構造:木造平屋
■その名も神都印刷
■下見板張りの洋風住宅
■その名も「ジャズ喫茶城」~見た通りです
撮影:2015/09/21
江戸時代からのお寺を中心に町屋や蔵など、いわゆる和モノ建築が建ち並ぶ町を散策するのはもちろんそれはそれで楽しいのですが、路上の目玉(藤森先生的表現)は無意識にひと味違う好物の洋モノ物件を求めさまよっているのでした。
そして古い町屋の隣にお目当ての洋モノオーラを放つ戦前物件を発見すると、これはもう一気にハイテンション、町歩きの醍醐味は最高潮に。これだから町歩きはやめられません
■丸ポストが残る旧一身田郵便局の建物
説明看板の写真を見ると、昔は下見板張りの洋風局舎だったのですが、外壁は完全にリフォームされ原形をとどめません。
しかし良く見ると軒下の装飾はそのままで、当時の面影を残しています。
■戦前の昭和の記憶をとどめる一部洋館付住宅
■コンクリートの防火壁に残る幾何学模様は過ぎ去った時代の記憶を今に伝えます
■一身田小学校の校門にも昭和モダンなデザインが残されていました
撮影:2015/05/03
一身田は高田本山専修寺を中心に発展した戦国時代から続く歴史ある寺内町で、広大な寺院の敷地の外周には排水や外敵に備えた水掘『環濠』が現在もほぼ完全な形で残されています。専修寺の広大な境内に建ち並ぶ建造物はほとんどが重要文化財、宝物館には親鸞聖人直筆の書をはじめ国宝・重文の収蔵品が多数集められています。
現在も寺内町の町並みには、江戸末~明治期に建設された切妻造・平入り・桟瓦葺の町屋が多数残っていて、ちょっと前まで日本各地に残っていた懐かしい街角の風景を思い起こさせてくれます。
■高田本山専修寺山門(1704年築/重文指定)
境内には御影堂や如来堂など10棟以上の重文に指定された建造物が建ち並んでいます
■蔵が並ぶ町を歩いていると、しみじみ日本を感じます...
■古い町屋が残る環濠沿いの町並み
撮影:2015/05/03
松阪城跡周辺の古い町並みで見つけたわたし好みの建物たち。
■松阪城御城番屋敷の石畳
■時代を感じる洋館付住宅
■どこか懐かしい昭和な建物たち
■松阪をあとに次なる目的地津市一身田に向かいます
撮影:2015/05/03
JR松阪駅の西側を南北に通る旧伊勢街道には昭和の風情が残る古い町並みが残っています。
■昭和30年代にタイムスリップしたような、映画のセットを思わせる町並み
■丸ポストが昭和な雰囲気を醸し出します
■街道沿いのレトロな商店
撮影:2015/05/03
円頓寺商店街を東へ抜けると、堀川沿いに四間道と美濃路が並んで通っています。
美濃路は熱田で東海道から分岐し、家康による「清州越し」で整備された本町通を北へ進み、現在の伝馬町本町交差点から伝馬通を西へ向かいます。伝馬橋を渡るとすぐに堀川に沿って北上し、清須を経て最終的には岐阜県の垂井に至ります。
伝馬橋~中橋~五条橋までの界隈は、豪商の蔵や古い町屋が軒を並べる町並み保存地区で、堀川の水運でにぎわった当時の町の様子がしのばれる空間です。
■伝馬橋の西で美濃路は堀川沿いを北上
■美濃路の西側を並行して四間道が通る
伝馬橋のすぐ上流中橋~五条橋間が町並み保存地区に指定されている
■四間道沿をはさんで、東側には土蔵、西側には町屋が並ぶ独特な景観
■ずらりと蔵が並ぶ景観は、都心ではここだけしか残っていない
■堀川沿いの美濃路の景観
■戦前モノと思われる右書きの消火栓の琺瑯看板
■四間道町並み保存地区の北端五条橋
そら豆(旧三越湯)のある名駅3丁目北の交差点を北へ向かうと、すぐに那古野交差点です。
この交差点で十数年前に伊信ビルを撮影したのが懐かしく思い出され、ここ十年で取り壊された名古屋の近代建築に思いをはせながら歩いていると、すぐに円頓寺商店街のアーケードが見えてきました。
今回は久しぶりに、今は懐かしい昭和の雰囲気が残る円頓寺商店街を歩いてみました。
■那古野交差点のすぐ北の信号交差点を東へ入ると円頓寺商店街です
アーケード入口の「円頓寺本町」のロゴが昭和レトロしてました
■アーケードの中に入ると、地元の買い物客でなかなかのにぎわい
■こんな昭和な本屋さん、昔はどこの町にもありました~「結婚したら、主婦の友」の看板が泣かせる
■名古屋といやあ~、おみゃあ~さん、やっぱシャチホコだがね!
■後ろの文具屋さんの看板が懐かしい~
中学時代はパイロットの万年筆も三菱のユニも持ってました!
■堂々たる看板建築。石張り風のファサードのてっぺんには屋号が入ります
■装飾入りの木製窓枠と黒の豆タイルがたまりません
■ビルの横にへばりつくように残る昭和の記憶
■途中の円頓寺交差点にはなぜか黄門様が・・・・
■店先にはもう風鈴が出ていました
■懐かしの昭和な看板2連発
昔ながらの酒屋さんの看板は、やっぱこれじゃなくっちゃ。
■子どもの頃よく飲んだ「初恋の味」。トレードマークが懐かしい~。
あらためて気づいたのですが、「滋養」ではなく「滋強飲料」だったのですね・・・
■やはり円頓寺にも銀座街がありました。
全国いたるところにある「〇〇銀座」には、昭和の記憶が詰まっています。
■商店街の東のはずれは、立派な蔵造の建物が並ぶ四間道、美濃路、五条橋と続きます。
■旧杉本家蔵/大正4年(1915)築~市内では珍しい石積みの蔵で、栃木県宇都宮産の大谷石が使用されている。
■堀川に架かる五条橋から円頓寺商店街入口を望む。
撮影:2015/04/26