松阪城跡周辺の古い町並みで見つけたわたし好みの建物たち。
■松阪城御城番屋敷の石畳
■時代を感じる洋館付住宅
■どこか懐かしい昭和な建物たち
■松阪をあとに次なる目的地津市一身田に向かいます
撮影:2015/05/03
JR松阪駅の西側を南北に通る旧伊勢街道には昭和の風情が残る古い町並みが残っています。
■昭和30年代にタイムスリップしたような、映画のセットを思わせる町並み
■丸ポストが昭和な雰囲気を醸し出します
■街道沿いのレトロな商店
撮影:2015/05/03
松阪工高のすぐ東側の住宅地で偶然見つけた洋館です。
外観のデザインからすると戦前物件、それも個人住宅としてはかなり本格的なグレードの高い西洋館です。
文献等未掲載ですが、多彩な屋根の表情や玄関廻りの装飾に、戦前の洋風住宅ならではのこだわりが感じられる優良物件です。
松阪工高から城下町の風情を残す町並みをさらに南へ向かい、今回の松阪近代建築探訪の大トリ、白粉町にある松阪地区医師会館を訪れました。古い町並みにひときわ輝きを放つこの建物は、大正初期に松阪水力電気(株)の本社として建設されました。典型的な初期の鉄筋コンクリート建築で、外壁や外周の柱は鉄筋コンクリート、2階床や屋根は木造になっています。
角地に建つ建物はコーナーを丸くし、そこに出入り口を設けたいわゆる隅丸(すみまる)建築で、玄関両脇に2階分の高さの古典様式のオーダーを配してファサードを強調しています。外壁はコンクリートと煉瓦タイルのコントラストが絶妙で、玄関上部のパラペットや2階窓下の逆三角形や方形の装飾、玄関庇の持送りなど細部に大正期ならではのアールデコの影響が感じられます。
江戸の風情が残る古い城下町の片隅に残る大正のアールデコ建築は、歴史を重ねながら今なお西洋館特有の妖しいオーラを放ち、その圧倒的な存在感でわたしたちを魅了してくれます。
■建物正面~隅丸の玄関まわりの装飾が見どころ
■建物側面
■細部に宿るアールデコの装飾
◆松阪地区医師会館/旧松阪水力電気(株)本社(三重県松阪市白粉町363)
竣工:大正2年(1913)頃
構造:RC造2階建
撮影:2015/05/03
松阪城跡の南側に隣接する御城番屋敷(江戸時代末松阪城の警護にあたった紀州藩士の屋敷)の石畳を抜けると、県立松阪工業高等学校があります。古い御影石の校門のすぐ左手に、白い壁に朱色の下見板が映える建物がすぐ目に入ります。
この建物は明治41年旧三重県立工業学校製図室として建てられたもので、建物は木造平屋建瓦葺き、外観はコンクリート基礎の上を赤く塗られた下見板で張り、上部は白い漆喰塗りに木骨を見せハーフティンバー風に仕上げて洋館らしい雰囲気を演出しています。
平成20年に経済産業省の近代化産業遺産(三重県立松阪工業高等学校関連遺産)の認定を受け、現在は県立松阪工業高等学校の資料館(赤壁校舎)として大切に使われています。
■建物南面
■出入り口の脇に「近代化産業遺産」の認定プレートが掲げられています
■建物西面
ハーフティンバー風に仕上げた妻側壁面がこの建物の見せ所。白と赤のコントラストが美しい。
■赤壁校舎の説明看板
■建物北面~赤壁校舎には赤い丸ポストが良く似合います
■北側校門から赤壁校舎を望む~門扉もちゃんと赤で統一されています
◆三重県立松阪工業高等学校資料館・赤壁校舎(旧三重県立工業学校製図室)/三重県松阪市殿町1417
竣工:明治41年(1908)
構造:木造平屋建
撮影:2015/05/03
※経済産業省認定近代化産業遺産
松阪市文化財センターから東へ向かうと松阪城跡があります。ここには明治45年に建てられた旧飯南郡図書館本館と倉庫が現存しており、現在は松阪市立歴史民俗資料館として使われています。
皇太子行啓記念事業として飯南郡各町村共同により、松阪城跡公園の北端に建設された図書館本館は、木造2階建、玄関を中心に左右に翼部を配した左右対称の構造で、明治期の近代和風建築の好例です。本館の東に隣接して建つ2階建の土蔵は、漆喰壁を下見板で覆い、外観の意匠を本館とあわせ統一感を出しています。
■本館の東隣に建つ土蔵造りの倉庫
■資料館前の説明看板
■建物全景(Network2010:名古屋をとりまく歴史街道より)
◆松阪市立歴史民俗資料館(旧飯南郡図書館本館・倉庫)/三重県松阪市殿町1539
竣工:明治45年(1912)
設計:清水義一
構造:本館(木造2階建)/倉庫(土蔵造2階建)
撮影:2015/05/03
※国登録有形文化財
今年も5月の連休は毎年恒例のJR東海「青空フリーパス」で、まち歩き&建築探訪に出かけました。
今回は三重県の津~松阪を中心にしたエリアを一日かけてめぐったのですが、この地域は旧伊勢街道沿いに古い町並みが残っていて、近代建築のグレードも高く、かなりディープなまち歩きと近代建築探訪が楽しめました。
まずはJR紀勢本線松阪駅を下車、阪内川沿いを西へ向かい松阪市文化センターを訪ねました。
新松阪大橋を越えると右手に緑に囲まれた公園が見えてきます。松阪市文化センターは公園の南西角道路沿いに建つ赤レンガ造の細長い建物で、倉庫として使われていた当時の外観を良く残しています。
建物は大正12年に設立された旧鐘淵紡績松阪支店(その後改称等により旧カネボウ綿糸松阪工場、平成5年4月操業停止)の原綿製品倉庫として建設されたもので、イギリス積みレンガ造の平屋建て切妻造。
平成8年10月に大規模な修復工事を行い、レンガで4室に仕切られた内部構造や正面に残っていた庇などはそのまま残し、文化財センターのはにわ館(展示室)、ギャラリー(第1~第3)、収蔵庫として保存・活用されています。
■道路側外観
■イギリス積みの赤レンガ壁が美しい景観をつくりだしています
■公園側外観
■登録文化財のプレートが掲げられた第1ギャラリー入口
◆松阪市文化財センター(旧カネボウ綿糸松阪工場綿糸倉庫)/三重県松阪市外五曲町1
竣工:大正12年(1923)
構造:煉瓦造平屋建
撮影:2015/05/03
※国登録有形文化財
四間道散策後、美濃路を北上し庄内川に架かる枇杷島橋まで歩きました。
途中この地方特有の屋根神様をいくつか見かけました。屋根神様は屋根の上に祭られた祠で、特に戦災被害が少なかった名古屋市西区には多く残っていて、名古屋市全体では100社以上が現存しているようです。
■四間道界隈(西区那古野)
■マコロン製菓/昭和8年頃築/登録地域建造物資産(西区栄生)
■名鉄東枇杷島駅西(西区枇杷島)
撮影:2015/04/26
今回見かけた祠は、反り返った千鳥破風や唐破風など、小さいながら細部にこだわったデザインで、昔の職人さんの仕事ぶりがうかがえます。
最近は屋根神の数も激減しているようで、この地方独特の屋根の上の小さな神社建築、いつまでも後世に残して欲しいものです。
円頓寺商店街を東へ抜けると、堀川沿いに四間道と美濃路が並んで通っています。
美濃路は熱田で東海道から分岐し、家康による「清州越し」で整備された本町通を北へ進み、現在の伝馬町本町交差点から伝馬通を西へ向かいます。伝馬橋を渡るとすぐに堀川に沿って北上し、清須を経て最終的には岐阜県の垂井に至ります。
伝馬橋~中橋~五条橋までの界隈は、豪商の蔵や古い町屋が軒を並べる町並み保存地区で、堀川の水運でにぎわった当時の町の様子がしのばれる空間です。
■伝馬橋の西で美濃路は堀川沿いを北上
■美濃路の西側を並行して四間道が通る
伝馬橋のすぐ上流中橋~五条橋間が町並み保存地区に指定されている
■四間道沿をはさんで、東側には土蔵、西側には町屋が並ぶ独特な景観
■ずらりと蔵が並ぶ景観は、都心ではここだけしか残っていない
■堀川沿いの美濃路の景観
■戦前モノと思われる右書きの消火栓の琺瑯看板
■四間道町並み保存地区の北端五条橋
そら豆(旧三越湯)のある名駅3丁目北の交差点を北へ向かうと、すぐに那古野交差点です。
この交差点で十数年前に伊信ビルを撮影したのが懐かしく思い出され、ここ十年で取り壊された名古屋の近代建築に思いをはせながら歩いていると、すぐに円頓寺商店街のアーケードが見えてきました。
今回は久しぶりに、今は懐かしい昭和の雰囲気が残る円頓寺商店街を歩いてみました。
■那古野交差点のすぐ北の信号交差点を東へ入ると円頓寺商店街です
アーケード入口の「円頓寺本町」のロゴが昭和レトロしてました
■アーケードの中に入ると、地元の買い物客でなかなかのにぎわい
■こんな昭和な本屋さん、昔はどこの町にもありました~「結婚したら、主婦の友」の看板が泣かせる
■名古屋といやあ~、おみゃあ~さん、やっぱシャチホコだがね!
■後ろの文具屋さんの看板が懐かしい~
中学時代はパイロットの万年筆も三菱のユニも持ってました!
■堂々たる看板建築。石張り風のファサードのてっぺんには屋号が入ります
■装飾入りの木製窓枠と黒の豆タイルがたまりません
■ビルの横にへばりつくように残る昭和の記憶
■途中の円頓寺交差点にはなぜか黄門様が・・・・
■店先にはもう風鈴が出ていました
■懐かしの昭和な看板2連発
昔ながらの酒屋さんの看板は、やっぱこれじゃなくっちゃ。
■子どもの頃よく飲んだ「初恋の味」。トレードマークが懐かしい~。
あらためて気づいたのですが、「滋養」ではなく「滋強飲料」だったのですね・・・
■やはり円頓寺にも銀座街がありました。
全国いたるところにある「〇〇銀座」には、昭和の記憶が詰まっています。
■商店街の東のはずれは、立派な蔵造の建物が並ぶ四間道、美濃路、五条橋と続きます。
■旧杉本家蔵/大正4年(1915)築~市内では珍しい石積みの蔵で、栃木県宇都宮産の大谷石が使用されている。
■堀川に架かる五条橋から円頓寺商店街入口を望む。
撮影:2015/04/26
名古屋駅の東側、名駅3丁目~那古野界隈は戦災を免れたため、木造2階~3階建の町屋や蔵造りの建物が残っていて、多くが飲食店などに改装され当時の姿をとどめています。そんな建物のひとつが、桜通のジュンク堂書店の角を北へ入り、名駅3丁目北の交差点東にある「そら豆」で、戦前の銭湯の外観(旧三越湯)を残したまま居酒屋として営業しています。
建物は昭和6年(1931)築の木造総2階建ですが、換気用の高窓の上に庇があるため軒が3重になり、ちょっと見は3階建です。外観は昔ながらの銭湯に良く見られる近代和風で、正面中央の入母屋造の立派な玄関(沓脱)と、西端に飛び出している洋風意匠の煙突の様な構造物(トイレ)が特徴的です。
昔ながらの銭湯の風情をそのまま残した外観や、銭湯特有の天井の高い広い空間は、まさに居酒屋にはうってつけ、これぞ近代建築再利用の最も幸せな形のひとつと言えるのではないでしょうか。
(なかなかの人気店なので、予約してからの来店がおすすめです。店舗情報はこちら→山海百味 そら豆)
◆そら豆(旧三越湯)/名古屋市中村区名駅3
竣工:昭和6年(1931)
設計/施工:大工棟梁 繫野新七、鳶頭 井戸田重信
構造:木造2階建、切妻造・桟瓦葺
撮影:2015/04/26
■建物北側正面
■入母屋造の堂々たる玄関~腰のタイルがモダンで良い味です
■端のトイレはモルタル塗石張り風の目地切で、頂部に紋様を巡らす洋風意匠
そら豆のある界隈には戦前築と思しき町屋が点在しており、飲み屋などに改装されている建物が目につきます。
名駅の高層ビル群から徒歩5分の所に、こんな昭和の隠れ里的風景が・・・いつまでも残ってほしいなあ~