戦前の東京下町を再現した東ゾーンには、昔ながらの出桁造り商家や洋風の看板建築などが移築されています。その中でもひときわ目を引くのが、東ゾーンの一番奥にでーんとかまえる子宝湯です。東京の銭湯といえば、神社仏閣を思わせる宮造りが定番で、千鳥破風の大屋根と唐破風をのせた玄関が特徴。子宝湯もそんな東京の下町の銭湯を代表する建物で、足立区の千住から移築されました。
銭湯の軒数は東京オリンピックが開催された昭和40年頃がピークで、都内に2600軒あったそうです。私の実家に内風呂ができたのも昭和40年頃で、それまでは近所の銭湯に通っていたものです。内風呂が普及する以前、庶民にとって銭湯は一日の疲れをいやすオアシスであり、ご近所皆さんの社交場、憩いの場でもあったわけです。現在はわざわざ銭湯まで行く必要はなくなりましたが(そもそも銭湯が無い)、子どもの頃と大学時代に通った銭湯体験は、昭和のあの頃を懐かしく思い出させてくれます。
大きな湯船に肩までつかると、思わず「極楽、極楽」。まさにこの世の極楽を体感できる空間を演出する装置が、神社仏閣を思わせる東京型の銭湯といえるのかもしれません。
■東京型を代表するクラッシクな外観は威厳さえ漂います
■私の地元東海地方には、これだけ立派な宮造りの銭湯はほとんどありません
まじかで見ると、そのスケール感に「これが銭湯?」と圧倒されます
■立派な唐破風の下には舟に乗った七福神の彫刻がお出迎え
七福神の彫り物は神社仏閣で培われた職人のノミの技が生かされています
■玄関脇には大黒様と恵比寿様の飾り瓦が鎮座します
■銭湯といえば木製の蓋にカギ付きの下足箱が定番ですが、ここはタイル張りのシンプルなもの
■ここから男湯と女湯に分かれます。中央の番台が設置されているスペースにはタイル絵の装飾が
■男湯に入ると右手に男なら一度は上がってみたかった番台があります
昭和28年当時の入浴料金表には、大人12才以上金15円とあります
■天井の高い脱衣所には懐かしい籐のカゴが並びます
■男湯と女湯の境の壁は鏡になっていて、当時の広告看板からは昭和の香りが漂います
■昔の銭湯にはお約束のレトロな体重計
体重を測ったあとは、腰に手をあてコーヒー牛乳の一気飲みが銭湯の醍醐味
■脱衣場は広い吹き抜け空間で 豪華な折り上げ格天井はまるでお寺にいるようです
■男湯の浴場~正面のペンキ絵と境の壁のタイル絵が銭湯感を盛り上げます
■銭湯といえば...やっぱり富士山のペンキ絵にとどめを刺します
■源平合戦と弁慶・牛若丸のタイル絵
■こちらは女湯の浴場(そう言えば女湯に入るのは子どもの時以来です)
境の壁が低いので石鹸やシャンプーのやり取りをしたものです
■女湯は子ども向けでしょうか「さるかに合戦」と「ももたろう」のタイル絵です
■東京型の銭湯はとにかく天井がく、最上部には湯気抜きの窓がつく
■子宝湯/旧所在地:足立区千住元町
竣工:昭和4年(1929)
構造:木造
撮影:2017/08/12
コルビュジエに師事したモダニズム建築の巨匠、前川國男の自邸。戦時下竣工という建築資材が制約されるなか、中央の居間の天井を高くし、ロフト状の2階を設けることにより豊かな空間を実現しています。
1階の大きなガラス開口は、コルビュジエが提唱した「ピロティ」を意識しているといわれています。90度回転する戸袋、ディスプレイ機能をもつ棚、ダイナミックに開閉する大扉など、当時としては実験的なデザインを取り入れた斬新的な住宅作品です。
■大きな開口部が特徴的な居間
■天井を高くしてロフトを設けた空間は開放的
■ロフトへの階段
■書斎~やはり窓が大きく開放的で、気持ちの良い空間です
■台所と浴室~白で統一されたモダンで機能的なデザイン
■前川國男邸/旧所在地:品川区上大崎三丁目
竣工:昭和17年(1942)
設計:前川國男
構造:木造ロフト付
撮影:2017/08/12
〈参考〉江戸東京たてもの園特別展 世界遺産登録記念「ル・コルビュジエと前川國男」