現在の建物は面格子や窓の手摺はステンレス製で、デザインも画一的なものがほとんどですが、昭和30年代頃までは鋳鉄製で、デザインも多岐にわたっています。
一宮市内には戦前~昭和30年代頃に建てられた住宅や商店が多く、色々なパターンの面格子、手すりが楽しめます。
■手すりの基本形は縦格子ですが、それに唐草模様(植物のツルや茎を文様としたもの/アラベスク)を簡略化したものや幾何学模様を組み合わせます
■縦格子に斜め格子や円、四角形を組み合わせ、より幾何学的なデザインになっています
一宮駅東口に昭和30年代頃に建てられたと思われる銀行建築が残っています。
戦前に建てられた銀行建築の重厚な様式美はありませんが、現在の銀行建築とは一味違った昭和のモダニズムが感じられます。
■みずほ銀行一宮支店(旧第一勧業銀行一宮支店)
装飾がほとんど排除された昭和のモダニズム建築ですが、2階の窓の上にキャタピラー状の装飾が唯一施されています
■いちい信用金庫一宮支店(旧住友銀行一宮支店)
外壁には様式建築のオーダーを思わせる簡略化した溝付きの付け柱を並べ、垂直線を強調しています。
(撮影:2013/01/20)
■今風に言えばメゾネット形式の長屋風アパート。建物前面に隙間なく並ぶ玄関が壮観です(大和町宮地花池高見)
■どこか哀愁が漂うのこぎり屋根の工場がある風景(八町通1丁目)
■サビもここまでくると塗装代わりです(新生4丁目)
■一階部分は掲示板代わりに使われています(明治通5丁目)
■木製の玄関ドアとその上に書かれた金文字の医院名がと~っても良いです!(新生2丁目)
■コンクリートの箱と呼ぶのにふさわしい要塞級の建物(野口2丁目)
(撮影:2013/02/10)
一宮市内には戦前から昭和40年代頃までに建てられた建物が、当時のままの姿で数多く残っています。
名建築ではありませんが、昭和の面影を色濃く残すディープな建物は、当時の街角の風景を今に伝えています。
■1階が店舗(飲食店)、2階が住居のいわゆる雑居ビル形式の建物。
建築としてはどう見てもB級ですが、その外観は一度見たら忘れられない、まさにディープ・インパクトな超A級!(松降1丁目)
■外壁の上部は屋根と壁が一体化し、オーバーハング状にそりあがる、なんとも不思議な造形
■隣は昭和30年~40年代の雰囲気が漂う集合住宅?(松降1丁目)
■遊廓があった頃の昔の町名が残る花岡町民会館。昭和30年~40年代の雰囲気が漂います(泉2丁目)
■泉界隈には色町だった頃の面影を残す旅館や料理屋などの建物が残っています(泉2丁目)
■戦前の妓楼建築の風情を残す建物(泉2丁目)
■一宮には昭和な銭湯がまだまだ現役で頑張っています~花岡浴場(泉2丁目)
■スクラッチタイルが味わい深い四谷浴場(栄4丁目)
■銭湯の煙突がある風景もめっきり少なくなりました
(撮影:2013/02/03)
木造瓦葺きの日本家屋に、通りに面した外壁だけをモルタル塗りの洋風にする「洋風ファサード商店」は、戦前~昭和40年代頃まで全国で盛んに建てられました。
本格的な鉄筋コンクリート造りは無理でも、モダンな洋風外観の商店をお手軽に建てたい個人商店にとって、「ファサードだけ洋風商店」はまさにうってつけだったわけです。
繊維の街として栄えた一宮も、本町通り商店街を中心に多くの洋風ファサード商店が現在も残っていますが、時代の流れとともに廃業し空き家になっている商店も目立ちます。
■典型的な洋風ファサード商店~裏から見ると、ファサードはぺらぺらの壁一枚、まさに映画のセットです(本町1丁目)
■角に建つ商店はコーナー部分を中心に洋風のファサードで覆うのが特徴(松降1丁目)
(大江3丁目)
(大江4丁目)
(新生2丁目)
(本町4丁目)
(本町4丁目)
(本町4丁目)
(本町4丁目)
(撮影:2013/02/03/本町通8丁目)
一宮駅周辺には近代建築ガイドブックに掲載されるような、いわゆるA級物件としては、一宮市役所本庁舎北棟(解体決定)、西分庁舎(改修保存)、尾西繊維協会ビルなどがありますが、今回は駅周辺のガイドブックには載らないB級洋風建築を紹介します。
A級物件のような本格的な近代建築は数えるほどですが、戦前から繊維の街一宮を支えてきた多くの洋風商店建築が、現在の駅周辺の一宮の歴史的景観をつくりだしています。
真清田神社のすぐ南を通る国道155号線、大宮1丁目交差点西付近に、数軒の古い洋風の商店建築が残っています。
これらの建物は一見RC造の洋風建築に見えますが、基本的には木造瓦葺きの建物を通りに面したファサードだけ洋風テイストのモルタル外壁で覆った、いわば「お手軽洋風建築」で、現存する市内の商店建築はこのタイプが多く見られます。
■丸八(株)~2階屋上に和風の瓦屋根が見えています。玄関上の「〇八」マークが良い感じです(大宮1丁目)
■このアングルで見ると堂々とした近代的オフィスビルに見えるかも?
■丸八(株)の東隣にある野田商会。廃業してから年数が経つようで、建物は荒れ果てた雰囲気(大宮1丁目)
■看板の屋号も錆がひどくてほとんど判別できません
■昭和な雰囲気の手すりと面格子
■丸八(株)のすぐ北側にある商店。洋風ファサードを切妻屋根の建物にくっつけています(大宮1丁目)
■丸八(株)の155号線を挟んで向かいにある(株)オサカツ。この建物も屋根は瓦葺です(栄1丁目)
(撮影:2013/02/03)
一宮を代表する近代建築に一宮市役所旧本庁舎(北棟)がありますが、すでに新庁舎の建設にともない解体取り壊しが決定しており、久しぶりに訪れた現地では、新庁舎の建設が急ピッチで進められていました。
旧本庁舎の隣にあった公園と駐車では、すでに新庁舎の1期工事が始まっており、現在はまだ健在の旧本庁舎も、2期工事開始時に解体される予定です。
前回2009年に訪れたときには、歴史的建造物の旧本庁舎と西分庁舎(旧名古屋銀行一宮支店)の保存に関して、新聞紙上などでも取り上げられ、当時はかなり話題になりましたが、結局旧本庁舎は内装材などの一部保存活用にとどまり全面解体、なんとか西分庁舎は解体をまぬがれ改修後再活用が決まりました。
激動の昭和を80年以上も生き抜いてきた旧本庁舎は、一宮の街角の原風景ともいえる存在で、特徴的な玄関周りだけでも一部保存して、新庁舎と共存する手法もあったのではと思いますが、残念ながらその姿を消すことになりました。
解体目前の旧本庁舎を前に、今年は鬼籍に入る近代建築が1件でも少ないことを祈りながら、最後の姿をカメラに収めました。
■建設中の新庁舎の脇で、解体の日を待つ旧庁舎。この姿も、もう見納めです。
■新庁舎の完成予想図(平成26年3月完成予定)~残念ながら旧庁舎の姿はありません
(撮影:2013/02/10)
愛知県立一宮商業高校の前に昔ながらの酒屋さんがあります。
塗籠造風の古い商家建築で、むくり屋根の両脇にはうだつが張り出し、2階は黒漆喰に格子窓ですが、年代物の外観の割には壁や瓦はピカピカで、真新しい屋号入りの暖簾が風になびいています。
古い店舗を大幅に改修し再活用しているものと思われますが、昔の酒屋なのに新しい・・・ちょっと不思議な感じです。
■この日は定休日だったようで、シャッターではなく真新しい木製の雨戸が閉められていました
■壁の漆喰も真っ白、トタンもピカピカで新築同様です
■網看板に酒造メーカーと屋号が浮き出し文字で入っています。「〇宮」マークの入った街灯がレトロ。
(撮影:2013/02/03/一宮市大宮)
一宮駅東側のロータリー北側、栄1丁目に昭和レトロな写真館があります。
建築年は不明ですが、外観は昭和初めに流行した表現主義風のデザインで、木製の窓枠やタイル貼りの外壁も当時のままで、これぞ「昭和の写真館」と呼びたくなるようなたたずまいを今も残しています。
デジカメやスマホが普及し、誰もが気軽に写真を楽しめる時代になりましたが、昭和30年代頃までは記念写真は写真館で撮影するのが普通でした。そんな時代の記憶を今に伝える古い写真館、いつまでも街角に残ってほしい風景のひとつです。
◆伊藤写真館/愛知県一宮市栄1丁目11-24
竣工:不明(昭和初期?)
構造:木造2階建
撮影:2013/02/03
■腰にタイルを回し、庇を張り出し水平線を強調する手法は表現主義風
■通りに面した店舗部分は洋風に仕上げてありますが、住居部分は瓦屋根の和風仕様です
■丸窓も当時流行りのモダンデザインの定番です
■欄間風の木製の窓枠の隅には装飾が入り、金属製の手摺のデザインも昭和モダンな幾何学模様
■撮影した記念写真を飾るショーウィンドウは、昭和の写真館には欠かせないアイテムです
旧岐阜街道が190号線(現岐阜街道)から分岐する今伊勢町本神戸に、戦前物件と思われる2軒の洋風木造下見板建築が残っています。
岐阜街道を挟んですぐ西側には、現在も日本毛織の大きな工場があり、周辺には織物・染色関係の会社、工場が点在しています。
2軒の木造下見板の洋風建築も、戦前からの織物工場の施設として使用されたのではないかと思われます。
■本神戸下町にある木造下見板張りの洋風建築
■上の建物から300mほど東にある、こちらも木造下見板張りの洋風建築(本神戸寺前)
(撮影:2013/02/03)
どちらの建物も現役で使われている様子はありませんが、今伊勢町本神戸界隈の戦前の街角の様子を今に伝えています。
一宮市には多数のマンホールの蓋のデザインがあるようで、とりあえず今回採集できたものをご紹介します。
このほかにもデザインや色違いのバージョンが存在する可能性があるので、また発見次第追加したいと思います。
■市制70周年を記念して登場したマスコットキャラクター「いちまるくん」と市の花キキョウバージョン(カラー)
しかし一宮市のHPを調べてみると、「いちみん」という全く別のキャラが市のマスコットキャラクターとして大々的に紹介されています。
どうも「いちまるくん」は、マンホールの蓋の上だけの存在で終わってしまった、かわいそうなキャラのようです。
■「いちまるくんと七夕飾り」~仕切弁角型(カラー)
■「いちまるくんと七夕飾り」~仕切弁丸型(カラー)
■市章が中央にデザインされた雨水バージョン
■市章とキキョウ(カラー)
■市章とキキョウ(モノクロ)
■仕切弁丸型(カラー)~「七夕飾りと女性ファッション」
女性ファッションは繊維の町の象徴ということでしょうか?
■仕切弁角形(モノクロ)~上の丸型とは微妙に図柄が異なります
■市章入り消火栓(カラー)
■旧尾西市バージョン(2005年一宮市に編入合併)
市章と市の花(サツキ)市の木(カシ)がデザイン化されています(どんぐりがかわいい)
10年ほど前から、街角の琺瑯看板を写真に残そうとカメラに収めてきましたが、最近めっきり見かけることが少なくなりました。
以前に見かけた場所も、琺瑯看板だけ外されていたり、建物自体が取り壊されていたりして、どんどん街角から姿を消しています。
最近の昭和30年代レトロブームで、琺瑯看板の人気と価値が上がり、状態の良い人気のある看板は、かなり高値で取引されているようで、その影響も琺瑯看板激減の原因の一つなのかもしれません。
今回散策した岐阜街道周辺の木曽川町~今伊勢町界隈でも琺瑯看板はほとんど残っていませんでした。
■名鉄名古屋本線沿い(黒田~新木曽川間)で見つけたコカコーラの琺瑯看板。
円形の看板は今でもよく見かけますが、横長のこのタイプは珍しく、昭和40年代頃のものと思われます。
■唯一旧街道沿いで見つけた「防火井戸」の琺瑯看板。上の「あぶらや化粧品店」の看板も味わい深いです。
■石刀神社前の通りにある臼屋酒店(金銀花酒造)の琺瑯看板
年代物の蔵や工場が今も使われており、金銀花酒造は戦前からの老舗の造り酒屋のようです(今伊勢町)
■コカコーラ関連の看板と販促グッズが所狭しと展示してあります
■永ちゃんのポスターは、コカコーラのCMソング「時間よとまれ」(1978年)の頃のものでしょうか?
(撮影:2013/01/20)
旧岐阜街道は木曽川町の南、JR石刀駅の東で現在の岐阜街道(県道190号線)と合流し、今伊勢町に入ります。
一宮を中心とした尾張北西部は、戦前から昭和40年代頃まで繊維産業が大変盛んで、旧尾西市、旧木曽川町、旧今伊勢町周辺には現在も鋸(のこぎり)屋根の織物工場が多数現存していて、当時の雰囲気を伝えてくれます。
■鋸(のこぎり)屋根とは~
片流れの屋根が連続し、鋸の歯のようなギザギザの形をした屋根のことで、屋根の反対側の壁面に連続した採光窓を設けた構造が特徴。特に工場など均等に採光したい場所に用いられました。
■JR今伊勢駅周辺に残る鋸屋根の織物工場
一宮周辺には鋸屋根の工場がまだ多数残っていて、ちょっと歩けばすぐに鋸屋根に出会うことができます。
■今伊勢消防出張所の火の見~見張り台が六角形です
■190号線(岐阜街道)を南下すると、酒見神社の前あたりで再び旧街道が分岐します。(向かって左側の細い道が旧岐阜街道)
■旧街道沿いには年代物の和風建築も残っています
■今回のポタリング終点の真清田神社
■真清田神社脇に長屋風の小さな商店街がありました
■開店している一軒は、まさに絵に描いた様な昭和レトロな商店~手づくり綿入れ、袢天、おしゃれコートがツボです
■その向かいにあるウバ車店
現在はウバ車より老人車が主力商品のようですが、人形も一緒に売っているようです。老人車を買うついでに孫の人形もという狙いでしょうか?なかなかの商売上手です。
■真清田神社前の本町商店街
(撮影:2013/01/20)
今回のポタリングは宝江渡~真清田神社(約7㎞)の区間を走りましたが、途中寄り道が多く(これがポタリングの醍醐味ですが)真清田神社到着時には時間切れで、一宮の町の散策ができませんだした。
次回訪問時は一宮の町をじっくり散策して、ディープな物件をアップしたいと思っています。