岩村建築散歩 その2~旧岩村郵便局
古い町並の残る本町通りは、重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、古い商家や町家が軒を連ねています。
旧岩村郵便局は本町通りに面して建つ数少ない戦前の洋風建築で、建築当時の昭和初期の郵便局の様子を今に伝えています。
◆旧岩村郵便局/岐阜県恵那市岩村町本町4
竣工:昭和3年(1928)
構造:木造2階建
撮影:2011/09/18
現在は特に使われている様子は無く、観光施設などの再利用が望まれます
外観はシンプルですが、建物角に唯一洋風の装飾が見られます
大正村建築散歩 その7~大正村展示館(旧町営発電所電気事業部)
大正村役場のすぐ隣に昭和はじめに建てられた旧町営発電所電気事業部の建物が残っています。
その後中部電力の事務所、個人所有の住宅として使われ、現在は大正村展示館として色々な企画展示が行われています。
私が訪れた時は大正村の生みの親として知られる、写真家の澤田正春氏に関する企画展示を開催していました。
◆大正村展示館(旧町営発電所電気事業部)/岐阜県恵那市明智町1848-2
竣工:昭和初期
構造:木造平屋
撮影:2011/09/18
大正村建築散歩 その6~東美濃農業協同組合 明智支店
当初は地方の金融機関の支店として建てられたと思われますが、現在は東美濃農業協同組合明智支店として使われています。
昭和10年築の木造2階建、瓦葺きのシンプルな外観の和風の建物ですが、縦長の窓と寄棟の大屋根、軒下のブラケットに洋風意匠がうかがえます。
◆東美濃農業協同組合 明智支店/岐阜県恵那市明智町875
竣工:昭和10年(1933)
構造:木造2階建
撮影:2011/09/18
大正村建築散歩 その6~割烹旅館笹乃屋
明治40年に開業した旅館が現存しています。
地下には大正10年開業の元カフェーがあり、当時の雰囲気を残しながら現在も喫茶レストランとして営業中です。
◆割烹旅館笹乃屋/岐阜県恵那市明智町1270-2
竣工:明治40年(1907)
構造:木造2階建
古色蒼然としたスナックバーAMI(アミー)の入り口
店名入りのステンドグラスが開業当時のカフェーの様子を伝えています
アミーの向かい側に残る昭和9年開業の元カフェー
グリル田中として営業していましたが(ソースカツどんが名物)、残念ながら現在は閉店(廃業?)中です。
◆グリル田中/岐阜県恵那市明智町870-2
竣工:昭和9年(1934)
構造:木造2階建
撮影:2011/09/18
元カフェーのアミーとグリル田中がある中馬街道
生糸が全盛の明治末~大正にかけてこの界隈は大変な賑わいで、芸妓置屋から料亭に通うための渡り廊下が現在も残っており、往時を語ります。
大正村建築散歩 その5~旧保母歯科医院
昭和元年に建てられた洋風の歯科医院ですが、大正村の現存する建物の中で、一番大正モダンな雰囲気を残す洋館建築です。
建物正面中央部を屋根の上に突き出し、歯科医院のマークと名称を入れ、1階の出窓風に張り出した上部に手摺を付け、小さなバルコニーを設けてモダンな洋館らしさを演出しています。
◆旧保母歯科医院/岐阜県恵那市明智町1837
竣工:昭和元年(1926)
構造:木造2階建
撮影:2011/09/18
大正村建築散歩 その4~明智回想法センター(旧大塩医院)
大正初めに開業された医院が、高齢者福祉施設「明智回想法センター」として再活用されています。
旧大塩医院は明智町出身の大塩金弥氏が開業した産婦人科医院で、昭和25年に亡くなるまでの40年間、地域医療に貢献してきました。その後平成の初めまで医療活動を続けてきましたが、後継者が無く60年にわたる歴史に幕を下ろしました。
明智町は大塩医院の功績と佇まいを後世に残しながら建物を改装し、医院の跡地を「回想法センター」として高齢者の福祉施設として再活用しています。
回想法とは~
大正村に残る古い町並や建物、懐かしい生活道具を通し、過去を振り返り思い出を語り合うことにより、特に高齢者の脳を活性化し、生き生きとした力を取り戻し維持する目的で行う療法です。
回想法センターで高齢者が色々な人とコミニュケーションをとることにより、家に閉じこもったり介護が必要な状態になるのを予防します。
旧大塩医院の建物は、道路に面した診療所に使われた建物と、中庭を挟んで奥に位置する病棟に分かれており、回想法センターの本館(病棟)と別館(診療所)として使用されています。
◆明智回想法センター(旧大塩医院)/岐阜県恵那市明智町1142-1
竣工:本館(旧病棟)昭和20年代/別館(旧診療所)大正初
構造:木造2階建
撮影:2011/09/18
◆旧診療所~道路に面した細長い建物で、全体は和風の外観
◆旧診療所玄関~玄関周りに腰壁風にスクラッチタイルを貼り、上部に洋風の装飾も施しています
◆玄関の上に貼られた琺瑯の古いプレート~旧字体の文字が時代を語ります
◆かつての診察室には古い医療器具や椅子が置かれ当時の診療の様子が偲ばれます
◆診療所の裏にある旧病棟(明智回想法センター本館)~外観は木造校舎のようです
◆「明智回想法センター 想い出学校」の看板がかかる玄関
◆二階展示室廊下~生活、学校、遊びなどテーマ別に当時の懐かしい品々が展示してあります
◆昭和の暮らしを再現したコーナー
大正村建築散歩 その3~日本大正村資料館(旧濃明銀行繭蔵)
明治42年に濃明銀行(明治13年設立)の繭保管用の蔵として建てられました。
当時銀行には、農家から預かったり買い取った「繭」を収納するための繭倉があり、旧濃明銀行の繭倉は、木造一部4階建、百畳敷きの規模があり、手動のエレベーターが付いています。
明智町が生糸町として栄えたまさに時代を語る貴重な近代産業遺産で、現在は大正村資料館として、明治から昭和初期にかけての教育、文化、生活に関する用品が展示されています。
◆日本大正村資料館(旧濃明銀行繭蔵)/岐阜県恵那市明智町1860-6
竣工:明治42年(1880)
構造:土蔵
撮影:2011/09/18
大正村建築散歩 その2~逓信資料館(旧明智郵便局)
明治8年開局当時の郵便局舎が、大正村の逓信資料館として活用されています。
淡いブルーに塗られた外壁が明治時代のモダンな局舎の雰囲気を良く伝えています。
◆逓信資料館(旧明智郵便局)/岐阜県恵那市明智町188-3
竣工:明治8年(1875)
構造:木造2階建、土蔵造
撮影:2011/09/18
隣には現在の明智郵便局があり、外観は同じ色で塗られ統一されています
丸型ポストが古い郵便局舎には似合います
玄関の庇にも当時のモダンな洋風意匠が見られます
玄関を入ると2階まで吹き抜けになっており、欄間風の彫り物が施された手摺が見事
明治初めの洋風建築は土蔵造が多く天井が低いのが特徴
郵便・電信の歴史、変遷の分かる資料が展示してあります
玄関脇の電話室
私の子供のころの懐かしい黒電話もありました
ダイヤルをまわす感覚が懐かしい
大正村建築散歩 その1~大正村役場
9月のお彼岸の連休、ほぼ10年ぶりに恵那市明智町の日本大正村を訪れました。
大正村といっても愛知県犬山市の明治村のように日本各地から大正時代の建物を集め移築したわけではなく、大正の面影を残す明智町の町並を「大正村」として町おこしに活用したと言うわけです。
明治~昭和の町並が残る明智町ですが、時代を語る古い洋風建築が当時のまま現存しています。
ゆっくりと時が流れる明智の町で、のんびり建物散歩を楽しみました。
◆大正村役場(旧明智町役場)/岐阜県恵那市明智町1884-3
竣工:明治39年(1906)
施工:成瀬 鑿四郎(大工棟梁)
構造:木造2階建
撮影:2011/09/18
◎国登録有形文化財
明治39年6代目の明智町役場として建設され、昭和32年まで使用されました。その後商工会議所や集会所として利用され、昭和59年大正村役場として復活しました。
建物は木造2階建、下見板貼りに上げ下げ窓、屋根は桟瓦葺の寄棟造り、正面に玄関ポーチを張り出した当時としては超モダンな洋風庁舎。
下見板と縦長の上げ下げ窓がいかにも明治の洋風建築らしい
室内は無料休憩所が設けてあり冷たいお茶のサービスが嬉しい
玄関ポーチの柱はトスカナ式意匠
鬼瓦は明智の「明」の文字が入った特注品
玄関正面には欄間に見られる透かし彫りの細工
玄関引き戸のガラスはステンドグラス風
町を歩いてみて感じたのは、10年前と比べると連休中の割には観光客が少ないなあと言う印象でした。
観光客減少の影響でしょうか、町のあちこちで観光客向の店が閉店しているのが目に付きました。
古い洋風の建物を利用して出店していた和菓子の老舗の川上屋さんも撤退したようで、現在は雑貨屋さんが入っていました。
でも人が少ない分いつもと変わらない日常の明智の町並をのんびりと散策が楽しめました。
お昼に食べたソースカツどんもうまかった
木曽川の電力王、福沢桃介が特に力を注いだ発電所施設で、日本で始めての50メートルを超える本格的ハイダム式の発電所です。
ダムの高さは53m、長さは276mあり、近くで見るとまさにコンクリートの壁でそのスケールに圧倒されます。
発電所の設計は佐藤四郎で、そのデザインは機能的なスタイルの中にも様式美を残しており、近代的なコンクリート打ち放しと様式主義が見事に融合しています。
佐藤は木曽川で7つの発電所を設計していますが、80年以上を経た現在もそのデザインは色褪せていません。
◆関西電力 大井発電所/岐阜県中津川市蛭川
竣工:大正13年(1924)
設計:佐藤四郎(大同電力)
施工:石川榮次郎
構造:RC造
撮影:2011/09/25
◆大井発電所と新大井発電所(向かって右側)を対岸(恵那市側)から望む
◆東雲橋から大井発電所を望む
◆発電所入り口
◆発電所施設に向かう橋~二連アーチが美しい
◆発電所の裏を通りダムまで続く見学の為の小道が整備されています
三連休の中日の日曜日、久しぶりに岐阜県多治見市にあるカトリック多治見教会を訪れました。
国道19号を名古屋方面から北上し、多治見市街を抜け北側に左折すると小高い丘の上に見事な教会建築が姿を現します。
今回が3回目の訪問になりますが、ゆるやかな坂道を上るにつれ教会全体が目の前に現れると、毎度のことながらそのスケール感に圧倒されます。
東西に長く伸びた赤い屋根の白い建物には、十字架をいただく尖塔がそびえ、その雰囲気はさながらヨーロッパ中世の修道院を思わせます。
ブドウ畑に囲まれた広大な敷地には、宿泊用のログハウスやバーベキュー広場が設けられ、南山大学の学生の研修施設として利用されています。
また地下にはワインの醸造、貯蔵設備があり、敷地内で収穫されたブドウから作られた自家製ワインやクッキーなどが玄関わきの売店で販売されています。
建物の設計は神言修道会のドイツ人ヨセフ・モール神父で、日本人の司祭と修道士の育成を目的に日本管区の本部修道院として昭和5年に設立されました。モール神父はこの修道院長として多治見の地で布教に生涯をささげ、教会の敷地内の墓地に永眠しています。
この日も9時30分からの日曜朝のミサに、外国の信者の方も含め多くの信者の方が訪れていました。
町を見下ろす丘の上に建つ愛らしい修道院は、これからも多治見市のシンボルとして、多くの市民から愛され続けていくことでしょう。
◆カトリック多治見教会神言修道院/岐阜県多治見市緑ヶ丘38番地
竣工:昭和5年(1930)
設計:ヨゼフ・モール神父
構造:木造3階、地下1階
撮影:2011/09/18
◆修道院全景(南側正面)~建物は凹型に配置され向かって左端に尖塔があります
◆桜咲くころの修道院(2007年4月撮影)
◆外観は修道院らしく清楚なデザイン
白い壁と赤い屋根のコントラストが美しく、連続した小さな屋根窓が明るい雰囲気を醸し出しています
◆聖堂玄関~入って右手に売店があります ◆車寄せのある中央玄関~屋根には風見鶏のついた小さな塔がのります
◆東側に広がるブドウ畑の小道より修道院を望む
◆聖堂玄関前の修道院案内図
◆道案内版にしたがって修道院墓地にむかいました
◆ブドウ畑の中の小道を抜けると・・・・
◆ブドウ畑の一番奥にある静かな一角に修道院墓地があります
洋画などでよく目にする石板のような墓石がずらりと並んでいます
◆ブドウの実もたわわに実り、美味しいワインになるのを待っています