今年も5月の連休は毎年恒例のJR東海「青空フリーパス」で、まち歩き&建築探訪に出かけました。
今回は三重県の津~松阪を中心にしたエリアを一日かけてめぐったのですが、この地域は旧伊勢街道沿いに古い町並みが残っていて、近代建築のグレードも高く、かなりディープなまち歩きと近代建築探訪が楽しめました。
まずはJR紀勢本線松阪駅を下車、阪内川沿いを西へ向かい松阪市文化センターを訪ねました。
新松阪大橋を越えると右手に緑に囲まれた公園が見えてきます。松阪市文化センターは公園の南西角道路沿いに建つ赤レンガ造の細長い建物で、倉庫として使われていた当時の外観を良く残しています。
建物は大正12年に設立された旧鐘淵紡績松阪支店(その後改称等により旧カネボウ綿糸松阪工場、平成5年4月操業停止)の原綿製品倉庫として建設されたもので、イギリス積みレンガ造の平屋建て切妻造。
平成8年10月に大規模な修復工事を行い、レンガで4室に仕切られた内部構造や正面に残っていた庇などはそのまま残し、文化財センターのはにわ館(展示室)、ギャラリー(第1~第3)、収蔵庫として保存・活用されています。
■道路側外観
■イギリス積みの赤レンガ壁が美しい景観をつくりだしています
■公園側外観
■登録文化財のプレートが掲げられた第1ギャラリー入口
◆松阪市文化財センター(旧カネボウ綿糸松阪工場綿糸倉庫)/三重県松阪市外五曲町1
竣工:大正12年(1923)
構造:煉瓦造平屋建
撮影:2015/05/03
※国登録有形文化財
阿下喜駅から桐林館(旧阿下喜小学校)に向かう途中の本町通り沿いに建つ洋館造りの旧郵便局です。木造下見板貼りで上部はモルタル塗り、旧局舎の建物の横に小さな洋風の小屋が付属しています。
旧郵便局の建つ本町通りは、阿下喜駅から町の中心を抜けるかつてのメインストリートでしたが、閉店して空き家になっている商店も目立ち、通りは閑散としています。現在町の商業施設の中心は、西側を通る国道306号線沿いに移動しており、各種量販店やチェーン店が進出し軒を並べています。戦前から栄えた地方の古い町はどこも同じ状況ですが、車中心の生活になり商圏が拡大した現在、道巾が狭く駐車場も少ない旧市街地はどこも衰退の一途をたどっているようです。
◆旧阿下喜郵便局/三重県いなべ市北勢町阿下喜
竣工:昭和14年(1939)
構造:木造2階建
撮影:2013/11/17
■郵便局は同じ通り沿いのすぐ北側に移動し、現在は空き家状態です
■局舎のある敷地はかなり広く、脇の門の奥には地主さんと思われる大きな古い民家が連なっています
■玄関の木製扉や窓枠も当時のままの姿で残されていて、本町通りがにぎわった昭和の時代が偲ばれます
■軒下の持送りと二つ並んだ換気用ガラリが洋館らしい意匠を演出
■玄関の持送りは2本の金属製バーで、なかなかモダン
■脇の小さな建物にもしっかりと洋風換気口が付いています
■人通りの絶えた日曜昼下がりの本町通り
昭和レトロな旧郵便局の前の道を下ると阿下喜駅です。
この建物が旧阿下喜小学校のように、歴史を語る近代化遺産として保存活用されることを願いつつ帰路につきました。
伊勢朝日駅周辺の建築探訪を終え再び近鉄で桑名に戻ります。西桑名駅から三岐鉄道北勢線に乗車、1時間かけてのんびりと終点阿下喜駅まで各駅停車の旅です。阿下喜地区は旧員弁郡北勢町の中心として栄えた町で、養老山地の西側のふもとに阿下喜の古い町並みが広がります。駅前から北へ延びる坂道は、町の中心街を通る本町通りで、通り沿いには昔ながらの商店や住宅が点在しています。本町通り沿いの北勢郵便局を過ぎて左へ入ると、右手に広い校庭が広がり、その奥にお目当ての旧阿下喜小学校の校舎が建っていました。
現在この校舎は、いなべ市役所文化資料保存施設「桐林館」として活用されていますが、元々は昭和11年阿下喜尋常高等小学校として建設されました。東西に横長に建つ校舎の正面中央には、立派な玄関車寄とその上の屋根には小さいながら塔が設けられています。地方の山間に建つ木造校舎としては破格の造りで、戦前まで員弁郡の中心地として栄えた旧阿下喜町の往時の様子が偲ばれます。
◆桐林館(旧阿下喜小学校)/三重県いなべ市北勢町阿下喜1980
竣工:昭和11年(1936)
構造:木造平屋建
撮影:2013/11/17
■初めてきた場所なのになぜか懐かしい、子どもの頃通った木造校舎が思い出されるノスタルジックな風景です
■建物南側正面~校舎の中央に玄関を設け左右対称に見えますが、向かって右端の窓の配置が若干異なります
■屋根瓦は新たに葺き替えられ、外観もかなりリニューアルされている様子
■外壁はモルタル塗り、腰回りは下見板張りにして外観に変化を持たせてあります
■建物北東側~東側にも出入り口を設ける
■玄関車寄は木骨を見せるハーフティンバー風にして意匠を凝らしています
■塔の正面には二つの窓が設けられていますが現在はふさがれている様子
塔の屋根の中央を山型にしたデザインは、旧四郷村役場(四日市市)を参考にしたのでしょうか?
■屋根に設けられたドーマー風換気口もなかなかオシャレです
■玄関の柱に残るNHK名古屋放送局のプレートは、右から書かれた戦前もの
■時代を感じさせる石造りの校門
安達本家酒造は近鉄伊勢朝日駅のすぐ北側、東芝三重工場の東隣にある古い蔵元で、代表銘柄は「富士の光」。創業は明治43年(1910)、現在の建物は大正10年(1921)頃建てられたものです。
■近鉄名古屋線の線路沿いに建つ酒蔵
■現在も残る当時の酒蔵は旧東海道の風情を今に伝えています
◆安達本家酒造(株)/三重県三重郡朝日町縄生2107
竣工:大正10年(1921)頃
構造:木造
撮影:2013/11/17
富田界隈の建築探訪を終え、次なる目的地三重郡朝日町に向かいます。近鉄富田駅から桑名方面へ二駅目の伊勢朝日駅で下車、駅のすぐ西隣りの東芝三重工場の敷地に沿って旧東海道を500mほど下ると右手に朝日町役場があります。役場のすぐ東側には旧朝日村役場の建物が保存されており、現在は朝日鵜村資料館として活用されています。
資料館の案内板によると、大正5年に朝日村役場として建てられ、新庁舎に移る昭和39年まで町役場として使われていました。外観は和洋折衷、瓦葺きの屋根や懸魚付きの玄関など和風色が強いデザインながら、ペンキ塗りの下見板張りの外壁が洋風テイストを感じさせます。1階が事務室、2階は議場として使われ、当時の地方の役場庁舎の特徴をよく伝えています。
この後、同じ大正年代に建てられた朝日町公民館縄生分館を訪ねましたがすでに取り壊され、新しい公民館に建て替えらていました。(う~ん、残念!)
◆朝日町資料館(旧朝日村役場)/三重県三重郡朝日町大字小向872
竣工:大正5年(1916)
構造:木造2階建
撮影:2013/11/17
※国登録有形文化財
■建物西側正面
■玄関脇に登録有形文化財のプレートが掲げられています
■建物南側
■資料館の西隣にある住宅の年代物の煉瓦塀
アミカン本社から東海道を桑名方面へ北上、JR関西本線の富田駅のすぐ東側にイオンモール四日市北があります。その敷地内に歴史を感じさせる煉瓦造の倉庫が5棟並んで建っています。現在のイオンモールは、東洋紡績富田工場の跡地を利用して建てられたもので、その当時を偲ぶ原綿倉庫が取り壊しをまぬがれ、簡易保育所や飲食店として再利用されています。
大正期の貴重な産業遺産が、地域の人たちが利用する施設として再活用されている姿は、近代化遺産の保存活用のまさにお手本と言えるでしょう。
◆旧東洋紡績富田工場原綿倉庫/三重県四日市市富州原町221-2
竣工:大正6年(1917)
構造:煉瓦造平屋建
撮影:2013/11/17
※国指定登録有形文化財
■国道1号線JR富田駅前の信号から延びる道路沿いに建つ5棟の旧レンガ倉庫
■イオンモール側から見た建物~様々な商業施設によって再利用されています
■道路に面した妻側上部に、紡績工場時代の「〇富」マークがうっすらと残っています
夏の暑さに町歩きをずっとさぼっていましたが、気が付くといつの間にか秋を通り越して初冬の気候になっていました。これは急がねば真冬になってしまう!ということで本格的な冬が来る前に、今回は久しぶりに近代建築探訪に出かけてまいりました。
五月の連休に三重県四日市市を訪ねましたが、今回はその時取りこぼした市の北部、富田界隈の近代建築を訪ねました。近鉄富田駅を下車、国道1号線(東海道)を四日市方面へ向かうと、富田浜方面に分岐する旧道沿いに長い煉瓦塀と塔屋付きのモダンなタイル貼りの建物が見えてきます。アミカン(網勘)本社の建物で、創業は漁網の生産を始めた寛政6年(1794)までさかのぼります。
■東海道から赤い煉瓦塀と塔屋が目に入るので、お目当ての建物がすぐに発見できます
◆アミカン本社事務所/三重県四日市市富田浜元町1867
竣工:昭和前期(昭和2~3年頃?)
構造:木骨コンクリート造2階建、塔屋付
※国登録有形文化財
■建物隅にアールを施し外壁はスクラッチタイル貼りとモルタル洗出しで仕上げ、縦長窓が並ぶ当時流行の表現主義風のデザイン。
特に塔屋がランドマーク的役割を果たしていてかなり目立ちます。
◆アミカン本社正門/竣工:昭和前期/構造:コンクリート造/※国登録有形文化財
◆アミカン本社煉瓦塀/竣工:昭和前期/構造:煉瓦造/※国登録有形文化財
■敷地の裏側道路沿いに戦前築と思われる古い建物と通用門が残っていました
(撮影:2013/11/17)
近鉄西日野駅から天白川沿いの道を西へ500mほど向かうと、右手に「四郷郷土資料館」の案内板があります。北側の丘陵に向かって坂道を登っていくと、白い木造2階建ての建物にそびえる立派な塔(望楼)に目を奪われます。
建物は大正期に四郷村役場として建てられたもので、この時期の公共建築によく見られる、2階建てのハーフティンバー風の木造建築です。立派な車寄せのついた玄関や、3階建ての威風堂々とした望楼は、当時の村役場としては破格な造りで、この村出身の財界人伊藤伝七(当時東洋紡績社長)が大金を寄付し完成させたものです。
伊勢室山器械製絲場(後亀山製絲室山工場)を創立した伊藤小左衛門もこの地区の出身で、幕末から醸造、酒造、製糸、製茶業などを創業、明治に入り発展を遂げ、四日市近代産業の発祥地として大きく栄えました。
現在旧四郷役場は四郷郷土資料館(毎週土曜開館)として再利用され、地域のシンボルとして大切に保存されています。
◆四郷郷土資料館(旧四郷村役場)/三重県四日市市西日野町3375
竣工:大正10年(1921)
設計:野田新作
構造:木造2階建
撮影:2013/05/04
■建物北側
■門柱には「四郷村役場」のプレートが残る
■建物南側正面
■車寄せのある玄関
■建物東南角には3階建ての望楼がそびえる
■資料館外観
諏訪公園をあとにして、近鉄四日市駅から内部線で西日野方面に向かい、四郷地区にある近代建築を訪ねます。途中日永駅から八王子線に分岐、次の駅が終点西日野駅です。近鉄八王子線は、大正元年に三重軌道が日永駅~八王子村駅を開業、路線名の由来となっているのですが、現在西日野から先の区間は廃止されているため、四郷地区までは西へ1km程の歩きとなります。四日市駅からのバス路線もあるのですが、今回は全国でも珍しい線路幅の狭い軽便鉄道に乗りたかったので、鉄道を利用しました。小さな可愛い車両がのんびり走る姿は、いかにもローカル線らしく、なかなか良いものです。
天白川沿いを西へしばらく歩くと、道路の北側に長い塀で囲まれた旧亀山製絲室山工場が見えてきます。この工場は明治36年土地の素封家伊藤小左衛門が創設したもので、広大な敷地に33棟の工場が並んでいました。その後昭和16年に亀山製絲が購入、しかし時代とともに製糸産業も衰退し、平成7年に操業停止、平成11年にほとんどの工場が解体され、現在は南側の道路に面した洋風建築の繰糸工場や土蔵など5棟を残すのみになっています。
現在取り壊しをまぬがれている繰糸工場は、東西70mにわたる長大な擬洋風の木造工場建築で、白く塗られた下見板の外壁が明治期の工場らしい佇まいを感じさせます。平屋建てですが、外観は下に胴蛇腹の付いた高窓のため、2階建てのように見えます。この高窓と越屋根側面の窓の開閉で、採光と湿度を微妙に調整し、工場内の作業環境を一定に保ちました。
現在の繰糸工場の荒れ具合を見ると、今まで残っていることが奇跡的と言える状態です。ここまで来たらぜひ残してもらいたいのですが、建物の修復保存には莫大な費用が必要です。持ち主の企業がだめなら四日市市で何とかして欲しいところですが、当然ながらどこの自治体でもそんな余裕は全くありません。建物を取り巻く状況は大変厳しいのですが、この地域の近代化に貢献した貴重な産業遺産として、未来に伝えられことを願ってやみません。
◆旧亀山製絲室山工場/三重県四日市市室山町574
竣工:明治36年(1903)
構造:木造平屋建
撮影:2013/05/04
■道路に沿って北側には塀がめぐる
■工場中央にある豪華な造りの玄関は、東宮殿下(大正天皇)視察の折に増築された
■軒まわりの繰形付きもち送りが美しい造形を見せる
■工場西端の増築部分は、大正天皇の御座所として設けられた
■北側より工場を望む~老朽化により屋根がうねっている
■5千坪の広大な敷地の南端に一棟だけ残る繰糸工場
■前回訪問時撮影(2006/11/03)
四日市港から市の中心部近鉄四日市駅方面へ戻り、駅のすぐ東側にある諏訪公園に向かいました。諏訪公園は明治39年(1906)開園の歴史のある公園で、噴水のある広場の北側に、茶色のスクラッチタイルに覆われたちょっと洒落た建物が建っています。
この建物は御大典記念行事として、昭和4年(1929)市立図書館として建設されたもので、当時四日市銀行頭取、伊勢電気鉄道社長などを務めていた実業家熊澤一衛により、図書二千冊とともに寄贈されました。とても昭和4年築とは思えないモダンな建築で、竣工当時は、1階に事務室、閲覧室、書庫、談話室が、2階に講堂、貴賓室がおかれていました。
建物正面の玄関上部には、中央に開いた本、両脇に餅をつくウサギをデザインした白い装飾パネルが設置されています。本に記された2588(皇紀)は、この建物が昭和天皇即位式を記念して建てられたことを、ウサギは寄贈者をあらわすものと言われています。
現在国の登録有形文化財に指定された建物は、すわ公園交流館として再活用されるという近代建築としては幸せな余生を送っており、多くの地域の住民に利用されています。
■建物正面南側
■玄関脇には登録有形文化財のプレートが設置されています
■皇紀2588は昭和天皇の即位式(昭和3年)、三つの星は天皇の象徴でしょうか
■ウサギの装飾は、「月台」という雅号を持ち歌を好んだ寄贈者の熊澤をあらわしていると言われています
■建物北側~出入り口があるのは2階ですが、小山が建物に接しているため平屋建てに見えます
■建物東側
■公園南側より、すわ交流会館を望む
◆すわ公園交流館(旧四日市市立図書館)/三重県四日市市諏訪栄町22-15(諏訪公園内)
竣工:昭和4年(1929)
設計:清水組名古屋支店
施工:清水組名古屋支店
構造:鉄筋コンクリート造2階建
撮影:2013/05/04
※国指定登録有形文化財
四日市港の古い倉庫や工場が建ち並ぶ一角にひっそりと戦前のビルが建っています。
屋上のオーダーをあしらった塔屋は国会議事堂を思わせるデザインで、壁面の表現主義風の装飾がモダンな雰囲気を感じさせます。
大正~昭和の近代建築には、現代建築にはない時代の刻印(影)みたいなものが色濃く残っていて、それが醸し出す独特の妖しさがじんわりと見るものに迫ってきます。
このビルの建つ空間だけが、現代と切り離された違う時間が流れているようで、時代の雰囲気を残す建物です。
◆国際資源活用協会(旧熊沢ビル)/三重県四日市市末広町2-2
竣工:大正3年(1914)
構造:RC2階建
撮影:2013/05/04
■建物は三叉路の角に立地しており、玄関は東側の道路に面している
■西側道路に面した建物裏側
■三叉路の角にある塔屋~スリット状の柱と幾何学的な装飾が見るものに強い印象を与えます
ゴールデンウイークの港の倉庫街は静けさに包まれ、ゆっくりと時間が流れていました。
人通りのない港町の昼下がり、のんびりと自転車を漕いで再び四日市駅方面へ向かいました。
■三岐鉄道北勢線 馬道駅/桑名市城山町
竣工:大正3年(1914)
構造:木造平屋
元々は下見板貼りの洋風木造駅舎だったと思われますが、現在はサイディングに張替えらています。
入り口からホームの軒先には、ぐるっと一周つららの様な飾りが垂れ下がっています。
明治~大正期の洋風木造駅舎には良く見られる装飾で、屋根瓦は純日本風です。
■旧東海道の洋館~九華公園近くの木造下見板貼りの洋風建築
■蔵前祭車庫横に架け替えられた橋(玉重橋)の親柱が保存されていました
桑名建築散歩~その7
松岡産業からさらに四日市方面へ向かい国道258号の高架をくぐると左手に木造校舎のような建物があります。
昭和初期に建てられた古い病院の建物ですが、下見板はきれいに塗り直され、瓦も葺き替えられたばかりのようで、現在も非常に良い状態で保存されています。
現在は門柱の表札が取り外されているので病院施設としては使われていないようです。
■武藤外科/桑名市安永1877
竣工:昭和初
構造:木造2階
撮影:2010/3/21
■建物の規模や構造から入院施設として使われていたと思われます
■国道1号線側の玄関
■以前の訪問時は壁のペンキも色あせた状態でした。(撮影:2006/11/3)
桑名建築散歩~その6
石取会館から旧東海道を南へ向かいます。
国道1号線に並行して四日市方面へ続く旧東海道は、道幅も狭く古い町家などもちらほら残り、いかにも旧街道と言った風情が感じられます。
そんな街道筋に建つ松岡産業(株)名古屋支店は、昭和の初に建てられたちょっとモダンな建物で、白の外壁に茶のスクラッチタイルの腰壁、玄関のコーナーには丸みをつけ軒のラインには段差をつけ外観に変化を持たせています。
4年前に訪れた時は道を挟んで向かい側に松岡工業と言う工場があったのですが、すっかり取り壊され敷地全部が分譲住宅になっていて驚きました。松岡産業の建物も営業している様子がなく寂れた感じで、現在は使われていないのかもしれません。
■松岡産業(株)桑名支店/桑名市安永1145
竣工:昭和初
撮影:2010/3/21
■玄関周りのアールとスクラッチタイルが見所
■木立に隠れた昭和モダンな丸窓を発見。
桑名の建築散歩~その5
九華公園から桑名駅方面に向かうと、旧東海道沿いの昔ながらの街並みに石取会館があります。
大正14年に四日市銀行桑名支店として建てられ、現在は石取祭車を展示し、桑名の石取祭を紹介する石取会館として再活用されています。
このあたりは大正から昭和にかけて、銀行や役場、警察署などが建ち並ぶ旧東海道筋の古い町並で、桑名の中心地として栄えました。
現在はその頃の面影を残す建物は石取会館だけになってしまいましたが、そのクラッシクな外観は、桑名の在りし日の街角を今に伝えています。
■石取会館(旧四日市銀行桑名支店)/桑名市京町16
竣工:大正14年(1925)
構造:RC造2階
撮影:2010/3/21
■建物正面~角にアールをつけ2階分の縦長の窓を設ける
■建物裏側~いたってシンプルな外観
■外壁の柱と窓上部のデザインに簡略化された古典様式のデザインが見られる