坂祝駅のすぐ南で戦前に建てられたと思われる古い和洋折衷の建物を見つけました。
東西に長い建物で、西側の玄関のある建物と東側の洋風の建物がつながってひとつの建物になっています。
とにかく外観が和洋折衷変化に富んでいて、いかにも戦前に建てられたレトロな雰囲気が漂う物件です。
西側の玄関部分
下見板張りの和洋折衷の外観で、正面真ん中に観音開きの玄関を設け、脇には受付のような小窓も設置されています。
東側にはやたら窓の多い洋風の建物がつながっています。
現在は住宅として使われているようですが、建物のつくりから建築当初は普通の住宅ではないことは明らかです。
事務所、医院、郵便局、旅館、アパート、用途は色々考えられますが、謎は深まります。
(撮影:2011/10/02)
木曽川流域に位置する兼山町は、古くは水運によって栄え、近代に入るとダムや発電所が建設されました。
町の中心は木曽川と山に挟まれた街道沿いの狭い地域で、その旧街道に面して明治期に建てられた古い土蔵造りの郵便局舎が現存しています。
岐阜県には同様の漆喰塗土蔵造りの擬洋風建築、旧加治田駐在所(加茂郡富加町)がありますが、県内でも土蔵造りの郵便局舎で現存するものは極めて珍しいと思われます。
こちらも旧加治田駐在所と同じように、外壁の漆喰が剥げ落ちてボロボロ、土壁が見えている状態ですが、実際現地で建物の前に立つと、「よくぞ今まで取り壊されもせず建っててくれました」と感慨胸に迫るものがあります。
建てられてから100年以上が経過していますが、縦長の上げ下げ窓や、コーニス、玄関の破風の飾りなど、創建当時のディテールがそのまま残っているのは嬉しい限りです。
兼山町の明治から1世紀の歴史を語る貴重な産業遺産として、今後の保存と再生活用が望まれます。
◆旧兼山郵便局 /岐阜県可児市兼山町
竣工:明治36年(1903)
構造:木造2階
撮影:2007/04/08
正面は漆喰のままですが、側面は最近板張りに改装された様子
玄関ポーチの軒下には明治~大正期の洋風建築によく見られる板状の装飾がつららのように下がります
ギボウシのような玄関照明もなかなか味があります
玄関軒下に付けられたアールヌーボー風の鋳鉄製の持ち送りや
木製の玄関扉、窓枠も当時のままです
可児市広見と土岐市を結ぶ土岐可児線(84号線)沿いの久々利と言う町に、廃校になった大正時代の小学校が残っています。
岐阜県の山間部でも戦前の木造校舎はほとんど建て替えられ、当時のまま現存する大正期の小学校は貴重な存在で、小学校5年生まで戦前の木造校舎で学んだ私には、のどかな山間に建つ木造校舎の風景はノスタルジーをかきたて、しばし懐かしい少年時代の記憶を甦らせてくれます。
白く塗られた木造下見板張りの校舎はかなり傷んでいますが、広い校庭もそのまま残っており、このまま町の歴史を語る施設として再生活用されることを願うばかりです。
◆旧久々利(くくり)小学校/岐阜県可児市久々利
竣工:大正14年(1925)
構造:木造平屋
撮影:2006/11/05
「学」と「學」の字が入った特注の鬼瓦も昔のまま
廃校後は電器会社として使われていたようですが現在は空き家になっています
今渡発電所は木曽川と飛騨川が合流する地点からすぐ下流、木曽川水系の最下流に位置するダム式発電所で、設計は木曽川水系で多くの発電所を手掛けた佐藤四郎建築事務所です。
佐藤四郎は木曽川で7つの発電所(寝覚発電所、桃山発電所、読書発電所、落合発電所、大井発電所、笠置発電所、今渡発電所)を設計していますが、発電所の外観はそれぞれ異なったデザインが採用されています。
今渡発電所の外観はまさにコンクリートの四角い箱ですが、その白い箱の外壁は柵で囲ったようにぐるりと柱で囲まれ、まるで巨大な虫かごを連想させます。
基礎部分から屋上まで通されている主柱の間に、等間隔に同じ長さの連続した付け柱(ピラスター)を配し、すべての柱は屋上から飛び出し上に伸びています。
建物正面の主柱4本と側面の両端の主柱2本は、付け柱より高く突き出し、垂直性を志向する中世のゴシック建築を思わせる味わいがあります。
◆今渡発電所(関西電力)/可児市川合字西野~美濃加茂市
竣工:昭和14年(1939)
設計:佐藤四郎建築事務所
施工:間組
構造:RC造
撮影:2006/11/05
◆発電所正面(下流の新太田橋から撮影)
スリット状の縦長の窓と小さな半円アーチの窓の2段に分かれ、最下部に3つ1組の換気用の窓が4か所設けられています
上空に飛び出した柱で屋上が凸凹になっているのが良く分かります
◆発電所側面(可児市側)
上空に突出した柱が中世の城郭を思わせます
美濃市を散策中偶然見つけた昭和の香りがぷんぷん漂う、木造下見板貼りの洋風建築の歯医者さんです。
今では珍しくなりましたが、私の子供の頃はこんな昭和レトロな医院がどこの町にもありました。
ブロック塀ではなく菱形に金属の装飾が入ったモルタル塀が良い味出してます
門柱に旧字体で書かれた表札が時代を語ります
156号線を美濃市街を抜け長良川沿いに北上すると、長良川を挟んで左手にちょっと細身のミニギリシャ神殿風の白い三角屋根(百葉箱)と排水口が目にとまります。
井ノ面水力発電所は山をくりぬいた岩窟屋舎のため、少し上流に位置する長良川発電所のような本館と呼べる建物がなく、一般の人には発電所の存在が分かりにくくなっています。
ミニ神殿風百葉箱の隣には同様の古典的デザインで統一された発電所の入り口があり、「中部電力 井ノ面水力発電所」と書かれた門柱が発電所の存在を示しています。
長良川発電所のようないかにも近代建築らしい建物はありませんが、真っ白に塗られたクラッシクなデザインの百葉箱と入り口の造形には、しっかりと当時流行の歴史様式を取り入れています。
◆中部電力 井ノ面水力発電所/美濃市安毛字井ノ面874-11
竣工:大正10年(1921)
構造:岩窟屋舎
設計:板取川電気(株)
撮影:2007/04/29
対岸から見た発電所全景~排水口から勢いよく長良川に放水されています
道路に面して発電所入り口と百葉箱が並んでいます
ギリシャ神殿風デザインで統一された入り口と百葉箱
長良川水系では最も古い発電所で、完成当時はわが国2番目の規模を誇っていました。
本館はイギリス積みの赤煉瓦造で、竣工時は発電機室建物が本館の南側にL字型に接していましたが、切り離され新築されました。
南側の壁面には発電機室の妻屋根の跡がはっきりと残っており、接合部は新しくタイルが貼られています。
正門の煉瓦造の門柱や外壁も当時のままで、鉄製の扉には中電のロゴマークがあしらわれています。
◆長良川発電所本館/岐阜県美濃市立花字木の末844-1
竣工:明治43年(1910)
構造:煉瓦造地上2階地下1階建
撮影:2007/04/29
☆国指定登録有形文化財
発電所本本館・正門・外塀全景(北側)
本館南側~取り壊された発電機室接合部が壁面に残っています
発電所遠景~手前は新築された発電機室建物
発電所本館入り口~アーチの中心にはキーストーンがはめ込まれています
発電所正門~門柱の柱頭には花崗岩を用い袖塀と階段も煉瓦造
袖塀に取り付けられた登録有形文化財のプレートと鋳鉄製門扉の中電の社章
正門前に設置された発電所の説明板
◆旧名鉄美濃町線美濃駅本屋・プラットホーム/岐阜県美濃市2926-4
竣工:大正12年(1923)
構造:木造平屋建
撮影:2007/04/29
☆国指定登録有形文化財
名鉄美濃町線美濃駅は、美濃町線の廃止にともない1999年3月31日に廃駅となりましたが、駅本屋とプラットホーム、車両、一部線路が記念館として保存展示されています。
駅舎は大正期に建てられた役場や公民館、学校などに良く見られる木造下見板貼りの洋風建築で、戦前の名鉄の駅舎はほとんどこのタイプです。
名鉄は古い木造駅舎が結構残っていましたが、ここ10年程で岐阜県内のローカル線(揖斐線、谷汲線、八百津線、美濃町線など)が廃線になり、現在当時のまま残っている戦前の木造駅舎は数えるほどになってしまいました。
旧名鉄美濃駅舎は地域のランドマークとして長い間住民に親しまれてきた建物で、登録有形文化財として保存活用の道が開けたのは嬉しい限りです。
駅舎妻側に出入り口を設け壁面に装飾的に木骨を見せる
待合室と改札口
ターミナル型の駅舎に2本のホームが取り付く
コの字型のプラットホームにかつて美濃町線を走った車両が保存されている
大正15年製の丸窓がレトロなモ510形
当時流行の正面が半円筒形の流線型の車体
美濃町線の廃線跡~路線の一部が道路になりプラットホームも残っていました
サイクリングロードに最適で気持ちよく走れます(関市下有知中学附近)
岐阜県美濃市は古くから和紙の産地として知られ、江戸時代の豪商が建てたうだつのある古い町並が現在も残っていて、国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
そんなうだつの上がる町並の一角に、戦前に建てられた木造下見板貼りの洋館建築があります。
元々は美濃町信用購買販売利用組合が建設、美濃町産業会館として使われてきましたが、現在は美濃和紙で作られたちょうちんやあかりアート作品の展示、販売などを行う「美濃和紙あかりアート館」として生まれ変わり、美濃市の観光拠点のひとつとして活用されています。
◆美濃和紙あかりアート館(旧美濃町産業会館)/岐阜県美濃市本住町1901-3
竣工:昭和16年(1941)
構造:木造2階
撮影:2011/04/29
☆国指定登録有形文化財
切妻造の総2階建、外壁は下見板に腰タイル貼りで
縦長の窓の上下を繋げて廻し水平線を強調したデザイン
内部は展示スペースに改装されていますが
1階階段親柱のデザインが当時の面影を残しています
改装前の建物全景~正面玄関軒下に装飾がありましたが現在は撤去されています
本町商店街に昭和7年創業の古い雑貨店があります。
私の子供の頃、昭和40年代くらいまではどこの町にも「〇〇銀座」などと言うネーミングの商店街があり、地元の人々で大変にぎわっていました。
雑貨店をはじめ、洋品店、金物店、履物店など多くの専門店が軒を並べ、母に連れられよく買い物に行ったものでした。
時は流れ、買い物の中心は大型スーパーや各種量販店、コンビニなどが主流になり、昔ながらの商店街はすっかりさびれてしまいました。
タルヤ雑貨店のような昭和の暮らしを支えた商店が街角から姿を消し、後に残るのはコンビニだけというのは非常に寂しい限りです。
◆タルヤ雑貨店/関市本町6-23
竣工:昭和7年(1932)
構造:木造2階
撮影:2007/03/04
2階の窓ガラスに右から書かれた屋号が時代を語ります
隣のタイル貼りの商店もかなり古そうです
伊深自治会館を訪ねた後、旧飛騨街道を西に向かい隣町の富加町加治田の旧加治田駐在所に寄りました。
街道沿いに建つ旧加治田駐在所は、1階は巡査詰署と控え室、2階は宿直室・取調室として戦前までは現役の駐在所として使われていました。戦後は床屋に転用されたため、現在1階部分は窓や玄関ドアなどが床屋用に改装され、外壁の一部もタイル貼りになっています。
外観は漆喰塗りの土蔵造にむくり屋根の和風の仕様ですが、2階にテラスを設け、窓は縦長のダブルハング(上げ下げ窓)とアーチ窓、外壁の角には隅石など洋風志向も取り入れた擬洋風建築と呼ばれる建築様式です。創建当初のままの面影を残す明治期の洋風建築は貴重な存在で、県下現存最古の擬洋風建築と言われています。
かつては明治の初めに洋風の駐在所が建つくらい栄えた加治田の町ですが、今は静かな山里にゆったりとした時間が流れています。隣町の伊深自治会館とともに、この小さな古い駐在所が、いつまでもこの場所で時を刻んでくれることを祈るばかりです。
■旧加治田駐在所/岐阜県加茂郡富加町加治田291-1
竣工:明治10年(1877)頃
構造:木造2階土蔵造
撮影:20010/3/22
建物の老朽化は進み壁は漆喰が剥げ落ちてぼろぼろです
来る度に「建っててよかった」と思わせるくらいの荒れ放題の状態です
むくり屋根のてっぺんにはかわいいウサギさんの鬼瓦がのっています
今回もウサギさんの無事を確認、来る度に両手を広げにっこり笑って出迎えてくれます
火の見櫓と古い洋風建築~過ぎ去りし街角の風景
昨年わたしのHPのをご覧になった方から、岐阜県美濃加茂市伊深町の古い洋風建築の情報をいただきました。
ずっと気になっていたのですが、やっと現地に行ってきましたのでご紹介します。
場所は伊深小学校の南、JAめぐみの伊深の東隣で、玄関には伊深自治会館の看板が掲げてあります。近代建築の調査書などに記載がない為、建物の詳細は不明ですが、戦前の地方の洋風建築としてはかなり立派なもので、当初は役場などの公共施設として建てられたものと思われます。
(その後国の登録有形文化財の指定を受け、旧伊深村役場の庁舎と判明)
外観は木造平屋下見板貼り、コ字型の平面の両端に切妻の屋根を張り出し中央に和風のむくり屋根の玄関を設けています。両端の切妻の破風部分は縦に板を貼り下端を山切りカットにして外観に変化を持たせています。洋風を基調に和風デザインを取り入れた和洋折衷のデザインが特徴。
2016年国登録有形文化財指定を受け、創建時の外観に復元されました。2018年6月からカフェもオープンし、現在は地域のまちづくり拠点として再活用されています。
■旧伊深村役場庁舎/岐阜県美濃加茂市伊深町字円照899-3
竣工:昭和11年(1936)
構造:木造平屋
※国登録有形文化財
■左右対称の堂々としたファサード
■窓枠と玄関ドアはサッシに変わっていますが後は当時の様子をとどめています
■玄関は数奇屋建築などに見られるゆるくカーブしたむくり屋根
■玄関の鬼瓦は「伊深」の銘が入った特注品
■玄関の柱に使われている花びらの釘隠し