明日は節分、前日の今日と2日間、各地の寺社で節分祭が行われている。新撰組でも有名な壬生寺も節分会に毎年大勢の参詣者が訪れる。参詣者の厄除・開運を祈願し壬生狂言の30ある演目の1つ、『節分』が繰り返し上演される。その模様は新聞、テレビで目にしてきたので一度行ってみたいと思っていた。
今日は思いのほか早く雨が上がり、4月上旬を思わせるような暖かさであったので出かけることにした。今日は電車を使うことにした。学研都市線で田辺に出て近鉄に乗り換え京都駅へ、JR山陰線の丹波口で下車して10分弱歩くと壬生寺である。京都駅0番ホームもしっかり見ておきたいという思いもあった。星田駅11:25の列車に乗ると京都駅には12:30には着く。山陰線の出発時間までにホームをウロウロと観察する。壬生寺の南門に12:55に到着。予想以上の賑わいであった。
壬生狂言は13時~20時の毎正時に繰り返し上演される。13時からのものはすでに満員で、14時からのものを見るための列ができていた。屋台で腹ごしらえをしてから列に加わった。上演時間は40分ほどなので、13時45分ぐらいから入場できるという放送があった。待ち時間は約40分、持ち合せていた森本哲郎さんの『サムライマインド』がしっかり読めた。場の雰囲気と本の内容がフィットしていてなかなか良かった。13時40分になると1回目の上演を見ていた人たちが出てきた。出てくる、出てくる。どんどん出てくるという感じであった。観覧席ではもちろん撮影禁止。
壬生狂言についてはほとんど知識がなかったので、始まるまでに200円の解説冊子を買い求め、にわか勉強をする。それによると
「壬生狂言を正しくは「壬生大念佛狂言」と言い「壬生さんのカンデンデン」という愛称と共に、古来から京の庶民大衆に親しまれてきました。この壬生狂言は今から七百年前の鎌倉時代、壬生寺を大いに興隆した円覚上人(1223~1311)が始めたものです。当時、円覚上人の教えを来聴する大衆が数十万人にも及んだので、人々は上人を「十万上人」と呼んでいました。上人は正安二年(1300)、壬生寺において「大念佛会」という法会を行ないました。この時に上人は、拡声器とてない昔、群衆を前にして最もわかりやすい方法で仏の教えを説こうとしました。そして、身ぶり手ぶりのパントマイム(無言劇)に仕組んだ持斎融通念佛を考えついたのです。これが壬生狂言の始まりと伝えられています。
近世に入ると庶民大衆の娯楽としても発展し、本来の宗教劇のみならず、能や物語などから色々と新しく取材され、曲目やその数も変遷して現在上演されるものは、三十曲であります。しかし、一般の能狂言とは異なり、かね・太鼓・笛の囃子に合わせ、すべての演者が仮面をつけ、一切「せりふ」を用いず無言で演じられる壬生狂言の形は変わらず、娯楽的な演目の中にも勧善懲悪、因果応報の理を教える宗教劇としての性格を今日まで残しています。」 となっている。
上演後は、後家(女主人)が鬼を追い払うためにまいた豆や鬼が打ち出の小槌で取り出した着物などを、主に地元に居住する「壬生大念佛講」の小学生達がかいがいしく片付ける様子がほほえましかった。将来、演者となって受け継いでいく子どもたちである。
護摩焚きの煙を浴び、福豆を買って帰路につく。

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今日は思いのほか早く雨が上がり、4月上旬を思わせるような暖かさであったので出かけることにした。今日は電車を使うことにした。学研都市線で田辺に出て近鉄に乗り換え京都駅へ、JR山陰線の丹波口で下車して10分弱歩くと壬生寺である。京都駅0番ホームもしっかり見ておきたいという思いもあった。星田駅11:25の列車に乗ると京都駅には12:30には着く。山陰線の出発時間までにホームをウロウロと観察する。壬生寺の南門に12:55に到着。予想以上の賑わいであった。






「壬生狂言を正しくは「壬生大念佛狂言」と言い「壬生さんのカンデンデン」という愛称と共に、古来から京の庶民大衆に親しまれてきました。この壬生狂言は今から七百年前の鎌倉時代、壬生寺を大いに興隆した円覚上人(1223~1311)が始めたものです。当時、円覚上人の教えを来聴する大衆が数十万人にも及んだので、人々は上人を「十万上人」と呼んでいました。上人は正安二年(1300)、壬生寺において「大念佛会」という法会を行ないました。この時に上人は、拡声器とてない昔、群衆を前にして最もわかりやすい方法で仏の教えを説こうとしました。そして、身ぶり手ぶりのパントマイム(無言劇)に仕組んだ持斎融通念佛を考えついたのです。これが壬生狂言の始まりと伝えられています。
近世に入ると庶民大衆の娯楽としても発展し、本来の宗教劇のみならず、能や物語などから色々と新しく取材され、曲目やその数も変遷して現在上演されるものは、三十曲であります。しかし、一般の能狂言とは異なり、かね・太鼓・笛の囃子に合わせ、すべての演者が仮面をつけ、一切「せりふ」を用いず無言で演じられる壬生狂言の形は変わらず、娯楽的な演目の中にも勧善懲悪、因果応報の理を教える宗教劇としての性格を今日まで残しています。」 となっている。



護摩焚きの煙を浴び、福豆を買って帰路につく。



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