実習で練習しているのだが、
人の話をよく聴く、ただ聴くというのは難しいものだ。
心を静かに、相手に集中しただ聴く。
自分の意見を言ってはならず、
相手がリラックスした状態を保たせながら、
相手が黙ったときは促し、相手がしゃべり続けるときは
静かにそれを聴く。
それがなかなかできない。
自分の意見をしゃべりたくなるし、
そんなことあんまりくよくよ悩むもんじゃない・・・
といいたくなる。
でも、その問題はその人にとっては死活問題で
本当に悩みつくしているということなのだが。
テクニックとしては
相手の言ったことをそのまま返す「繰り返し」
やら、「来談者の質問には答えない」等々あるのだが、
禁止されていることをついついしたくなってしまう。
「カウンセリング」ではなく「相談」になりそうなのだ。
人は誰でも自分で物事を解決できる力を持っている。
ただそれを忘れているか、それとも使い方が分からないだけかなのだ。
だから、何かを教えたり道を指し示す必要はない。
それは依存を生む。
ただ聴くという一番単純なことが、一番難しい。
人の話をよく聴く、ただ聴くというのは難しいものだ。
心を静かに、相手に集中しただ聴く。
自分の意見を言ってはならず、
相手がリラックスした状態を保たせながら、
相手が黙ったときは促し、相手がしゃべり続けるときは
静かにそれを聴く。
それがなかなかできない。
自分の意見をしゃべりたくなるし、
そんなことあんまりくよくよ悩むもんじゃない・・・
といいたくなる。
でも、その問題はその人にとっては死活問題で
本当に悩みつくしているということなのだが。
テクニックとしては
相手の言ったことをそのまま返す「繰り返し」
やら、「来談者の質問には答えない」等々あるのだが、
禁止されていることをついついしたくなってしまう。
「カウンセリング」ではなく「相談」になりそうなのだ。
人は誰でも自分で物事を解決できる力を持っている。
ただそれを忘れているか、それとも使い方が分からないだけかなのだ。
だから、何かを教えたり道を指し示す必要はない。
それは依存を生む。
ただ聴くという一番単純なことが、一番難しい。