友達がテニスが上手くならない・・・と嘆いていた。
テニス暦は10年で、上手くないはずはないのだが、
確かに10年という年月を考えたら、もっと上手くてもよいかもしれない。
私には彼女が上手くならない理由はわかっている。
「勇気がない」からだ。
「自分ができないことに対する人の指摘を素直に受け止めること」
ができない性格が、上手くなることを阻害しているのだと思う。
彼女の眼は「できないことを乗り越えること」に眼が向かず、
「できないことそのもの」に眼が向き、感情的になるのだ。
体を動かすことには言葉ではうまく言い表せない「暗黙知」が
多く存在する。
サーブを受ける立ち位置なんて、相手、天候、調子、性格、思惑・・・
もろもろの条件で無数にある。
「教えてもらうこと」と「自分で考えること」の比率を
変えてもよい時期だと思うのだが。
そのことを伝えたいのだが、
「できないことを指摘されること」に抵抗があるらしく、
こちらが言いたいことを理解してもらえないでいる。
体を駆動するのはこころなのだと思う。
考え方をシフトさせない限りは、体は動かない。
テニス暦は10年で、上手くないはずはないのだが、
確かに10年という年月を考えたら、もっと上手くてもよいかもしれない。
私には彼女が上手くならない理由はわかっている。
「勇気がない」からだ。
「自分ができないことに対する人の指摘を素直に受け止めること」
ができない性格が、上手くなることを阻害しているのだと思う。
彼女の眼は「できないことを乗り越えること」に眼が向かず、
「できないことそのもの」に眼が向き、感情的になるのだ。
体を動かすことには言葉ではうまく言い表せない「暗黙知」が
多く存在する。
サーブを受ける立ち位置なんて、相手、天候、調子、性格、思惑・・・
もろもろの条件で無数にある。
「教えてもらうこと」と「自分で考えること」の比率を
変えてもよい時期だと思うのだが。
そのことを伝えたいのだが、
「できないことを指摘されること」に抵抗があるらしく、
こちらが言いたいことを理解してもらえないでいる。
体を駆動するのはこころなのだと思う。
考え方をシフトさせない限りは、体は動かない。