そう~息子のお誕生日です。
二十歳から親元を離れ、大学6年、研修医、研修医同士で結婚
フェロー?≪専攻医≫の今は、それぞれ違う医局ですが
今年は、パパになる予定
とんとん拍子ですね。
でも何だろう?
私が妊娠8ヶ月の1990年の暮れには、湾岸戦争が勃発した。
出産を前にとても不安な気持ちになったのを覚えている。
生まれた息子は重度の喘息児
バブルも弾け、関東から未知の東北へと移転
喘息発作が軽くなり、子育てには最高の環境でした。
本当に20年間楽しませてもらいました。
ただ
義父の切ない願いは
願い=≪=旦那は単身赴任でいい!
=息子の学校は関東で!≫
....ごめんなさい本人の希望?....
関東に戻ることはなかった。
戻ろう?という気も、浪人生活の1年間を
千葉の家で過ごした時点では、あったようだけど
3.11の年の受験
いろいろ思うところもあったようで
結局、大学が東北方面になり叶わず...残念残念
....
「でもそうなっていたら、私はS☆君に会えなかった。」
とM☆子ちゃん
そうですね~
これも巡り合わせですよね
よい巡り合わせ
で
わが家にとっての待望の初孫ちゃんが生まれようとしている
今
なぜコロナ?
東京オリンピックのはずが
なぜなぜコロナ??
こんな悪い巡り合わせは、いらないですよね。
最近は、特に若者の感染が目立ってきました。
若者たちよ~
自粛して
Thankyou
★
『1日≪ついたち≫は、お父さんの日だから~』
母の口癖です。
決して「来い!」とはいわないけど
嫁にいったとはいえ、娘でしょう?近くにいるのだから
という無言の圧力は感じます。
転勤で引っ越してきた10月1日が、父の命日。
その後、母が骨折で入院して
11月12月....
1月~3月の冬の間は例年お寺さんもみえないので、今日が初?
千葉の家とは、宗派も違いますが
実家では、一緒にご唱和
親鸞聖人の「正信偈≪しょうしんげ≫」
「帰命無量寿如来≪きみょうむりょうじゅにょらい≫
南無不可思議光≪なむふかしぎこう≫」
かぎりなき『いのち』の如来に帰依し、
かぎりなき『ひかり』の如来に南無したてまつる
から始まる結構長い一冊。
浄土さんは、『南無阿弥陀仏≪なむあみだぶつ≫』
ご唱和♪では 南無阿弥陀仏、南~♪
≪なむあみだんぶ、な~≫ですか
それは「阿弥陀仏」のお名前に
「南無」を含めて『南無阿弥陀仏』の全体が名号とする
ちなみに、千葉≪嫁家≫は日蓮さんで『南無妙法蓮華経』
頭の柔らかい息子や、小さかったいとこ達は
結構暗記していました
4月1日、年度替わり
気が付けば、桜も結構咲いています。
今年はなんでも
早いですね。
自然は、
人ほど病むことなく春を迎える準備をしています。
Thankyou
★