ツイートからで掲載した記事【上】知的障害の長女に「しばけ」「殴れ」 3歳児を死なせた8人家族に起きたことの続きです。
直接どうぞ
https://news.yahoo.co.jp/articles/4f49651bdb7690e487bd455e9e06abbada6ec3c1
略
だがすぐに暗転する。「ゆりにとっては(新居での生活は)つらくてしんどくてイヤな思い出なの。一軒家にひっこししてからこんな苦しい思いをするなんて全く思っていなかった」。ゆり被告の部屋にはエアコンが付いていなかった。夏場は地獄で、夜は眠れない。朝起きて夜寝るまで、ほとんどの家事や育児を彼女がしていた。 着替えさせ、ミルクを温め、だっこしてあやし、オムツを替えた。その合間に洗濯や炊事。母親は「ふろためて、こいつら入れて」とか「こいつら調子乗ってるで。言うこと聞かんからしばいたれ」とか指示するだけ。ゆり被告によれば、母親は横になってテレビを見ながらスマホをいじったり、何かを食べたりしていた。
▽歯がぼろぼろの子供たち 子供らが部屋から出ないよう監視役もさせられた。毎日買い物に行くスーパーやコンビニでの引率も、ゆり被告の役割。雷斗ちゃんと双子の兄がうろうろしないように左右で手をつなぎ、右手にはさらに1歳下の末弟の手もつなぎ留めて歩かなくてはいけなかった。 掃除は苦手だったといい、家の中は散らかり放題で、台所も物が積まれていた。近所の人によると、一家にはピザや店屋物の配達がよく来ていた。母親は子供らに頻繁にジュースを買い与えた。歯磨きの習慣もなく、事件後に保護された子らの歯はぼろぼろ。捜査員は当初、親の暴力を疑ったほどだったという。 家では犬や猫、フェレットなどの動物をたくさん飼っていた。母親がペットショップで買ってきては途中で飼育放棄し、死なせていた。その数は12~13匹。最初はかわいがるが、すぐに飽きて「くさい」「ほえてうるさい」と言って遠ざける。散歩もさせずケージに入れっぱなし、冬場でもベランダに出しっぱなし。家の中で捨てられた犬たちを、ゆり被告がこっそり世話していた。
ゆり被告に自由に使えるお金はなく、犬たちのご飯代やワクチン代に充てるため「(弟らの)おむつ替えてくれたら10円あげる」といった指示に従い続けた。ただ動物の世話は、ゆり被告にとって唯一の慰め。手紙には「たいへんだけど、苦ではなかった。この子達が居たからゆりはあの家でがんばることができたのかも」と記した。 ▽「おびえながら」 1歳年下の長男は、知的障害が重かった。じっとしていられず家を飛び出す。路上の自転車のかごから手当たり次第に物を盗んだ。自宅の上階ベランダからは、たばこの吸い殻を路上に投げた。注意した近所の男性をいきなり殴りつけたこともあった。警察沙汰はしょっちゅうで、警察署では有名だったらしい。 長男は普段、父親が監督していたが、仕事で日中は対応できない。昼間に失踪すると、両親は「ゆり、探してこい。見つけるまで帰ってくるな」「あいつがいらんことしたらおまえのせいや」と言って追い込んだ。
いつも夕方、家に帰ってくる父親はゆり被告にとって恐怖の存在だった。機嫌が悪いとバットで殴ったり蹴ったり。「この家にいらんことをするやつは出て行け」とどやしつけた。一家は長男の行動に振り回され、長男が何かやらかすと不穏な空気が漂う。ゆり被告はそんな毎日を「おびえながら暮らしてた」と表現した。 雷斗ちゃんが不審死した際、捜査員はドアノブが取り外されていた3階の4畳半の洋室に入り、長男を発見した。ドアには錠が取り付けられ、室内から解錠できなかった。電気も取り外され、汚臭に満ちた部屋にはバケツが2個並べられ、汚物が入っていた。長男は閉じ込められた状態で生活し、バケツで用を足していた。ゆり被告はこのバケツの交換もしていた。 大阪府警は雷斗ちゃんの事件でゆり被告を逮捕してから2カ月後、長男を自宅の部屋に閉じ込めたとして、監禁罪で両親も逮捕した。父親は「(長男が)口ごたえをしてきたので、顔を2~3発殴って部屋に閉じ込めていた」「自由にさせたら外でむちゃくちゃする」と供述。母親も閉じ込めていたことを認め「夫と相談して決めた。監禁しないと外で悪さをするし、夫も仕事どころではなくなるので、仕方なかった」と話した。 ただ食事は毎日与えられており、外に出られる時間もあったようだ。犯罪の疑いは残るが起訴するには至らないとして、二人は起訴猶予で釈放された。
▽「工賃出すから」と母親説得 一家が福祉と全く接点がなかったわけではない。長男とゆり被告は事件当時、障害者の就労を支える作業所に通っていた。大阪市平野区に隣接する八尾市の「パラダイス八尾」。自動車の修理工場を改修した建物が作業場だ。利用者は自分たちのペースで軽作業などをしている。 代表の正野裕久さんによると、一家との関わり始めは事件から4年前の2015年ごろ。18歳だった長男が通う特別支援学校(高等部)の先生から「事件を起こしているような子で、どこも行くところがない。卒業後の面倒を見てくれないか」とお願いされ、「かなり難しい子だな」と思ったが引き受けた。 毎日のようにやって来る長男は、お漏らししたズボンをそのままはいており、アンモニア臭がしていた。父親に殴られたとみられ、顔などにあざがあった。作業所でも失踪は日常茶飯事で、盗み癖も続いていた。正野さんが長男を警察に迎えに行ったことも、一度や二度ではない。親代わりのような行動をした理由を公判で聞かれ「お父さんは仕事で対応するのが難しいし、お母さんは(まともに)話ができない人なので」と答えた。
ある日、来所した母親とゆり被告を見て「一家ひっくるめて支援しないと」と思った。ゆり被告は年頃の女性なのに髪の毛がぼさぼさ。家の中で大きな権限を持っていそうな母親は支援のキーパーソンになるとみたが、「金にシビアで、自分にメリットがないと思った人の話は聞く耳をもたない」(正野さん)。子供らに乳幼児健診や予防接種を受けさせず、保健福祉センターの職員が自宅を訪問しても、子供に会わせず追い返していたという。 正野さんは「工賃を出すから」と母親を説得し、2人にも通所してもらうことにした。子供らを連れて毎日顔を見せてくれれば、暮らしぶりが確認できる。苦肉の策だった。母親には、スタッフとの日々の雑談などを通じて、生活のリズムや常識を身に付けてもらえればと思っていた。 こうして母娘はほぼ毎日、2台の自転車に子どもを前後に2人ずつ乗せて通ってくるようになった。ただゆり被告に支払われる工賃は、母親が「私に全部くれ」と言い、ゆり被告も「それでいい」と言って拒否しなかったため、母親が受け取っていた。一家と直接会えない保健福祉センターの担当者らは、正野さんを通じて様子を確認していたようだ。「毎日来ていますよ」と伝えると、安心した様子を見せた。