散歩者goo 

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昨日記 20200923から20200926までの出来事

2020年10月17日 21時17分48秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
現状10月17日現在、健康その他異常なし。

9月23日 水
午前中無気力に過ごす。
コーヒーと緑茶を飲んで、気力回復。
前日の副食作りと、ジムでの運動が影響している可能性あり。
午後に、プールに備え、プール関係の用具を引っ張り出し、ナップサック等洗浄。
ジムに行こうとして、トレーニングカードをチェックし、修正しプリントしてからジムに行った。
寝る前に、ジムのランニングによる過労が気になり午前1時までランニング計画を作成した。

9月24日 木 (クールダウン効果)
午後から、前夜計画を立てたランニングを実施。
30分で約4km弱走った。
ランニング終了後、ウォーキングでクールダウンを初めて実施した。
ジムを終えて、スーパーに食材買い出しに行ったが、いつも長時間走ると足の筋肉疲労やこわばり感があったが、そうしたことが解消されていたことに、クールダウンの効果を実感した。
帰宅後は副食作りに追われ疲労した。

9月25日 金 (マイナポイント調査)
午前中、トレーニングカードのデータをPCに転記した。(まだまだ大量の転記データが存在する。)
その後マイナポイントを調査した。
手続きはかなり複雑で、マスコミで話題になっていたマイナカードの暗証番号については、役所に確認に行く必要があることが分かった。
夕方、マイナポイントの件で区役所に問い合わせに行き、結局マイナカードの暗証番号を再設定した。
帰宅後、マイナポイントの手続きを再調査した。
その後、Macのdポイントのカードを紛失していることに気づいた。
Macのdポイントカードだが、悪用されるのではないかと心配になり色々調べたが、そもそもdポイントをネット上で最終段階まで設定しておらず、Macで得たdポイントだけでは、紛失したカードで使用できるが、そのカードで、他のdポイント(Mac以外のdポイントカードを持っている。)を引き出すことはできないことがわかり安心した。
結局、dポイントの暗証番号を設定して、PC上でdポイントが管理できるようになった。

9月26日 土
この日は朝から何となく無気力で過ごし、朝食は10時からだった。
午後に、以前から何度も取り組んでいる、ジムのランニングデータの分析とトレーニング方法の修正を検討した。
9月までのランニング時間は、15分から20分程度だったが、涼しくなりだしてから週に1―2回30分走行を行い約4km走るようにしていた。
しかし、そのためには時速8km以上で走ることが必要で、現在の持久力では、脈拍や疲労度から見て限界以上の無理をしている可能性があるように判断している。
その無理の一つに、十分な肉体疲労の回復の遅れがあると考えている。
持久力が低下しているうえに、充分疲労回復しないままにランニングして、過労気味になっている可能性がある。
度重なる午前中の疲労感や無気力もその表れと考えている。
この日は冷凍ご飯の製造と副食製造に時間を取られた。
いつも行く西天満には行けなかった。
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価値観についての考察・断片メモ

2020年10月17日 20時07分36秒 | 人文科学・哲学・宗教・人生・生き方
(これは、以前から本やメディアから得た知識や考えていたことをまとめた、単なる断片的メモです。)
社会的傾向と価値観の問題
日本の、戦後社会の大きな流れは、戦後経済復興を成し遂げ、高度経済を成し遂げ、世界の主要国になり、その原動力が経済的豊かさにあることを国民全員が知っています。
しかし、その背景には経済至上主義に近い傾向性が、経済発展を後押ししたとみています。

経済至上主義の達成には、強い同調性=村社会と同じ構造や効率性=合理性=科学技術偏重の重視があり、それは新自由主義や、右翼の目指す全体主義(国や集団のために尽くし、個人は無視されやすい。)と親和性が高い傾向を持ちます。
科学技術は無色透明ですが、使う人集団次第で、如何様にもその人や集団に役立つよう利用可能です。
すなわち、使う人や集団の価値観で、科学技術の用途が意思決定されます。
その意思は、価値観そのものです。

経済至上主義や全体主義や民主主義といった政治体制とは、それぞれ経済・倫理と政治という違った分野での価値観です。

倫理については、価値観そのもので、多様な考え方が存在し、その背景には宗教や民族・文化や風土や歴史や政治思想といったものが絡んでいて、どの倫理が正しいということはできないと思います。
一つの国の中にも、多様な倫理観が存在しますが、倫理観は宗教の影響を強く受けることが多いと思います。

政治体制では、全体主義も民主主義も人間が作り出したもので、どちらが正しいということはできませんが、人権問題と全体主義は強い相反関係にあります。
基本的人権という価値観は、国連を含め多くの民主主義国家で人類共通の価値観と規定されているので、民主主義国家の価値観からは、全体主義は否定されなければなりません。
それでも、中国のように経済至上主義・一党独裁の価値観から全体主義的体制をとっている国や独裁国家も多く存在するようで、こうした国では基本的人権が抑圧されることが多いようです。
こうした価値観の差異は、科学的に見れば人間が作り出した単なる人間社会の事象であり、中国の人たちは経済的社会的安定を重視する価値観を選んでいるものと考えられます。

アリや蜂や猿やクジラ類やその他哺乳類や鳥類が形作る社会も自然現象の一コマで、知的能力の差はあれど、自然界から見れば文化人類学的に見ても、そうした社会構造の一つに過ぎないと思います。

しかし、人間はルネッサンス以降、富や知識の蓄積から、アメリカ革命(フランス革命より前)以降に人権という概念を獲得し(その時ですら奴隷解放はなかった。)曲がりなりにも、人はすべて自由平等という価値観を得ました。

しかしアメリカですら、キング牧師の活動で公民権法案が成立するまでは、黒人は虐げられていました。
また現在でも、中国や北朝鮮やロシアや独裁国では人権侵害がまかり通っています。

民主主義発祥の地古代ギリシャでも政治参加は、市民に限定され、奴隷もいれば、女性は政治活動には参加できませんでした。(古代ギリシャでは、各ポリスで様々な政治体制があった。)
また、古代哲学者が議論したように、賢明な王に政治をゆだねるほうが、民主主義より良いのではないかといった議論がいまでも論じられていますが、これも価値観により判断が分かれます。
政治経済は、人間の意思が反映されるので、科学のように絶対これが正しいという正解はないと考えています。

人間の価値観が絡む問題については、矛盾が発生しますが、その矛盾を解決しようとした手法の一つが弁証法による昇華とも見ることができます。
政治は、価値観の違いを戦うことなく折り合いをつける妥協の手法と考えることができます。
そうした妥協がなければ、価値観の衝突が暴力や戦争を引き起こします。
過去から現在まで、宗教や民族や経済的利害による戦争は絶えることがありませんが、これらはすべてエゴを含む価値観の違いを、暴力で押し通そうとした結果起こることです。

そういう意味でも、価値観の違いを含むお互いの違いを認め尊重することが重要です。
差別問題の根本的原因も、価値観の違いにあります。(貧困者や障碍者やマイノリティーを見下し金持ちを尊敬するのも価値観の一種。)
宗教や民族主義や科学を信じない反理性主義の原理主義を強く信じ込む人々については、警戒が必要で、価値観の違いや多様性(ダイバーシティー)を理解してもらう努力が必要と考えます。
価値観の違いは、理屈ではないと考えていて、人は誰でも少なからず差別意識を持っていると考えます。(性別 宗教 障害者 言語 生活習慣 人種・民族 国籍 貧富 知的・身体的能力 嗜好性 病気 ・・・・・・)
価値観の違いは、お互いに無条件で単なる違い・個性と意識して認め合うことが必要と考えます。
能力による差別が許されるのは、学術・芸術・スポーツと学校と企業・事業活動(製品やサービスの差別化と、能力による人事配置)だけと考えていて、その場や分野を離れ一般社会に戻ると、全員差別のない一市民として平等に暮らすことが必要と考えています。

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