散歩者goo 

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昨日記20210116から0118までの出来事

2021年03月02日 14時39分15秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
1月16日 土
通常は、西天満に行く日だったが夕食も用意されていないので、西天満行きを断念した。
午後から遅れている昨日記を書いた。
夕方以降夜遅くまで副食作りに専念した。

1月17日 日
昼から、HDのSVビデオのファイルを整理した。
これまで録画不良のたびにその場しのぎで、ファイルやホルダーの名前や場所や収納先を変更し、SVビデオの操作パネルとの関係も不明で、今回の整理もその場しのぎの整理となった。
体系的に整理するには長時間かけて体系を見直し整理し、フォルダーの作成や名前の変更や体系を整理する必要があり、じっくりと時間をかけて整理する必要があるだろう。
夕方から冷凍ご飯の製造や食材の買い出しに時間を割いた。
夜になって、夕食をレンジにセットしてから、ファストフードに出かけ読書した。
最近は、考古学の本と並行して哲学関連の本を読みだしたが、面白い。

哲学については、20代のころからラジオやTVの講座の哲学史や実存や構造主義を視聴した。
20-30代のころは観念論やマルクスや実存主義が流行っていた。
40代にギャラリーを初めて50代のころ、美術作家達と話しするうちに、現代美術の解釈等でアメリカの評論家党たちは記号論・構造主義の影響を受けているといったことを聞き、記号論や構造主義に興味を持ち、関係書籍をいくつか読んだ。
2-30代に視聴した大学講座の哲学史でも記号論は細心の考えとして断片的に一部紹介されていたが、今から見れば数学の集合論の延長のような話をしていたが、今から見れば実態はかなり違うことが分かった。
4-50代から記号論や構造主義の解説書を読み、言語学や民族学から展開し発展した、記号論・構造主義に魅力を感じた。
現象学にも何度か本格的に取り組んだが、実存主義は理解し一時かなり傾倒したが、現象学についてはいまだ理解していない。
その背景には、現象学について分析した本も読んだが、構造的に同じ意味に近い用語が多数あり定義が明確でないという結果、論理構成を明確にできないので、それが分かりにくさを形成しているのではないかと想像している。(そうした用語が多数ある。)
数学の専門家であった哲学者が、なぜ用語としてのアイコンとその観念の結びつきをファジーにしているのか疑問に思っている。
10年前ぐらいから、たまにギリシャ哲学も読んだり様々な哲学関連の本も読んだが、哲学と科学の本質的な違いも判り哲学の歴史を知ると面白い。
20代や30代初めのころは、観念論やマルクスに影響された。
数十年前までは、科学が発達すると(例医学・脳科学・心理学)哲学はなくなるのではないかと考えていたが、今はそんな考えではない。(古代から中世までは、科学は哲学の一部だったという。科学の分野が確立したのはせいぜい数百年の間という。)
その他フロイト ユング ニーチェ オギュスタンベルクの風土やハンチントンの「文明の衝突」やマックスウエーバー その他さまざまな哲学・人文科学・文明論等の本からの影響もうけ単に記号論や構造主義だけでなく実存や観念論やマルクスや様々な思想の影響を受けつつ、思索することを楽しんでいる。
哲学と宗教は似たところがあるが、宗教は最初の考え(教祖の教えやアミニズムや霊魂の考え)は決まっていて疑わなが、その考えのもとで、神学や仏教哲学や様々な哲学体系を形成している。
宗教と哲学は似ているが哲学は最初の考えから疑うところが、全く違う。
そうした宗教の哲学的思考や歴史や構造にも興味を持ち、関係の情報を読んだり視聴したりもしている。
また考古学と、古代人(旧石器時代も含む)の信仰や死生観およびその変遷については、民族学や哲学・宗教学と重なる部分もあり非常に興味を持っているし、学界でも議論されている事柄で、知的好奇心をくすぐる。
例えば、日本の神道の起源についても、わからないことが多い。
各宗教にも哲学的思考があり、それらに興味を持ち、歴史的背景も含め、折に触れそうした知識をかじっている。

1月18日 月
昼頃裏庭にあったギャラリー時代の看板を縁側に置き、メジロの餌台を作った。
メジロは餌台にミカンを置いてやると、一日に何度も来て食べている。
1ペアのメジロと、単独行のメジロが数羽いるようだ。
午後から事務とプールに行き、その後図書の返却借り出しに中央図書館まで出かけた。
新しく本を借り近くのファストフードへ行き、読書を楽しんだ。
夜は副食製造に追われた。

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