以下の一文は、私が投稿したFBのコメント
反共に近い傾向の人たちは国民民主党に行った。私の勝手な推測だがこの部屋で反共を声高に唱える人は、今までも多くいたが、単純思考の右翼勢力(右翼にも尊敬できる思慮深い人もいれば、深く物事を考えない単純な人もいる。)に近い人たちに思う。
立憲は、今まで通り現実的中道路線を貫けばよいと思う。
政治は最終的には権力を握ることが目的なので、重要な政策が一致すれば、協力し合うのは当たり前。
自民党と社会党が内閣を作ったこともあった。
むろん海外でもそうしたことは常識だ。
親共反共にこだわることは古い。
立憲と共産は、重要な天皇制や防衛政策は共産党とは大きく違うので、共産党は政権には参加しないということで選挙協力ができたと思うし、妥当なことと思っている。
そもそも、政治は価値観の違う人たちがそれぞれグループを作り、国家社会を牛耳るための権力闘争を繰り広げるのが政治だ。
価値観の違いをすべて原理主義的に打ち出せば、暴力的戦い(戦争・軍や警察権力による弾圧)になる。
それを防止し、議会・法令で統治・文治するのが民主主義だ。
したがって、民主主義政治は、妥協なしにはあり得ない。
そういう意味で、日本も世界も連立政権は当たり前だ。
保守右翼志向に近い自公政権に対し、立憲は中道・リベラルの対抗軸として戦略的に共産党と組むのは当然のことだろう。
価値観には、科学と違い絶対正しいということはない。
宗教、芸術、環境風土(海が好き 山が好き 田園が好き 都会が好き)、 好み(味 異性に対する関心 民族主義の傾向)趣味・・
これらはすべて価値観の一断面である。
キリスト教 仏教 イスラム 神道これらの宗教は一緒になることはない。
ただ、日本では宗教上の価値観の矛盾対立を平和的に解消するため奈良時代?以降天地垂迹説を生み出し、明治の廃仏毀釈まで神道と仏教が一緒になっていた。
最近、春日大社に興福寺の僧が春日大社の行事に参加したことが話題になった。
江戸時代までは、神主と僧侶が交流があり、兼務していたこともあるようだ。
お寺と神社が隣り合わせに建っている寺社が多いのもその名残だ。
明治時代の廃仏毀釈は、天皇親政の討幕勢力が権力を握り、それと同時に天皇との関連で神道が権力を握り、原理主義に走った結果起きたもので、多くの不幸が発生した。
民主主義社会では、廃仏毀釈のようなことは許されない。
同じ政党内ですら、個人の価値観はいろんな面で違う。
みんなが原理主義的に動けば、話はまとまらない。
そこで弁証法的に議論を重ね、別のより多くの人が納得する答えを作り出したり妥協したりするのだ。(ある意味妥協も昇華の一種ともとらえられる。)
特に利害やお金が絡み合う政治問題は解決しにくいが、それこそ妥協するしかないのである。(利益も損もお互い納得できるところで、公平に分け合う。)
さらに民主主義が成熟すると、少数意見が尊重されるようになる。
人権や、自由や平等の問題に絡んでLGBT・障碍者・貧困・ジェンダーその他さまざまな、弱者やマイノリティー差別も意識的に重視されるようになっている。
民主主義は、ギリシャ時代に成立したが、当時は市民権を持った者のみが政治に参加でき、女性や奴隷(戦争に負けると奴隷にされることが多かった。)は政治に参加できなかった。
それでも統治に関しては、哲学的に君主制と民主制が議論され、ポピュリズムと英明な君主による統治はどちらがいいかが議論されて、現代でもその議論の延長線上の話が話題になったりする。
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