長女ララ(小2)が「アタマがいたい」と言って学校を休んだ。
その前日も、学童保育に行かず亭主の職場に電話して、亭主の職場に行ったそうだ。
・・・どう見ても、病気、というよりは精神的なもののような感じがする。
これは、登校拒否(不登校?)の始まりなんだろうか。
本人に話を聞いても、学校が楽しくない訳ではないらしい。
ただ「アタマがいたい、アタマがふらふらする」とかいうだけ。
そういえば、リリ(次女、5歳)が自分のベッドで寝るようになってから
ララが毎朝(明るくなってから)私の布団にもぐりこむようになっている。
リリが一緒に寝なくなったのが、寂しいのだろうか。
まぁ、大人が勝手な理屈をこねていても仕方ない、と思って、下二人を寝かした後、
ララの話をじっくり聞いてみることにした。
最近、そういう機会もあまりなかったし。
学校のこと。勉強のこと。友達のこと。学童のこと。
いろいろ、話を聞いた。
楽しいこともあれば、辛いこともある。一つ一つ、話を聞いた。
学校を休んでいても、楽しくない、という。
亭主の職場で漫画を読んでいたそうだが、近くの学校のチャイムの音がすると
今頃クラスのみんなは何してるだろう、今日の給食は何かな、と気になるという。
・・・これは、学校に行った方がいい、と思った。
「ララの中には、学校に行きたい気持ちと、学校に行きたくない気持ち、
両方があるんだね」と言ったら、うなずいた。
本当に、そうだろうなぁ。こういうのって複雑だ。
「お母さんも、仕事に行きたい気持ちと、仕事に行きたくない気持ちと、
両方あるから、わかるよ」と言ったら不思議そうな目で私を見つめていた。
行きたい、行かなくちゃ、という気持ちがあるうちは、行こう。
時々は休んでいいから、それで元気になれなくても、また行こう。
背伸びして頑張って、それでホントに伸びることもある。
ララの仕事は、大きくなること。
大きくなる、っていうのは、身体が大きくなるだけじゃなくて、
一人で生きていけるように、いろんなことができるようになること。
新聞を読んだり、お店で買い物した時にすぐお釣りが計算できるように、
学校で勉強しなくちゃいけない。
エジソンみたいに学校で勉強しない人もいるけど、それは特別。
私はエジソンのお母さんみたいに、ララの勉強を全部はみてあげられない。
無理しないのも大事なことだけど、無理をするのも大事なこと。
頑張らなくっちゃいけないこともある。
そして、頑張ったのに嫌な気持ちになることもあれば、
頑張ってよかった、っていい気分になることもある。
そうやって、楽しいことも、辛いこともあるから、生きるのは面白い。
楽しいことばっかりだったら、楽しいことがわかららなくなるよ。
辛いことがあるから、楽しいことを楽しいって思える。
・・・というような私の生活信条(?)をララに話した。
ララは大きな目をして聞いていたが、どの程度、理解したものか。
さて、そうこうするうちにすっかり遅い、寝る時間。
一緒に寝たい、とララが言ったが、それはダメと言った。
自分の布団に入ってから、拒絶したのが良かったのか悪かったのか迷ったが・・・
まぁ、一度、拒絶したものは取り消すべきではなかろう。
しばらくしてから、どうしても気になったのでララのベッドを見に行った。
ララは寝息を立てて眠っていた。
翌日、ララは学校に行った。
(2008年5月に追記。この話のその後を思い出しつつ書いてみる。)
6月初旬、金土日に出張の予定が入っていたので、ララを連れて行くことを
決心し、金曜日には学校を休ませ、ララと一緒に行った。
出張中は私の両親の家に預かってもらった。
母子で一緒に過ごす(といっても移動中の時間だが)ことができたこと、
毎晩添い寝して甘えられたこと、などでララの気分は変わったように見えた。
翌週から元気に登校し、クラスに友達もできて、明るいララに戻った。
ふりかえると、ささやかながら、ちょっとした危機だったのじゃないかと思う。
親として、子供への目くばりと心くばりを欠かさぬようにしなければ。
その前日も、学童保育に行かず亭主の職場に電話して、亭主の職場に行ったそうだ。
・・・どう見ても、病気、というよりは精神的なもののような感じがする。
これは、登校拒否(不登校?)の始まりなんだろうか。
本人に話を聞いても、学校が楽しくない訳ではないらしい。
ただ「アタマがいたい、アタマがふらふらする」とかいうだけ。
そういえば、リリ(次女、5歳)が自分のベッドで寝るようになってから
ララが毎朝(明るくなってから)私の布団にもぐりこむようになっている。
リリが一緒に寝なくなったのが、寂しいのだろうか。
まぁ、大人が勝手な理屈をこねていても仕方ない、と思って、下二人を寝かした後、
ララの話をじっくり聞いてみることにした。
最近、そういう機会もあまりなかったし。
学校のこと。勉強のこと。友達のこと。学童のこと。
いろいろ、話を聞いた。
楽しいこともあれば、辛いこともある。一つ一つ、話を聞いた。
学校を休んでいても、楽しくない、という。
亭主の職場で漫画を読んでいたそうだが、近くの学校のチャイムの音がすると
今頃クラスのみんなは何してるだろう、今日の給食は何かな、と気になるという。
・・・これは、学校に行った方がいい、と思った。
「ララの中には、学校に行きたい気持ちと、学校に行きたくない気持ち、
両方があるんだね」と言ったら、うなずいた。
本当に、そうだろうなぁ。こういうのって複雑だ。
「お母さんも、仕事に行きたい気持ちと、仕事に行きたくない気持ちと、
両方あるから、わかるよ」と言ったら不思議そうな目で私を見つめていた。
行きたい、行かなくちゃ、という気持ちがあるうちは、行こう。
時々は休んでいいから、それで元気になれなくても、また行こう。
背伸びして頑張って、それでホントに伸びることもある。
ララの仕事は、大きくなること。
大きくなる、っていうのは、身体が大きくなるだけじゃなくて、
一人で生きていけるように、いろんなことができるようになること。
新聞を読んだり、お店で買い物した時にすぐお釣りが計算できるように、
学校で勉強しなくちゃいけない。
エジソンみたいに学校で勉強しない人もいるけど、それは特別。
私はエジソンのお母さんみたいに、ララの勉強を全部はみてあげられない。
無理しないのも大事なことだけど、無理をするのも大事なこと。
頑張らなくっちゃいけないこともある。
そして、頑張ったのに嫌な気持ちになることもあれば、
頑張ってよかった、っていい気分になることもある。
そうやって、楽しいことも、辛いこともあるから、生きるのは面白い。
楽しいことばっかりだったら、楽しいことがわかららなくなるよ。
辛いことがあるから、楽しいことを楽しいって思える。
・・・というような私の生活信条(?)をララに話した。
ララは大きな目をして聞いていたが、どの程度、理解したものか。
さて、そうこうするうちにすっかり遅い、寝る時間。
一緒に寝たい、とララが言ったが、それはダメと言った。
自分の布団に入ってから、拒絶したのが良かったのか悪かったのか迷ったが・・・
まぁ、一度、拒絶したものは取り消すべきではなかろう。
しばらくしてから、どうしても気になったのでララのベッドを見に行った。
ララは寝息を立てて眠っていた。
翌日、ララは学校に行った。
(2008年5月に追記。この話のその後を思い出しつつ書いてみる。)
6月初旬、金土日に出張の予定が入っていたので、ララを連れて行くことを
決心し、金曜日には学校を休ませ、ララと一緒に行った。
出張中は私の両親の家に預かってもらった。
母子で一緒に過ごす(といっても移動中の時間だが)ことができたこと、
毎晩添い寝して甘えられたこと、などでララの気分は変わったように見えた。
翌週から元気に登校し、クラスに友達もできて、明るいララに戻った。
ふりかえると、ささやかながら、ちょっとした危機だったのじゃないかと思う。
親として、子供への目くばりと心くばりを欠かさぬようにしなければ。