私の両親が我が家の近くに住むことになり、両親にとっての孫、つまり私の子供たちと接する時間が増えた。
それは良いことなのだが、子供の「しつけ」に関してちょっと問題が生じて。
私の父(70代)は、愛情深く私たちを育ててくれた親であるが、怒った時には厳しく、私は叩かれ殴られ平手打ちされて育った。
それが父の「しつけ」ということだったようだ。
子供であった私は、優しい時の父は大好きだったが、突然、怒り出す短気な父は嫌いだったし、父の暴力が恐ろしく怖くてたまらなかった。
しかし中学生ともなり反抗期に入ると「私が悪いから叩かれたのだ、反省して自分を変えよう」とはもう決して思えなかった。
当時の自分の心情を再現すると以下のようになるかもしれない。
「父が短気で自分の感情と怒りの衝動を制御できないだから私は叩かれた。
すっごく痛い上に、叩かれるということそのものが、私には屈辱的だ。
こんな父に屈してなるものか。
父の感情に従う義務など私にはない。
表面上だけ従ったフリをして、この場をやりすごそう。
反省しているフリで十分。もっともっと私には演技力が必要だ。」
という具合で、全然反省などしていなかった。
17歳の時に父に口答えした際に頬を平手打ちされたのが最後で、それ以降はなかったが、その最後のビンタは当時の私に家を出る決意を固めさせた。
家を出る、といっても家出などという短絡的衝動的な方法ではない。
父が望む職業に就くための進学という、父も認めざるをえない手段で、私は父の経済的庇護からは抜けないまま、父の暴力的な「しつけ」から逃げた。
・・・という具合で、私は父の「しつけ」と称した暴力行為を心から憎んでいる。
そして現在。
父は年老いても同じような暴力を自分の孫、つまり私の子供たちにもふるう。
悪いことをしたら「頭をゲンコツで叩く」「お尻を叩く」などなど。
それくらい、たいしたことじゃない?
いやいや。
老いた父に叩かれるルルの姿は、昔、父に叩かれていた子供時代の私を呼び覚ます。
少なくとも私は見ていて非常に不快だし、いきなり叩く、というのは昔のしつけ方法、だと思う。
あの時代の軍隊の鉄拳制裁的指導法が、子供のしつけ方にまで浸透していたのではないか。
愛情があればゲンコツでぶんなぐってもいい、と私は思えない。
いきなり殴られて子供が感じるのは「痛み」と「恐怖」である。
そんな「しつけ」は間違っている。
ということで、ルルを叩いた直後の父に今どきの「叩き方」を指導した。
「いきなり叩いたら幼児虐待と変わらないよ。
昔はそれでよかったのかもしれないけど、
今はそんなのは『しつけ』って言わない。
教育目的で叩くのならば、自分の感情の発露として
いきなり叩くんじゃなくて、まずは言葉で注意してよね。
『今、すっごくお行儀の悪いことしたな。次に同じことしたら叩くぞ』
と言葉で注意し、もしまた同じことしたら、叩いて。」
・・・と言ったら、父は無言で居間を出て行き、寝室にこもってしまった。
しばらくして、何事もなかったかのように寝室から出てはきたが。
娘である私にこんな指導をされるのも父にとっては面白くないだろう。
しかし、この点について私は譲る気はないし、父の暴力的「しつけ」を容赦するつもりもない。
その後は、いちおう、父が孫を叩く姿はみられなくなった。
それは良いことなのだが、子供の「しつけ」に関してちょっと問題が生じて。
私の父(70代)は、愛情深く私たちを育ててくれた親であるが、怒った時には厳しく、私は叩かれ殴られ平手打ちされて育った。
それが父の「しつけ」ということだったようだ。
子供であった私は、優しい時の父は大好きだったが、突然、怒り出す短気な父は嫌いだったし、父の暴力が恐ろしく怖くてたまらなかった。
しかし中学生ともなり反抗期に入ると「私が悪いから叩かれたのだ、反省して自分を変えよう」とはもう決して思えなかった。
当時の自分の心情を再現すると以下のようになるかもしれない。
「父が短気で自分の感情と怒りの衝動を制御できないだから私は叩かれた。
すっごく痛い上に、叩かれるということそのものが、私には屈辱的だ。
こんな父に屈してなるものか。
父の感情に従う義務など私にはない。
表面上だけ従ったフリをして、この場をやりすごそう。
反省しているフリで十分。もっともっと私には演技力が必要だ。」
という具合で、全然反省などしていなかった。
17歳の時に父に口答えした際に頬を平手打ちされたのが最後で、それ以降はなかったが、その最後のビンタは当時の私に家を出る決意を固めさせた。
家を出る、といっても家出などという短絡的衝動的な方法ではない。
父が望む職業に就くための進学という、父も認めざるをえない手段で、私は父の経済的庇護からは抜けないまま、父の暴力的な「しつけ」から逃げた。
・・・という具合で、私は父の「しつけ」と称した暴力行為を心から憎んでいる。
そして現在。
父は年老いても同じような暴力を自分の孫、つまり私の子供たちにもふるう。
悪いことをしたら「頭をゲンコツで叩く」「お尻を叩く」などなど。
それくらい、たいしたことじゃない?
いやいや。
老いた父に叩かれるルルの姿は、昔、父に叩かれていた子供時代の私を呼び覚ます。
少なくとも私は見ていて非常に不快だし、いきなり叩く、というのは昔のしつけ方法、だと思う。
あの時代の軍隊の鉄拳制裁的指導法が、子供のしつけ方にまで浸透していたのではないか。
愛情があればゲンコツでぶんなぐってもいい、と私は思えない。
いきなり殴られて子供が感じるのは「痛み」と「恐怖」である。
そんな「しつけ」は間違っている。
ということで、ルルを叩いた直後の父に今どきの「叩き方」を指導した。
「いきなり叩いたら幼児虐待と変わらないよ。
昔はそれでよかったのかもしれないけど、
今はそんなのは『しつけ』って言わない。
教育目的で叩くのならば、自分の感情の発露として
いきなり叩くんじゃなくて、まずは言葉で注意してよね。
『今、すっごくお行儀の悪いことしたな。次に同じことしたら叩くぞ』
と言葉で注意し、もしまた同じことしたら、叩いて。」
・・・と言ったら、父は無言で居間を出て行き、寝室にこもってしまった。
しばらくして、何事もなかったかのように寝室から出てはきたが。
娘である私にこんな指導をされるのも父にとっては面白くないだろう。
しかし、この点について私は譲る気はないし、父の暴力的「しつけ」を容赦するつもりもない。
その後は、いちおう、父が孫を叩く姿はみられなくなった。