夜9時。
ベッドで添い寝して、リリ(2番目、3歳女)と話をするのが最近の習慣になりつつある。
私 「リリ、何か心配なこととか、いやなこととか、ある?ない?」
リリ(小さな声で)「ある」
私 「何が心配なの?何かいやなことがあるの?」
リリ「おかあさん・・・おかあさんがね・・・おかあさんがね、死なないか、しんぱい。」
予想外の答えに、ちょっとドキっとした。
私 「おかあさんが、死ぬかもしれないって心配してるの?」
リリ「うん。」
そうか。そんな哲学的な(?)心配ごとをしていたとは。
そういえば子供は3歳ぐらいから死について考える、と何かで読んだような気もする。
じゃあ、この際「死」について説明しとかなくっちゃ、と話をすることにした。
私 「お母さんはね、年とってから死ぬかもしれないけど、いや、いつか必ず死ぬけど
(なんて言わない方がいいのかもしれないけど現実はそうだからつい言ってしまった)
リリが大きくなるまでは死なないと思うよ。というか、お母さんはまだまだ死にたく
ないなぁ。リリが大きくなるまではおかあさんを死なせないで下さい、って神様に
お祈りしてるんだよ」
寿命は自分では決められないから、ね。
しかし、リリは別のことを考えていたようだ。
リリ「おかあさんがね、死んだら・・・あたらしい いじわるな おかあさんが くるの?」
これはもう、白雪姫、シンデレラ、ヘンゼルとグレーテルの影響だな。
リリはこれらの絵本が大好きである。
私 「来ないよ。というか、お母さんは、まだ死なないつもりだし。
もし、もし、お母さんが死んで、新しいお母さんが来たとしても、とっても優しい人で、
リリもその人のこと大好きになっちゃうかもよ。その人もリリがとってもかわいいから、
こんなかわいい子にいじわるはできませんって、リリのこと大好きになっちゃうかもよ。
でもね、お母さんはたぶん、死なないでおばあさんになって、リリが大人になって子供を
産んだら『まぁかわいい赤ちゃん!私がおばあちゃんよ。リリが子供の頃にそっくりね!』
って言うはず。リリ、ちゃんと死なないで大きくなって大人になってね。」
若かった昔、現在の亭主と付き合い始めたばかり位の頃は、自分が死んで彼が別の人とつきあうなんて想像するだけでも悲しくて涙が出た。
自分の死への恐怖による涙なのか、次の女への嫉妬の涙なのかは、当時もよくわからなかったが。
それが、20年たった今では何の感情もなく平然と子供にこういう話をしている。
死ぬのは怖いし、死にたくないし、せめて子供たちが大きくなるのは見届けたい。
でも、この人生がいつ、終わりを迎えるのか、は誰にもわからない。
私が死んだら亭主はたぶん再婚するんだろうし、どうせ再婚するんだったら継母と子供たちは童話のようにではなく仲良くしてもらいたい。
・・・ということを、ドライに考えられるようになったのは、歳をとった証拠なんだろうなぁ。
一人目の出産が難産だったので、その最中に、死を意識した時間があった。
「胎児か自分か、どっちが死なないとこのお産が終わらないのだとしたら、どうしよう」と。
まず頭に浮かんだのは「自分はまだ死にたくない」だった。やりたいことがいっぱいあった。
でも、生物学的に考えたら(どうしてだか知らないが分娩台の上でそんなことを考えてしまった)世代交代することによって生物の営みは続いていくのであり、親世代である自分が死に、子世代である胎児が新生児として誕生することの方が意味が大きいはずだ、と思った。
・・・よし、と覚悟を決めた。
自分は死んでもいい。
死ぬ気で「胎児」を「新生児」にしよう。
そして、長時間におよんだ出産は終わった。
子供も私も死ななかったし、その後2年間隔で合計3人の子を出産した。
だが、あの難産を経て生きている私の人生はある意味、余生である。
娘の話に戻る。
リリは、子供は10人欲しいだとか「りんごちゃん」とか「みかんちゃん」という名前にするとか言いながら、眠った。
ベッドから降りて部屋を出ようとしたらララ(長女、5歳)が声をかけてきた。
眠れないらしい。添い寝して欲しいという。
・・・仕方ないなぁ、もう、と思いつつララのベッドに入った。
ベッドで添い寝して、リリ(2番目、3歳女)と話をするのが最近の習慣になりつつある。
私 「リリ、何か心配なこととか、いやなこととか、ある?ない?」
リリ(小さな声で)「ある」
私 「何が心配なの?何かいやなことがあるの?」
リリ「おかあさん・・・おかあさんがね・・・おかあさんがね、死なないか、しんぱい。」
予想外の答えに、ちょっとドキっとした。
私 「おかあさんが、死ぬかもしれないって心配してるの?」
リリ「うん。」
そうか。そんな哲学的な(?)心配ごとをしていたとは。
そういえば子供は3歳ぐらいから死について考える、と何かで読んだような気もする。
じゃあ、この際「死」について説明しとかなくっちゃ、と話をすることにした。
私 「お母さんはね、年とってから死ぬかもしれないけど、いや、いつか必ず死ぬけど
(なんて言わない方がいいのかもしれないけど現実はそうだからつい言ってしまった)
リリが大きくなるまでは死なないと思うよ。というか、お母さんはまだまだ死にたく
ないなぁ。リリが大きくなるまではおかあさんを死なせないで下さい、って神様に
お祈りしてるんだよ」
寿命は自分では決められないから、ね。
しかし、リリは別のことを考えていたようだ。
リリ「おかあさんがね、死んだら・・・あたらしい いじわるな おかあさんが くるの?」
これはもう、白雪姫、シンデレラ、ヘンゼルとグレーテルの影響だな。
リリはこれらの絵本が大好きである。
私 「来ないよ。というか、お母さんは、まだ死なないつもりだし。
もし、もし、お母さんが死んで、新しいお母さんが来たとしても、とっても優しい人で、
リリもその人のこと大好きになっちゃうかもよ。その人もリリがとってもかわいいから、
こんなかわいい子にいじわるはできませんって、リリのこと大好きになっちゃうかもよ。
でもね、お母さんはたぶん、死なないでおばあさんになって、リリが大人になって子供を
産んだら『まぁかわいい赤ちゃん!私がおばあちゃんよ。リリが子供の頃にそっくりね!』
って言うはず。リリ、ちゃんと死なないで大きくなって大人になってね。」
若かった昔、現在の亭主と付き合い始めたばかり位の頃は、自分が死んで彼が別の人とつきあうなんて想像するだけでも悲しくて涙が出た。
自分の死への恐怖による涙なのか、次の女への嫉妬の涙なのかは、当時もよくわからなかったが。
それが、20年たった今では何の感情もなく平然と子供にこういう話をしている。
死ぬのは怖いし、死にたくないし、せめて子供たちが大きくなるのは見届けたい。
でも、この人生がいつ、終わりを迎えるのか、は誰にもわからない。
私が死んだら亭主はたぶん再婚するんだろうし、どうせ再婚するんだったら継母と子供たちは童話のようにではなく仲良くしてもらいたい。
・・・ということを、ドライに考えられるようになったのは、歳をとった証拠なんだろうなぁ。
一人目の出産が難産だったので、その最中に、死を意識した時間があった。
「胎児か自分か、どっちが死なないとこのお産が終わらないのだとしたら、どうしよう」と。
まず頭に浮かんだのは「自分はまだ死にたくない」だった。やりたいことがいっぱいあった。
でも、生物学的に考えたら(どうしてだか知らないが分娩台の上でそんなことを考えてしまった)世代交代することによって生物の営みは続いていくのであり、親世代である自分が死に、子世代である胎児が新生児として誕生することの方が意味が大きいはずだ、と思った。
・・・よし、と覚悟を決めた。
自分は死んでもいい。
死ぬ気で「胎児」を「新生児」にしよう。
そして、長時間におよんだ出産は終わった。
子供も私も死ななかったし、その後2年間隔で合計3人の子を出産した。
だが、あの難産を経て生きている私の人生はある意味、余生である。
娘の話に戻る。
リリは、子供は10人欲しいだとか「りんごちゃん」とか「みかんちゃん」という名前にするとか言いながら、眠った。
ベッドから降りて部屋を出ようとしたらララ(長女、5歳)が声をかけてきた。
眠れないらしい。添い寝して欲しいという。
・・・仕方ないなぁ、もう、と思いつつララのベッドに入った。