(1)昨日の「ファンタージア」は「ファンタジー」の誤りでした。
今日はユー・チューブで6人の「ファンタジー」の演奏を視聴しました。視点はどんな解釈をして演奏しているかですが、注目したのは、リュートによる演奏と、それに近いギター演奏をする人のものでした。
なお、演奏会用?などは、演奏としては華やかだったり、個性があってよいかもしれませんが、練習者としては興味を引かれませんでした。これは、みなさんもぜひどうぞ。
(2)さて、たとえば、およその日本の地図を描いてみてください、といわれたとします。その場合、皆さんはどうされますか。たいがい、まず4つの島を描くでしょう。
では、佐渡島はどうしますか。佐渡の人なら入れるでしょう。
淡路島や種子島、沖縄はどうですか。
いちばん西の与那国の人は与那国島を描くでしょうか。南の小笠原の人はどうでしょうか。
日本の地図としてどこまでが表象に浮かべられるかは、その人の国土理解に、あるいは、ふだんの教育などに左右されるでしょう。
ちなみに、よく政府が「北方領土4島返還」だとかいっていますけど、あれは間違いですね。北は、カムチャツカの南にある占守〔シュムシュ〕島からが、正式な条約に基づいた日本の領土です。不正な戦後処理で占拠されたものを甘受しては国際社会では恥ずかしい行為と思います。
たいしたことではありませんが、ドイツ留学の帰りのシベリア鉄道の車中でのことです。
安いコンパートメント〔4人部屋〕でロシア人の老婦人と話していた時、モスクワからハバロフスクまでの日程を示すためにざっと路線図を描きました。その際、中央にバイカル湖を描いて、その西にイルクーツク、東にモンゴルへの分岐点になっているウラン・ウデを記入して、その間をかまわず直線で結びました。すると、それを見ていた老婦人は、私の手からボールペンを取って、イルクーツクからウランウデの間をバイカル湖の南に迂回する経路に描き直しました。
もちろん、私もそれを知っていましたが、日程の方に関心があったので略して結んだわけです。しかし、その人の意識からすると訂正が必要だったわけです。
些細なことですが、意識の差というものをおもしろいと思った瞬間でした。
(3)私がシベリア鉄道に乗ったのは1981年9月でした。モスクワから来た列車はハバロフスクからウラジオストックへ行きますが、ウラジオストックは軍港なので外国人を入れませんでしたから、我々はハバロフスクで下車、一泊させられて、チーヒーアキアンスカヤ〔太平洋〕という港町行に乗り換え、そこから、フェリーで津軽海峡を通過して横浜に至るという経路たどりました。
ところが、チーヒーアキアンスカヤでパスポートのチェックがありました。この時、それまで、ポーランドでも、モスクワでも、なにも言われなかったのに、係官が気づいて問題視しました。
ほかの人は事務的にちらっと見てサッと返却されるのに、私だけ、ほかの係官が一人呼ばれて鳩首相談。それでも終わらず、こちらを見たかと思うと、上官を呼んでまたまた鳩首相談、そしてこっちを見たので、私が「何が問題ですか?」と尋ねました。もちろんロシア語です。すると、上官が「名前が間違っている」と説明しました。
それで私は言いました。
「それは発行者の初歩的なミスです。私はわかってました。」
というのは、OSAWAはロシア語表記ではOCABAで問題なかったのですが、SATORUはCATOPYとなるべきところをCATOPИとなっていたのです。UとИ〔イ〕は筆記体にすると同じなので、ドイツ人の発行者がУ〔う〕とすべきところを間違ったわけです。
そのことを言ったところ、上官が「ハラショ」といって、船中の人となりました。
(4)もう一言いいですか?
船は津軽海峡を通過し、翌朝になりました。
太平洋側へ出ましたから、少し波が荒くなっていました。それで、船酔いを警戒しましたが、それは思いのほか平気でした。
海ですから何もありませんが、太平洋の荒波を見ていると、段ボール箱がいくつか漂流しているのが見えました。私は、「誰かが荷物を落とした」・「早く知らせなければ」と思い、落下物を確認するために窓ガラスに額を近づけて左右を見ました。すると、なんと、右の方でロシア人の船員がつぎつぎに投棄しているではありませんか。
「なんだ、あれはゴミか」と、その時は安心しましたが、よくよく考えると、ああいうことをずっとやってきたことが推測出来ましたから、なんとも複雑な気持ちになりました。
東北の震災でガレキが問題になりましたが、ロシア・フェリーによる投棄がずっと続いていたとすると、ガレキどっちが多量なのか。
その後、新聞の記事や投書でその件についてのものを見たことがないので、いまも気になっています。