神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.149 傷ついた犬の目は 

2024-04-23 18:56:00 | 新聞記事
   
    わくわくする新緑の朴

(1)若いころ、「傷ついた犬の目は人間の目をしている」ということを読みました。これは、記憶違いでなければ、哲学者の真下信一さんの本だったかもしれませんが、何かの原因でケガをして、その痛みに耐えている犬の目が、どうして自分はこんなになったのかと考える人間の目のように見えたということだったかと思います。
 世の中、失言が多い人、記者会見のたびに訂正をする人、無神経とか、傍若無人というのは、だいたいが、よく知らないでものをいう人、よく考えないで経験だけでものをいう人、要するに「痛みの分からない人」です。
 犬でさえケガでもすれば、人間の目つきになるのに、「人間なのに人間の目つきをしていない」のをみて、許しておいてよいでしょうか。

   
   「五弁の椿」の岩下志麻さん、またみたいなあ!

(2)23日(火)の『朝日新聞』を見ていたら、名古屋市長の河村たかし氏が「祖国のために命を捨てるのは道徳的行為」と言ったと出ていました。
 これには前段があって、「なごや平和の日」の意義を問われたのに対して、「(戦争で)死んでいった人たちに思いを寄せないといけない」と述べたうえで、こういったというのです。
 河村氏がよく訂正発言する人であることは知られていますが、なんと訂正しようと、要するに、「知らないのに高所からものを言える立場」に立たせているからそうなるのです。

(3)世の中、偉そうな発言をする人がしばしばいますが、そういう人や出たがり屋は政治家にもっとも不向きです。いま、そう人が大半です。
 いま、自衛隊が靖国神社に集団参拝するとか、文書に「大東亜戦争」という文言を使っているとかが批判されていますが、先のあの戦争は、中国・朝鮮・東南アジア諸国へと領土を拡張しようとした「侵略戦争」です。
 全国で「英霊」として祀られている多くの戦死者は、いまウクライナで戦闘に加わっている人々と異なり、自国に攻め込んだ敵〔傭兵までいる敵〕を追い出す防衛のために戦ったのではなく、「祖国のために」という名目で駆り立てられた「被害者」・「犠牲者」であると同時に、周辺諸国・他国へ攻め入った「加害者」・「侵略者」、あるいは「その手先」とさせられた人たちです。
 そういう「(戦争で)死んでいった人たちに思いを寄せて」いるなら、「道徳的行為」とは到底いうことができないことです。

   
    釈迦堂遺跡博物館

(4)河村氏は、「国に命をささげるのは、大変勇気のあること」とも言ったそうです。しかし、これも河村氏が「思考停止状態」の「思い込み」を言ったにすぎません。
 あの「戦没者たち」は「英霊」として祀り上げられましたが、彼らは「勇気」があったから戦場へ行ったのではありません。彼らは、取っ組み合いのケンカさえしたこともない、善良で、普通にどこにでもいる一般人でした。それを、お国のためといって、天皇陛下の股肱とされて、38式の歩兵銃などの武器を持たされ、追い立てられて仕方なく行ったのです。
 河村氏の発言は、黒を白と言いくるめる本末転倒の発言で、「死者への冒涜」です。

(5)前にも書きましたが、いま私は『進退録』という宮内省帝室林野局の人事異動の文書を読んでいます。今日読んだところだけで「戦死者」・「戦病死者」が6人出てきました。
 たとえば、その一人のT・Sさんは群馬県群馬郡の出身の人ですが、つぎの経過で亡くなりました。
  昭和15年3月、東京高等農林学校林学科卒業
       4月、帝室林野局入局
    16年3月、休職=徴兵
    17年、  休職=徴兵
    18年、  休職=徴兵
    19年、  休職=徴兵
    19年12月31日、パラオで戦死

 このT・Sさんが、好き好んでパラオまで鉄砲を担いで行ったと思いますか。「道徳的行為」だからと「勇気」をもって行ったと思いますか。「英霊」になりたかったと思いますか。全部NO!です。そうさせられた、そこへ追い込まれたのです。「お国のため」と言ってです。
 だから、そういう言葉を使う人が現われたら、いち早く批判しきらないといけないということです。

   
    影を慕いて

(6)河村さんは、「祖国」といっています。
 昔は「お国」、今は「祖国」・・・。どちらでも「日本」はポツダム宣言を受諾して、ニ度と軍隊を持たない、軍需産業を廃止すると約束して国際社会に復帰しました。平和憲法を持って戦争をやらない手立てを工夫して出発しました。
 でも、それをどんどん崩したのが与党の歴史であり、それを支えてきたのが「下駄の鼻緒の平和の党」です。そして、それを急転回させたのが、2004年~09年の小泉政権の自衛隊のイラク派遣、2015年の安倍政権の安保法、そして武器輸出まで認める現在の岸田政権です。
 河村氏が「戦争を避けるべき」と考えるなら、この与党と「平和の党」の政策を改めさせるのでなければならないはずですが、河村氏は、それを言うどころか、他人ごとのように次のように言ったそうです。 
 「〔戦没者に〕『サンキューベリーマッチ』といわなきゃ、みんなの福祉も平和も保てないんじゃないですか」
 「(命は)捨てない方がよい。・・・『捨てよ』とあおっているわけではないが、残念ながら戦争は起こる」と
 これは「あおっているわけではないが」と言いながら、「死地に追い込まれた人」をダシにして、「戦争の危機」だけを言ったのだから、非常に悪質な「あおり」です。
 怒れ、名古屋市民!
 怒れ、「祖国」の同胞!

 見識のない政治家が多くて、「祖国」茫々。前途あれ!

    
     再録かも?

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No.148 昨晩のuu

2024-04-23 03:16:48 | 追憶


(1)これまでにもう何回も書きましたが、このブログは『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー』日本林業調査会(J-FIG)の宣伝のために始めたものです。関係者に伺ったところ、高価で地味な本なのに、順調に知られてきているとの評価でした。
 しかし、天皇とか、皇室財産とか、御料地とか、そのほか、林業関係・測量関係・文学関係・熊本関係・関係自治体の郷土史・関係大学と研究機関など・・・全国にたくさんありますから、そのことを基準に考えると、まだまだ届いていないと思います。これには、図書館の財政事情と関係者・司書の目配りが関わっていると思われます。
 高価とはいえ、刊行部数には限りがあります。必要とする所へ確実に届けたい。今どきの投機を煽るつもりはありませんが、あとでは入手困難な稀覯本になります。

(2)ところで、昨晩(21日23時台と22日1時台に)、爆発的に視聴者がありました。どのくらいかというと、25~30人が視聴する時間が続き、それぞれ延べ100人超に達しました。通常は、2日間で100~130人くらいのものです。少ない日は40人台です。それが、短時間にこんなに大きな数字を記録したことはありませんのでおどろきました。
 おそらくなにかの集まりがあって、どなたかが言い出したことがきっかけで話題となったものでしょう。『神足日記』についてでも、このブログについてでも、私の方で知っておくべきことやご意見がありましたら、ぜひコメント欄にでもお寄せください。
 さて、今日はここまでで終わりです。

    

 以下は付録:小学校1年か2年の遠足の時のことです
(3)弁当のほかに副食物を50円分まで持って行ってよいことになりました。このころの50円は、キャラメルの小箱10円、大箱20円、バス料金は初乗り大人10円、子供5円の頃のことです。
 祖母と果物屋に出かけ、当時まだ珍しかったバナナを買おうとすると「35円」でした。祖母は、「買ってもいいけど、あと15円だから、キャラメルくらいしか買えないよ」と。
 結局、バナナを初めて食べたのはもうちょっと後になってからでした。

(4)遠足の行き先は高崎の観音様でした。藤岡~高崎間は八高線でした。まだ蒸気機関車で、それでも乗車時間は25~30分くらいです。ところが、1クラス50人ほどで8クラスありましたから全員は座れません。各クラス4~5人が立つ必要がありました。それを誰にするかと真剣に議論しました。子供ですねえ。たしか私は、自主的に手を上げて、立つ側だったはずです。

(5)高崎駅から観音様ヘの途中に水たまりがあって、そこに少しつま先を入れて遊びながら歩く子もいましたが、私がそれをサッと除けると、それを見た隣りの7組の担任の北村先生が、「そういうところに入らないのがえらいんだよ」とほめてくれました。北村先生はオールバックの白髪でビヤダル見たいな体形をされた方でした。昔の歌舞伎役者に似た風貌でした。

(6)観音様の近くの木の下で昼食でした。新島君(じょうじ〔丈司〕といったか?)とそのお母さんたちと一緒しました。
 新島君は、体つきはどちらかというと大きいかったと思いますが、小児まひに罹り、そのために歩くときに足の甲が延びて裏返ってしまい大変そうでした。歩けないことはないですが、裏返った足を引きずって歩きますからつま先が擦れ、すぐに靴先に穴が開いてしまいます。
 そういう障がいを持っていたので、お母さんが付き添いで来たようでしたが、何を話したか記憶がありませんが、おしゃべりな私がいろいろ話したからでしょう、お母さんが突然「ずっとお友達でいてね」と。
 その後しばらくして私は転校しました。彼の消息は分かりません。どうしているか。
 ほんの断片です。
 〽あとはおぼろ~ あとはおぼろ~
 
 では。
    
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