朴:中空に
(1) 昨日の「か行変格活用(か変)」、なんだっけという人もあったことでしょう。
自慢話になりますが、いまでも活用語の変化などはよく覚えています。
たとえば、助動詞の種類は「き・けり・ぬ・つ・たり・けむ・たし・・・」、そして「き」の変化は「(せ)・〇・き・し・しか・○」などでした。
これについては、誰でもそれなりに苦労して覚えるわけです。皆さんの中には、もう思い出すのイヤという人もあることでしょう。もちろん、私も苦労しました。でも、私の場合は、その最初はカルチャー・ショックみたいなことでした。
(2)というのは、富岡中学へ転校して最初の時間がいきなり英語のテストでしたが、国語の最初の時間が文法だったからです。
転校生して最初は一人一人が新しい先生ですから、どんな先生かと待っていると、50代くらいの、眼鏡をかけて少し禿げ上がった学者風の先生でした。その先生がギッと睨んでから開口一番に言ったのが、
「付属語で活用があるのは何ですか」
でした。
私はチンプンカンプン。キョトンとしてまわりの人を見ました。しかし、だれも手を上げるようすがありませんでした。それを見て先生が、
「助動詞ですね」
といって、授業に入りました。
この件は、自分にとっても懐かしい思い出です。
ついでに、ほかの例を紹介しましょう。
来客あり
(3)高校の時に、これも国語の時間のことですが、突然、先生が
「漢語で、水を形容したものにはどういうものがありますか」
と問いかけました。
「さらさら」とか、「ちょろちょろ」とか、こういうふだん使っている「和語」はすぐに思い浮かびますが、「漢語」となるとなかなかないものです。
そこで私が「滔々」を上げると、一同感嘆の声をあげました。
でも、この感嘆は、私がスゴイからではなく、当時はほとんど誰でも知っていたことなのに、気付く人がなかったからです。
当時、「イムジン河」という歌がすでに流行っていてその中で
「イムジン川水清く 滔々とながる・・・」
と歌われて、たいがい知っていたはずだからです。
この歌は、1957年に当時の北朝鮮で発表されましたが、それを1968年に日本のザ・フォーク・クルセダーズが歌ってヒットしたものです。
なお、今日、検索してみたところ、ずいぶん詳しい経過も書かれていることがわかりましたから、興味がある人は検索してみてください。なつかしいですが、ここでは略します。
しかし、私が感動したのは、先生が「うーん」と言ってちょっと考えてから「滔々」を黒板に書いて「こうでしたね」と言ったところです。この先生は「高橋?悦治」、通称「えっちゃん」と呼ばれていたかと思いますが、力のある先生で、伊東静雄門下とのことでした。
(4)もう一つ、これは高校の英語の時間のことです。どういう脈絡かは覚えていませんが、河野先生といったか?、先生が「偏見」は英語でなんと言いますか、聞きました。
これは、すぐにわかりましたから、「prejudice」と即答しました。
多分、映画にもなった、ジェイン・オースティンの『高慢と偏見(pride and prejudice)』を読んでいるかと試されたのかもしれません。
朴:葉もよし
(5)最後に、悲しい思い出です。
美術の先生、もう名前を忘れてしまいましたが、停年間近の高齢の先生でいつも校庭のバラの絵を描いていて、通称「とおるちゃん」と呼ばれていました。
ちなみに、とおるちゃんの後任?となって赴任されたのが、富岡中学校でお世話になった井田淳一先生でした。先生は身長が190㎝先生はあろうかという長身で「韋駄天」と呼ばれてました。175㎝の私から見ても見上げるほどの先生が、群馬あたりの古民家をめぐって絵に残す活動をされて知られた人だということを、大学院生になって群馬県立文書館に閲覧に行ったときに展示会のポスタ―を見て知りました。
話があらぬ方へ行きましたが、先生から見てどうも私は指しやすいようで、突然、「オオサワ、after allってどういう意味だ」と。
これに即答できず、「結局」に冷や汗をかきました。
では。
夕照:中神駅