神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.138 弁当食べ 3

2024-04-13 02:36:17 | 弁当食べ
(1)岸田首相の米議会演説、あれはひどかったですね。
 「ひるおび」というテレビ番組を見ていたら、よく出て来る高齢の政治評論家が、「自分は日米関係を強固にすることは賛成だからあの表明はいいと思うが、それでも恐いのは中身がわからないことだ」というような論評をしました。
 あの演説は「日米軍事同盟の賛否に関わらず恐い」わけです。
 そもそも「国民に何も説明せぬままOKを先に言う」などということはあり得べからざることです。
 支持率が20%を切った首相が、日本の主権を損なう約束をして、にこやかに演説をして見せました。あれは「アベ政治の総仕上げのほくそ笑み」、それとも、 密約をしたごまかし笑い?・・・どっちにしても、帰国すれば、20%割れという現実が待っています。

(2)さて、化石拾いの続きです。最初に化石発見の場所を紹介しましょう。
   
    化石発見場所

 右上に八高線の鉄橋が見えます。昨日の写真の八高線が写っている辺りです。
 自転車がある所が駐車場の川側の端です。藪の向こう側が多摩川の河川敷で、昭島クジラが発見された場所になります。
 自転車はカミさんの愛車です。その向こうに2本の杭が見えます。右の杭の所が河川敷の入り口です。左の杭に赤い「不法投棄禁止」の警告看板が付いています。
 その「杭の左に立っている2本の細い木」から「写真の左端にある木」までの間の手前側、縦横2mの区画、そこが発見場所です。

(3)上の付近で八高線到来の音が待って花や虫を追っていたわけです。そして、最初に、前輪のすぐ先2mくらいのところに大きな石があったので見たところ、化石が見つかりました。
 初日は、驚いてとりあえず手前の表面に見えているものを拾い、重さで約15㎏が見つかりました。そこで、2日目は少し奥の藪の中も確かめました。その結果出てきたのが次のものです。
   
 
 メジャーの大きい方は30cm、小さい方は5cm、重さは約8㎏です。
 写真は木の皮の化石が見えています。
 木の内側〔芯〕は次ようになっています。
   

 わかりにくいですね。上から見た図もあげましょう。
    
 
 上面に年輪、手前正面に柾目の縦縞が見えます。

(4)これだけの大きさのものが2つあるだけで、私の部屋はもうかなり様変わりです。ところが、実際には、大小の破片が都合15㎏ありますから、足の踏み場も要注意です。
 まだとりあえず置いてあるという程度ですが、全体は次のような状態です。
   

 大きい2個は紹介したものです。このほかにもう一つ。
   

(5)この写真ではガラクタみたいで、私が見てもあまり感動しませんが、実際に手に取って人一つを観察するとワクワクしてきます。
 化石化した年輪や樹皮が見えるだけでなく、貫入があって黄鉄鉱やら水晶化したところが見られるなど様々あります。なんとか、この化石の意味を正確に知りたいと思っています。

(6)実は、2021年12月に、「「ナウマンから神足勝記への指示書」の発見とその意義」(大澤 覚・山田直利・矢島道子、GSJ地質ニュース 第10巻 第12号)を発表しました。
 これは、神足勝記の残した文書類をご遺族からお借りして調べている中に、上記の「指示書」がノートの中から見つかったので、地質やナウマンについて詳しい研究者と協同して研究して発表したものです。興味のある方は、検索で読めますので、ぜひご覧ください。

(7)なにが言いたいかといいますと、私が今回、『御料局測量課長 神足勝記日記』日本林業調査会(J-FIC)を発表しましたが、神足は、御料局に入る前、農商務省の地質調査所で働いており、その分野の先駆者の側面を持ちます。
 したがって、そういう人を取り扱うものとして、専門外ではありますが、欠を補うべく関連文献をいくらか読み、多摩秩父の地質についての講演を聴きに行ったりと、耳学問を楽しんでいるところです。
 今回の化石発見は、もちろん偶然のことですが、そういう中で起きたことです。自分にとってはたいへん感慨深いものがあります。
 まだ、途中ですが、今日はここまでとします。
 









コメント
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