神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.241 歴史学研究

2024-07-24 23:52:59 | 先行研究
 きょうの雷雨、だいぶ被害が出たようですね。
 わたしの処では、昼前頃からあたりが急変して、横殴りの風をともなって雷雨が急来し、一時は台風直撃を思わせるすごさでした。しかし、幸いこのあたりは被害など何もなくてじきに収まりました。
 だいぶ涼しくなったと思っていると、それもつかの間のことで、午後は猛暑に戻りました。
 積乱雲が去ってからも、いくらか雲が残っていましたから、きょうの散歩は夕焼けが楽しめるかなと期待して出ましたが、平凡なものでした。
     
   
【コレクション 29】
  きょうは、次の『歴史学研究』復刻のパンフレットです。
(1)『歴史学研究』はについては、現在も刊行されていますし、広く歴史・経済史などに関心のある人なら必ず見るはずのものですから、ここで説明の必要はないことにしましょう。
 その代わりとして、下に「復刻にあたって」を載せました。これには通常は知り得ない刊行の経緯が記されていますから、都合よいと思われます。 
 

 このパンフレットは、大きさがたて220mm✕よこ215mmと、ほぼ正方形をしています。 
全体は表紙とも16㌻です。そして、これを横書きに使って、いちばん左のページを1ページとして右ページへ進み、いちばん右ページが16ページとなります。
 全体の構成は次のようになっています。
 1㌻ 上掲
 2㌻ 『歴史学研究』〔前後第一期〕の復刻にあたって 〔下の(2)に載せました〕
 3㌻ 『歴史学研究』のあゆみ
 4㌻ すいせんのことば 〔4㌻分は下の(3)に載せました〕
     家永三郎 戦後史学の源流を示す
     宇佐美誠次郎 10年をへて  
 5㌻  鶴見俊輔 復刊によせて 
     丸木正臣 真の歴史教育のために 
 6~13㌻ 第122号(1946年6月)~第230号(1959年6月)主要目次
     〔これが貴重ですが、紹介できまず うーん!ザンネン〕
 14㌻ 内容組見本 
 15㌻ 各巻収録内容 装丁見本
 16㌻ 刊行案内 1986年11月刊行開始 毎月1冊刊行 1988年3月完結 
     青木書店刊 B5判 平均400㌻ 各巻10000円

(2)ここに、上の2㌻の「復刻にあたって」を載せます。得意説明をつけませんから、読めそうなところを読んでみてください。


(3)ここに、上の4㌻の推薦文を掲載します。
 恩師の宇佐美誠次郎先生の写真があるのは珍しいので、載せることにしました。
 併せて、家永三郎先生の分も、あえて削る必要がないので、載せます。このまま読めるかと思われますから、ぜひ頑張って読んでみてください。両名とも、現在の私と同じか、若いはずです。


 パンフレットについては以上です。

(4)もう一言。
 宇佐美先生は、藤の花がお好きとのことで、お宅の庭には藤棚が作られてありました。時期になるときれいに咲いて、よい日陰を作ってもいました。
 先生は、1997年4月25日に亡くなられました。2年後、関係者が先生を追悼して『学問の人 宇佐美誠次郎』(青木書店、2000年1月)を作成しました。先生の学問を知るよくできた本と思っていますが、その口絵には、藤棚の下でにこやかに撮影されたお写真を見ることができます。〔ほかにも貴重な写真がありますが、今日は割愛します。〕
 じつは、藤は私の出身地の群馬県藤岡市の「市花」になっています。偶然とはいえ、嬉しく思ったことが忘れられません。それもあって、先生の没後、一つ詠みました。
  車窓より薄紫の花見えて 師の影恋し 夏は来にけり 
 これは、埼玉県熊谷市にあった立正大学法学部の授業に向かうとき、東武東上線の森林公園駅からのバスの車中で藤を見たときに詠んだお気に入りです。
 ご笑覧、いや真剣に、味わってみてください・・・。
 では、きょうはここまで。

    
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No.240 多摩川夕遊

2024-07-24 00:30:17 | あそび
(1)暑いとはいえ、天気がよければ、作業の進捗を見計らって、まずまあ外に出ます。いまでも、夏はそういうものとおもってます。
 子供の頃の一番楽しい思い出は、夏休みの宿題はそこそこに飛び出して、石器を探しに行ったり、化石を取りに行ったりしたことでした。このほかは、沼や川で泳いだことくらいですが、あたりに小さな古墳がたくさんありましたから、それを廻って円筒埴輪を拾ったということもありました。〔収集物はすべて藤岡市郷土資料館に寄付しました。もっとも、たいしたものはなかったようです。〕

(2)きょうどこへ行ったかというと、やはり多摩川の八高線の鉄橋脇です。
 中学生の4~6人のグループ2組が先に来ていましたから、邪魔しないように少し上流に異動して、川縁で少し水に入り、そこから周りの景色を見ました。
 まず、柳の大木です。
    
     〽や~なぎ あおめぇる~
 
 柳の木の下で、アオスジアゲハというらしいですが、チョウが飛んでは休み、休んでは飛びと、優雅でした。見ていると、下の写真のように降りて、2~3分じっと動かず、ときどき吹く風にも動ずる様子もなく、夕陽に影を映して見せてくれました。
 羽根を開くと、青が夕陽に照らされて一段とあざやかに青く輝き、なんともうっとり見入ってしまいましたが、残念ながらそれを撮るチャンスがありませんでした。
    〽をとめの姿 しばしとどめむ
   

 チョウを、あちこちから観察していると、左の方から八高線の音がガタゴトと聞こえ始めました。
 待っていると、八高線が夕陽を照り返しながら渡り始めました。右方向が八王子です。正面方向が川下で、多摩大橋が見えます。「あきしまくじら」の発見場所は、橋桁の間の岩が見えるあたりです。
    
 
 八高線を撮っていると、上を黒いものが通過したのがわかりました。米軍機かと思いましたが、騒音がしないので、「なにか」と急ぎ見上げると、オオタカでした。

 
 焦点を定める間もなく、ブレないようにとだけ注意してシャッターを切りましたから、だいぶ小さいですが、羽ばたくことなくこのままむこうへ流れて行きました。
 この辺りでは、多摩大橋の辺りでも見たことがありますし、ここから上流2kmくらいの秋川の辺りには、オオタカを撮影するために、数人の昔の青年が、川べりの木の下に日がな一日陣取って到来を待っています。ほかに、ノスリなども見たことがあります。
 しかし、オオタカをいつも見られるわけでなく、風の状態に拠るようです。その意味では、きょうは運がよかったようです。
 帰ってから水やりをしていると、夕陽がきれいでした。
    
    きょうの西の空

 きょうはここまでです。


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