*メンテナンスのため、投稿が遅れました。
(1)ノーベル平和賞 被団協・田中煕巳さんの演説を読みましたか。ぜひ、これを読んで広めましょう。世界のどこの国にたいしても通用する演説と思います。画期的なすばらしい演説です。
(2)戦争の被害は国民が受忍すべきものとする日本政府にあらがっての、原爆被害は戦争を始めた国が償うべきものという運動、核兵器は非人道的兵器で、人類と共存できないすみやかに廃絶すべきものという運動、こうした運動がいま世界的に認められているさなかに、ウクライナ戦争ではロシアが核の威嚇をおこない、ガザ攻撃ではイスラエル閣僚が核攻撃を口にするなど「核タブー」が崩されようとしています。
(3)2017年7月7日に122ヶ国の賛同を得て「核兵器禁止条約」制定されました。
日本は世界で唯一の戦争被爆国です。ですから、二度と原爆の惨禍が起こらないように、率先してこれを批准して運動の先頭を切るべきはずのところを、この批准をためらって「核の威嚇による平和」の側に立っています。歴代首相の中には被爆県の出身の人もいるにもかかわらず、核依存から抜け出ることができていません。
(4)田中さんは次のように演説しています。
「・・・とりわけ核兵器国とそれらの同盟国の市民の中にしっかりと核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付き、自国の政府の核政策を変えさせる力になるように願っています。」
みなさん頑張りましょう。これが進歩の方向です。
(5)このブログでは、これまでいくつか戦争に関わるものを載せました。特に原爆に関するものは3点ありました。ここに再録します。
1.「No.275 被爆者からの伝言」に載せたもの
2.「No.256」に載せたもの
3.「No.256」に載せたもの
今日は以上です。
【生い立ちの風景】
1.妙義山〔みょうぎさん〕:
藤岡市4丁目の交差点から西を見ると、正面に峩々とした妙義山が見えます。少し拡大しましたから実際はもっと小さいですが、構図はこの通りです。
2.浅間山〔あさまやま〕:
私が小学校1~3年のころに育ち遊んだ祖母の家の南側の通りです。正面奥右が祖母の家です。今は孫の代になっています。この道で西を見ると、正面に浅間山が見えます。浅間山は長野県と群馬県に跨る山ですから、上毛三山〔赤城山・榛名山・妙義山〕には数えていません。
3.ヒガンバナ:
上の写真の反対側100mくらいのところにある墓地・道祖神などがある一画です。
今は周辺に住宅や保育園などもできて、明るく安心して通れるところになりましたが、昔は人里離れた畑の中の鬱蒼とした不気味なところでした。ここに咲いていたヒガンバナが薄気味悪かった印象がずっと抜けず、つい最近までヒガンバナのことを「墓場の花」と思っていて、好きになれませんでした。
ちなみに、ここの少し東にある「麺房 そば康」で食べたせいろは絶品、オススメです。
4.白石の民家の風景:
藤岡市の西にある鮎川を渡って少し歩くと白石の交差点につきます。そこを少し北に行ったところに見えた民家の風景です。
ここからもう少し北に行くと、この辺りで有名な前方後円墳が二つありあります。それは明日紹介しましょう。
5.今日の月: