神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.361 被団協・田中煕巳さんの演説

2024-12-11 23:02:38 | 時評
 *メンテナンスのため、投稿が遅れました。

(1)ノーベル平和賞 被団協・田中煕巳さんの演説を読みましたか。ぜひ、これを読んで広めましょう。世界のどこの国にたいしても通用する演説と思います。画期的なすばらしい演説です。

(2)戦争の被害は国民が受忍すべきものとする日本政府にあらがっての、原爆被害は戦争を始めた国が償うべきものという運動、核兵器は非人道的兵器で、人類と共存できないすみやかに廃絶すべきものという運動、こうした運動がいま世界的に認められているさなかに、ウクライナ戦争ではロシアが核の威嚇をおこない、ガザ攻撃ではイスラエル閣僚が核攻撃を口にするなど「核タブー」が崩されようとしています。

(3)2017年7月7日に122ヶ国の賛同を得て「核兵器禁止条約」制定されました。
 日本は世界で唯一の戦争被爆国です。ですから、二度と原爆の惨禍が起こらないように、率先してこれを批准して運動の先頭を切るべきはずのところを、この批准をためらって「核の威嚇による平和」の側に立っています。歴代首相の中には被爆県の出身の人もいるにもかかわらず、核依存から抜け出ることができていません。

(4)田中さんは次のように演説しています。
「・・・とりわけ核兵器国とそれらの同盟国の市民の中にしっかりと核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付き、自国の政府の核政策を変えさせる力になるように願っています。」
 みなさん頑張りましょう。これが進歩の方向です。

(5)このブログでは、これまでいくつか戦争に関わるものを載せました。特に原爆に関するものは3点ありました。ここに再録します。
 1.「No.275 被爆者からの伝言」に載せたもの


 2.「No.256」に載せたもの



 3.「No.256」に載せたもの


 今日は以上です。
 
 【生い立ちの風景】
 1.妙義山〔みょうぎさん〕:
 藤岡市4丁目の交差点から西を見ると、正面に峩々とした妙義山が見えます。少し拡大しましたから実際はもっと小さいですが、構図はこの通りです。
     


 2.浅間山〔あさまやま〕:
 私が小学校1~3年のころに育ち遊んだ祖母の家の南側の通りです。正面奥右が祖母の家です。今は孫の代になっています。この道で西を見ると、正面に浅間山が見えます。浅間山は長野県と群馬県に跨る山ですから、上毛三山〔赤城山・榛名山・妙義山〕には数えていません。
    

 3.ヒガンバナ:
 上の写真の反対側100mくらいのところにある墓地・道祖神などがある一画です。 
    

 今は周辺に住宅や保育園などもできて、明るく安心して通れるところになりましたが、昔は人里離れた畑の中の鬱蒼とした不気味なところでした。ここに咲いていたヒガンバナが薄気味悪かった印象がずっと抜けず、つい最近までヒガンバナのことを「墓場の花」と思っていて、好きになれませんでした。
 ちなみに、ここの少し東にある「麺房 そば康」で食べたせいろは絶品、オススメです。

 4.白石の民家の風景:
 藤岡市の西にある鮎川を渡って少し歩くと白石の交差点につきます。そこを少し北に行ったところに見えた民家の風景です。
    
 ここからもう少し北に行くと、この辺りで有名な前方後円墳が二つありあります。それは明日紹介しましょう。
 
 5.今日の月:
     


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No.360 タケノヤマ

2024-12-11 07:36:18 | 先生
(1)昨日10日はふるさとの町・村を終日歩きました。ふるさとは昭和の40年代に比べて不便になりました。これはどういう変化なのかなとつくづく考えさせられました。
 昨今の地方は、もはや昔の田舎ではなく、道路網の一部です。どこも道路が整備されて、ひっきりなしに大型車や大型化した自家用車が行き交い、歩道はあっても歩いている人を見ません。いれば珍品、異邦人です。自転車もあまり見ません。見るのは、通学する中・高校生くらいのものです。
 すでに公共交通〔バス〕の便数は少なく、国際線の飛行機並みに待たないと利用できません。都会で頼りになる流しのタクシーなどは地方ではおよそ考えられません。ハイヤーもあまり見ません。いまや、地方へ行って当になるのは自分の足だけです。そう思って黙々と歩いていると、カラフルに装飾されたコミュニティー・バスが後ろから来て追い越していきました。

(2)スマホどころかケータイも持たない私は、せめて自分の所在だけでも家族に伝えておきたいと思って公衆電話を探しました。ところが、それがまた難儀です。郵便局や大きな病院の近くにあるかと思いきや皆無。コンビニ付近にはまだあるようですが、コンビニも車で来る人が多く、そういう人はスマホなどを持っていて、そもそも移動が容易ですから利用しないでしょう。ようやく見つけた最初のコンビニの電話機はコードがすでに切られていました。「芝居の電話機」です。え?どういうことかって? 「置いてあるだけ」ということです
 
(3)地図を見て、バス路線や鉄道の記載があっても安心できません。日に5~6便では旅行者には工夫が必要です。東京でも西多摩の方の市の「~町7丁目」となると、山間に家が10軒ほど見えるだけということがありますから、事態は変わりません。

(4)ほかのことはいま措いて、車社会になって地方は古い閉鎖社会から解き放たれ、その構成員の自立化や個〔孤〕立化が進みました。住人は行動範囲の拡張と共に飛び出して都会化し、個が村や地方の社会にしばられることから解き放たれてきたのかもしれません。
 昔は、ひとたび村を出るとなれば、その後は、立身したり一旗揚げて錦を飾って帰るなら胸を張れましたが、うまくいかずにひっそりと引き揚げて来るようだと、後ろ指を差されたり、「うまくいかなかった、また戻らせてくれ」と詫びを入れたりということでしたが、今はそういうこともないでしょう。村共同体の規範が希薄になってきているからですが、これには、行動範囲が村の範囲を超えたことが要因の大きなものとしてあるでしょう。
 一方、外から来た人は、昔は村社会に入り込むのが難しかったけれども、今は、車があれば、隣近所とつながりを持たずに生活ができますから、すぐに入り込めます。都会生活が地方へ移動したといってもいいかもしれません。その際大事なことは、村との紐帯は希薄になっても、車に暗示されるような経済社会の中での居場所〔紐帯〕には強く縛られるということです。村の人間関係から解き放たれて、都会といわれてきた経済社会の中での居場所に縛られる・・・。
 車を持たない歩くしかない時代の人間は人間相互の紐帯の中で生きざるを得ませんでしたが、歩かずに済むようになった人間は、今度は経済社会の紐帯にしばられて生きています。では、この紐帯が束縛となった時にどうしたら解放されるのか。ここに新しい課題があるでしょう。

 1.下り八高線の丹荘駅手前から見えた風景:
    
     右のいちばん高いところがタケノヤマ

 2.神流川〔かんながわ〕の鉄橋上から見たタケノヤマ
    
     祖母も見たふるさとの山

 3.藤岡市上大塚から見たタケノヤマ
    
     祖母が農作業の合間に見たはずの山
 今日はここまでです。
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