神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.370 金毘羅尾根縦走 3

2024-12-20 19:17:28 | 
(1)今日も最初にルート地図を上げておくことにしましょう。
 これまで、武蔵五日市駅―金比羅尾根ー麻生山ー日ノ出山ー新道〔林道〕とたどりました。
 今日はつるつる温泉で西東京バスに乗ろうとしたときの出来事です。



(2)林道を下って来て、つるつる温泉がある往還「奥多摩秋多線」に出ました。右に100mで「日ノ出山登山口」バス停ですが、250m上の「つるつる温泉バスターミナル」の方へ歩きました。曇ってましたが、寒桜が見えたからです。
 寒桜は群馬県藤岡市鬼石町のものが有名で、ニュースでもよく取り上げられます。
 ちらほらと咲いていて、懐かしさもあって下の写真を撮りました。曇り空の下でもきれいでした。

     
 
(3)ふと反対側を見ると、苔むした碑が見えました。
 碑文は、写真を大きくすれば読めないこともないですが、解読して下に載せました。
     

【解読文】
 開通記念
 大入林道は東京都が林産物搬出の目的で昭和三十七年に着工し以来十有余年の歳月を費して延長三千米 幅員三・六米 総工費壱億壱千万円を以て昭和五十四年三月吉日山頂まで完成したものである この林道の開設に当っては関係各方面の御高配を特に林道沿線の道路敷地の地主ならびに林道各流域の森林所有者の御理解と積極的な御協力に負うところ多大であります このたび大入阻端沢線として青梅市に通じたのを記念し御協力賜わった各位の御芳名を記念碑に刻して永くその功績を顕彰するものである
 昭和五十六年五月二十七日建立
  大入林道促進委員会代表 小澤政 松尾勘治郎 松澤万吉 小澤清治郎 井上小重 篠崎稔夫 

(4)つるつる温泉から北に道路が伸びています。この道は三室山の西の「梅ノ木峠」にゲートがあって一般車の通り抜けはできませんが、青梅市側の吉野街道まで続いています。
 私は、日ノ出山ー三室山ー吉野梅郷のルートを何回か歩きましたが、その時に「梅ノ木峠」から青梅側に1度、つるつる温泉側に1度、降りました。今も関係車のみ通行する事業用の林道です。碑はその開設経緯を記したものでした。

(5)碑の写真を撮って時計を見ると、なんと12月3日のあの事故の日と全く同じ14時40分過ぎでした。ということは、バスが出る時間です。それでつるつる温泉の入り口の方を見ました。
 下の写真で、左の旗の少し向こうがつるつる温泉ターミナル入り口です。
    

 12月3日は、左の旗が立っている手前に行ったときバスが左から出てきました。急いで手を上げると、30歳代くらいの運転手は、「ここでは危険だから」と、右側の駐車場の方に誘導して載せくれました。
 偶然ということがあるものですが、今日もまったく同じところでバスが出てきました。急いで手を振ると、50歳くらい年齢の運転手でしたが、気が付いたのがわかりました。それで急いで右側の駐車場に移動してバスが入って来るのを待ちました。

(6)ところがです。バスはそのまま通過してしまいました。どうするのかと見ていると、運転手が「自由乗降区間ではありませんから停車できません」とアナウンスしてきました。唖然!
 ターミナルから車線に出てきてから、ほとんど1~2秒か2~3秒のところで手を上げたのに、しかも同じ場所で12月3日の若い運転手は親切に誘導までして載せてくれたのに、今日の運転手は「法を口実にして乗せなかったです」。
 冬の山の中の、1時間に1本しかないバスの、おまけにこの日はつるつる温泉はメンテナンスのために休業中のところを、「法を言って乗せなかった」のです。実に「順法精神旺盛な運転手」ですが、私にとっては「またか」という記憶がよみがえりました。それは下の(8)に書きます。   

(7)で、私はどうしたと思いますか。
 「乗せないなら乗らない」ことにして歩くことにしました。武蔵五日市駅までせいぜい10km、2時間もあれば着く・・・と。すごい?当然です。乗る人がいなければ、バスも意味がないはずです。
 その前に一言。
 つるつる温泉を尋ねました。メンテナンスで休業中でも誰かいるだろうと期待したからです。すると代表という人がいたので、「12月3日の転倒事故のその後」を伺い、「先ほどのバスの顛末」を話して10分ほどで辞して歩き始めました。そこはまた明日に。

(8)バスは「西東京バス五日市営業所」管内のバスです。
 実はちょうど6年くらい前のこと、こういうことがありました。
 青梅から山越えして、「芋窪〔いもくぼ〕」というところから「東町車庫行」というバスに乗った時のことです。乗客はすでにほかに4人いました。
 バスは「JR武蔵五日市駅」を経てその次が終点「東町車庫」なのですが、「つぎは武蔵五日市駅です」とのアナウンスがあった時、誰も「乗車ボタン」を押しませんでした。
 しばらくしてバスが駅ターミナルに入りました。私は主要駅だから当然停車するものと思っていました。ところが運転手は、ターミナルを1周し終わると、道路に出るために一時停止しました。そのときに、乗客の一人が「どこで停まるんですか」と聞き、私もほかの乗客も「降ります」といい始めました。
 40才前後の運転手は、憮然として、「誰もボタンを押さなかったから、いないのかと思った」と答えました。私が「ここで降ろしてください」というと、「ここでは危険だから降ろせない」といいます。「じゃあ、道路の向こう側に寄せて降ろしてください」というと、「それもできない」といって、結局、全員「車庫終点」まで連れていかれ、しかも料金も100円ほど割高で支払わされました。

(9)みなさん一緒に武蔵五日市駅に向かいました。途中、駅横の営業所へ苦情を言いに行きませんかと提案したのですが、帰ってしまいましたから、一人で苦情を言いに行きました。西東京バスにはそのだいぶ前にも不快な思いをしたことがあるのです。
 この時は確か、「終点ひとつ前の主要駅なのだから必ず停車するとか、ひとこと確認するようなサービスがあってもよいのではないか」といったはずですが、なんとも暗い雰囲気の対応だったのが忘れられません。ひどい対応には屈しません。これが大事。
 12月3日の若い運転手の対応がよかっただけに何とも残念です。それから、今回のことも電話で苦情を言いました。対応に出た加藤さん(若い男性)、この人もグーでした。若い人はいいのかな。

    

【コレクション 139 日系移民資料集 第2期 南米編】
 移民・植民というのものが、1国の国民経済の問題として、送り出す側・受け入れる側としてどう扱われるべきなのか、これは歴史の問題だけでなく、結局、現代の外国人労働問題をどう位置付けるかということにもつながってくるので、その点から注目しています。

 このパンフレットの大きさは、A4判、6㌻です。A4判3枚分の横長の用紙を、最初に左から3分の1を折り込み、次に右から3分の1を折り込むとできます。
 全体は、
 1㌻ *下に掲載
 2㌻ 刊行のことば 石川友紀 琉球大学教授 南米日本人移民100年と文献資料
    推薦します 戸上宗賢 龍谷大学教授 移民研究のさらなる進化をめざして
          松下 洋 神戸大学教授 南米への日系移民の一層の進展を期待
 3~4㌻ 収録内容 *下に掲載
 5㌻ 特色 内容見本
 6㌻ 刊行案内 仕様:A5判 総12,500㌻ 全30巻・別巻1 セット定価:380,000円
         1996年刊 日本図書センター 
        1㌻ 


        3㌻


         4㌻

   
  以上です。
  長くなりました。今日はここで。

    
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No.369 金毘羅尾根縦走 2

2024-12-20 00:04:48 | 
(1)今日は昨日続きです。念のために地図をもう一度載せておきます。辿るのはこのうちの日ノ出山からつるつる温泉までで、コースは、旧道〔赤い線〕ではなく、白い線の新道〔作業用の林道〕です。
     

(2)日ノ出山でトリさんが送ってくれたことを昨日書きました。
 このころ一時的に少し陽が翳りました。そのため写真がすっきりしませんが、トリさんが啼いていた方を見ると、大塚山(920m)の尾根が見え、遠くには、川苔〔かわのり〕山(1363m)でしょうか、山塊が雄大に広がっていました。
     

(3)日ノ出山の頂上に着いたのがやや遅く12:50頃でしたから、急ぎ昼食を済ませて周囲の景色を確かめる間に時刻はすぐに13時を過ぎました。おまけに天気予報の予報通りにいくらか雲が出て風も少しありました。その間に、ムサイ連中がだんだんと降りて行き、あたりにはもう誰もいなくなり寂しくなりました。その時トリさんが来ました。

(4)じつは私は麻生山の手前でひとり「昔の青年」を追い越しました。すれ違った人は15人ほどいましたが、追い越していった人はいませんでした。唯一追い越したこの人はストック2本を使って一歩一歩上がってました。そうやって頑張って淋しい頂上に着くのは気の毒と思って、せめて一言「ごくろうさん」と労ってから降りようと待ってました。でも、なかなか現われませんでした。下の方を見てもだれも見えませんでした。それで、頂上までは来ないことにして、麻生山から降りたかもしれないなどと決め込んで下り始めました。

(5)10分ほど下りました。そこは、12月3日に80歳くらいの男性が木の階段で転倒して救助を求めたところです。上るときに辺りを見ましたが、もう一度見まわしながら降りていくと、そこに「昔の青年」が上がってくるのが見えました。
 私は一瞬驚きました。「これからだと、頂上に着くのは14:00になる」などと思ったからです。でも、「食事をしても、2時間あれば、つるつる温泉でもケーブルの駅でも、16時ころには着ける」と読めましたから、安堵して下に向かって「ごくろうさん」と声をかけ、事故があったことなどを一言二言話して別れました。
 そこから100m下ったところが下の写真のところです。
 ザックを乗せてある切株が、ケガをした老人を座らせて救助を待ったところです。
     

(6)よく見るとわかりますが、この道は下からの新道〔林道〕としてつくられたものです。
 地図にあるように、日ノ出山の頂上直下には日ノ出町のシルバーセンターが管理している東雲〔しののめ〕山荘があります。その管理をする人たちがこの道を車で上がるようです。
 旧道は、転倒事故のあったところから、この写真の右の方へ廻って、右下のところへの辿って降りて来て正面方向へ行き、暗くなったところから左下へ行きます。そこに次の標識が建てられています。つまり、ここで旧道と新道が交差しているわけです。
     
    左:つるつる温泉〔旧道〕、右:新道〔林道〕、後ろ:きり株(日ノ出山)

(7)旧道はすでに2回下りましたから、今回は新道を取りました。
 上の標識から150mほど下ると平井川の水源です。
    
      平井川源流の碑:このすぐ右の沢から流れ出ています。

(8)新道はこの碑の前まですでに舗装されていて大型車も入れます。しかし、この上は道がカタカナの「ワ」の字にように屈折していて、小型車でないと切り返しができません。
 12月3日の転倒事故の時に、転倒者の夫人が救助要請の電話をしたところ、10分かそこらで五日市警察と消防の救助隊〔各1名〕が到着したので、居合わせた一同は驚き・感動したものですが、その理由の一つがこの林道にあったことが今回わかりました。
 ちなみに、もう一つの理由は、その日つるつる温泉の近くで合同演習のようなことがあったようで、たまたまそこに要請が入ったということのようでした。これは、このあとつるつる温泉の人から聞いたことです。不幸中の幸いでした。

(9)長くなりましたから、このあとの林道のことは端折って、写真だけにします。
 1.こぶ
      

 2.木曽の旧御料林で見た木を彷彿とさせる美しさです。
    

 3.フジツルでしょうか。巻きつかれた木
    

 4.低い山ですが、基盤の大岩が顔を出しています。
    

 5.そうしてつるつる温泉に着きました。
 タイムリミットです。今日はここまで。

     きのうの月   
    
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