(1)今日(13日)の『日本経済新聞』の「春秋」欄は次の書き出しで始まっていました。
いまや読書は「ノイズ」としてとらえられているという。・・・「情報と読書のトレードオフ」が2000年代に始まっていたー。
確かに、パソコン検索をすると、様々な事項がサッと出てきます。私もこれまでの研究でどれだけお世話になったかしれません。
(2)少し話がズレますが、関東在住の人が「伊勢参りをしたい」と思った時に、近世なら何日もかけてテクテクと歩いきましたが、今なら新幹線や車を使って日帰りもできます。
前者ならば、弥次さん・喜多さんのような経験もできますが、新幹線では、車中の楽しみや景色を見るという楽しみはありますが、あっという間に終わります。とりあえず神頼みをしたいというなら、それでもよいですが、旅の楽しみとなると、これでは物足りません。とりいそぎ得たい情報を探すという場合はインターネットでサッとが速いし良いですが、過程を楽しむには不足です。
(3)東京から伊勢まで歩く人はそうはいないと思いますが、しかし、ゆったりと旅をしたいということはなくならないでしょう。
仕事上や研究上の必要からインターネットを必要とする場面がもっと広がると思われます。その場合、ゆっくりと考えたいとか、お気に入りのものを読みたいということはなくならないでしょう。そして、そういう心境なり情操というものは、育った環境・境遇・教育などにも影響されるでしょうし、初等・中等・高等・大学などで幅広い教養を身に着ける機会をどれほど得られたかにもよるでしょうから、このことは逆に教育・環境の重要性を表しているといえます。そういう模索も出て来るでしょう。
(4)その際に忘れてはいけないのは、科学が発展して、それが利益本意で使用されると、本来は人間にとって役立つはずの科学が人間を苦しめ、人間を非人間的にするように作用することがあるということです。その最たるものは武器・火薬・原爆ですが、ほかの例として電気が挙げられます。
電気が発明されると夜間労働が可能になりました。すると、工場では、機械などの減価償却を早めるために、3交代制をとって夜間も働かせるようになったのです。
いまはまだインターネットの使い方も、社会全体として利益本意です。これに伴って個人でもそうです。ですから、やがて今とは違った使い方をするようになるでしょう。
インターネットは道具、読書とは違うはずです。
(5)読書をノイズというなら、このブログこそノイズかも。気をつけてください。
今日は短くするためのだいぶ削りましたから、流れがちょっと変ですねえ。あしからず。
【コレクション 134 帝国大学新聞】
現在では各大学が自前の『大学新聞』を発行していますが、『帝国大学新聞』は大正から終戦後まで発行されて、大学の新聞であると同時に社会に大きな影響を与えたジャーナリズムだったようです。
このパンフレットの大きさは、A4判、8㌻です。A3判の用紙2枚を重ねて二つ折りしてできています。
体裁は、
1㌻ 下に掲載
2㌻ 推薦の言葉 伊藤隆 東京大学文学部教授 近代史研究の重要な武器
内川芳美 東京大学新聞研究所教授 ユニークな知的ジャーナリズム
3㌻ 下に掲載
4㌻ 1923年の索引見本
5~6㌻ 内容見本
推薦の言葉 小田切秀雄 法政大学文学部教授 この新聞の特別な意味
寺崎昌男 東京大学教育学部教授 知的オピニオンリーダー紙
7㌻ 推薦の言葉 殿木圭一 文教大学情報学部教授
推薦者 石堂清倫 扇谷正造 大河内一男 勝本信之助 千葉雄次郎 辻清明
野沢隆一 樋口恵子 平岡敏男 福武直
8㌻ 装丁見本
刊行案内 下に掲載
1㌻
3㌻:大正12年4月12日号
8㌻
以上です。
【故郷の風景】
下の稲荷山古墳と七輿山古墳は、群馬県藤岡市の西にある代表的な古墳です。
いずれも前方後円墳で、七輿山には環濠が確認されています。
1.稲荷山古墳〔藤岡市白石〕と赤城山
2.稲荷山古墳上から見た赤城山〔あかぎやま〕
3.藤岡市歴史館〔稲荷山古墳北西〕の展示物〔部分〕
4.藤岡市歴史館の展示物〔部分〕
4.七輿山〔ななこしやま〕古墳〔稲荷山古墳の北側〕
5.鮎川橋〔七輿山の東〕上より見た榛名山〔はるなさん〕
今日はここで。