神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.371 金比羅尾根縦走 4

2024-12-21 22:54:00 | 
(1)今日も最初に地図を載せておきます。
 バスが止まりませんでしたから、「乗せないなら、乗ってやるものか」と私は武蔵五日市駅まで歩くことにして、つるつる温泉を出発しました。


(2)しばらく歩いて三ツ沢に来たところ、石垣の上にある民家の庭から赤いクコの実が垂れ下がっていました。
     

(3)それから間もなく「白岩滝入り口」を通過しました。年内にここから上がりたいと思い、ちょっと奥の方を見ておきましたが、うっかりして写真を撮り忘れてしまいました。

(4)それから少し歩いたところの民家の小屋脇に、少し傾いた碑が見えました。次のものです。
    

 また道路開通記念碑かなと思って読むと、やはりそうでしたが、末尾に「報徳部落」とあることに気が付きました。枯れた草叢が邪魔をして近づきにくいので、とりあえず写真を撮って帰りました。
 写真を拡大すると大体は読めますが、枯れ草が邪魔をして困難なところがあります。しかし、おおむね解読できましたから、下に載せておきます。
 なお、原文のカタカナを平仮名に直し、「句読点」を付し、旧字はそのままとしました。判読不明な箇所、前後から推測した箇所には下線を付してあります。
  【解読文】
  改修記念
産業の発展は交通機關の利用に在り。本村は曩に林道の開設を行ふと雖も、猶字松尾三ツ澤境界に於て屈曲甚しく、且幅員狭隘加之竣坂ママにて辛して荷馬車の通行し得たるも頗る危険の箇所あり。府道第九十九號福生御嶽線中の最大難なりしに依り、報徳部落民一同協議の上用地を献納し此改修方を村當局後援の下に昭和元年以来屡々東京府に陳情せし處、幸にして採擇せられ昭和十二年度實施に決定せり
爾来部落民は鋭意用地買収に或は此経費調達に奔走し工事の促進に努力せる結果、昭和十二年十月着工、翌十三年二月竣功す。延長三百米、有効幅員六米、此工費三千六百餘圓なり
要するに、本改修工事は本路線の基本を為す模範的に設計せられたるものにして、将来前後道路改修を暗示する最有意義なる工事なるを以て、有志相諮り録して永久に記念とす
   昭和十三年三月成 報徳部落建之
 注.2024.12.26修正。
   推測が正しかったところも、訂正したところも、下線を付してあります。
   また、「ママ」とある箇所は「峻坂」が正しいと思われるがそのままにしてあるの意です。

(5)碑文にある「松尾」と「三ツ澤」は上の地図にも出ています。クコの実が見られた当たりです。ここが、「幅員狭隘」というだけなく「竣坂」で、「辛して荷馬車の通行し得たるも」「頗る危険の箇所」だったとあります。今となっては何ともない普通の道路ですが、ここが「府道第九十九號」といって「福生」と「御嶽」を結ぶ「線中」の「最大難關なりし」といっています。
 それから、「報徳」つまり二宮尊徳の思想がここに普及していたということがわかりますから、郷土資料を調べてみようと思います。これはまたいずれ触れるかもしれません。

(6)さらに下ると、切り通しがありました。
     

 この写真は少し下ってから振り返って撮ったものです。ここからは見えませんが、左にある道路標識の向こう側に次の記念碑がありました。
     

 左の大きい碑は、上にある「題僉〔だいせん=題字〕」が「開通記念 寄付者連名」となっています。そして右の小さい方には「御大典記念」とあります。
 この「御大典」とは大正4〔1915〕年の大正天皇の即位のことですから、この切り通しの建設が大正天皇の即位を祝って行われたものであること、その事業の寄付者が大きい方の碑に記されていることがわかります。

(7)さらに下ると、突然、真新しい「梅ヶ谷〔うめがた〕峠トンネル」が現われました。地図の肝要からの梅ケ谷峠の間で、太く線で描いてあります。実際はS字状のゆるい曲線の道路です。
 帰ってから調べたところ、今年(2034年)3月16日に開通したばかりで、青梅市梅郷1丁目と日の出町大久野を結ぶ1333mのトンネルとわかりました。

(8)トンネルの写真を載せておきます。
1.日の出町側の写真を撮るのを忘れました。

2.トンネル内です。少しブレていますが、これしかないので、悪しからず。
 私が歩いている間〔15分くらい〕に通過したのはわずかに5~6台です。防災時の迂回路・緊急用との振れ込みで作られたようですが、本当に必要なのかと思うような感じです。調べてみる必要があるかもしれません。
    

3.トンネル内の行政界です。
     

4.青梅側に着きました。正面に突き当りに「青梅日の出線」が走っていて、ここの辺りが「梅ケ谷峠」です。
    

5.青梅側から見たところです。
     

(8)トンネルを出たところの「青梅日の出線」の梅ケ谷峠は、だいぶ前に栗拾いをしながら越えましたし、ここの東にある天狗岩の一帯はもう何度も来ています。ですから、困ることはありませんでした。このあとほんのわずかの時間で、青梅市の吉野街道にある「稲荷神社バス停」に到着。これまで青梅側のバスで嫌な思いをしたことはありませんから、16:11のバスまで15分ほど待って無事に車中の人となりました。
 トンネルのおかげで、武蔵五日市駅まであとまだ6kmは歩かなければならなかったところを、にわかに2kmほどに短縮でき、碑を2つ見つけ、トンネルをくぐり、なんとも良い勉強の機会となりました。禍福を転じて「幸甚の至り」となりました。
 これで「金毘羅山縦走記」はお仕舞いです。残余はまたいずれかの機会に。 
 長くなりましたから、きょうはここで。

 今日の昼間見た月 
 
 
*訂正:昨日の「芋窪〔いもくぼ〕」は「萱窪〔かやくぼ〕」の誤りでした。

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