朴の葉のかげ
(1)1978年2月14日、黒田久太『天皇家の財産』(三一書房 1966年2月)を、池袋の西口の立教大学へ行く通りにある高野書店で購入した。定価は250円だが、当時すでに希少本で、古書としてプレミアがついて400円だった。それでも、棚を見ていて発見した時はわが目を疑うほどの驚きで、高いとは思わなかった。
黒田久太『天皇家の財産』
この本は、明治百年となる1968年を前にしての、今から約60年前にまとめられたものである。1966年は昭和41年で、昭和は63年まで続いたから、すでに戦後20年余が経過して経済の高度成長を迎えていたとはいえ、昭和はそののち20年続くわけなので、まだ天皇タブーもかなりあった。その意味では、本書はよくまとめた「労作」と思うだけでなく、その後、これに代わるものがまだないということからも、少し評価を上げてもよいかとは思う。
しかし、研究の質としては違う。
私は『明治期皇室財政統計』(法政大学日本統計研究所 1992年7月)の「Ⅵ 解説にかえて」で、本書について「資料の整理と規模の究明には貢献したが、啓蒙書特有の概観的な記述であり・・・」(269ページ)、「方法論にも、批判的精神にも欠ける」(270ページ)と批判したことがある。
私のこの評価は今も変わっていない。
『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー 』日本林業調査会(J-FIC)の「解題」で自分の到達点の一端を書いたが、黒田に対する評価は、今も研究課題として変わっていない。
(2)発表されている論文などを見ていると、『天皇家の財産』に対する評価は相変わらずで、いまも「一級資料」の扱いである。これについて、ひとつ思い出がある。
1977年2月に『現代天皇制 法学セミナー増刊 総合特集シリーズ』(日本評論社)が出ていた。
まだ、天皇とか天皇制をどうとらえるべきかの視点でさえ怪しい時期のことあったから、ともかく前から読むしかなかった。
表に列記されている「主要論文と筆者」は、当時の錚々たる皆さんだったから、自分にとってはまぶしいばかりであった。それで、どれから読むべきかと迷いながら、おもむろに目次を見たところ、次の論文があることがわかり、手を打った。
法政大学教授 高橋 誠 「「天皇の財政」とその再編成」
高橋先生は、法政大学で地方財政を担当されていて、すでに『明治財政史研究』(青木書店 1964年)などもあり、財政関係では知られていた。
私は、学部では経済原論のゼミだったので、『資本論』とその関連の文献を読むのに手いっぱいで、まだ財政学のイロハも知らなかった。だが、皇室財産・財政をやるには欠かせないので、いくらかは手を広げてはじめていた。
だから、高橋先生が上の本を書かれていたことを考えれば当然とも思えたが、身近に皇室財政問題に着手されている人がいるとは思いもよらず、「灯台下暗しだった」と思ったものだ。それで、ともかく読んだ。
論文はA5判大で9ページ分あった。まだ用語自体も知らないものがあって手間取り、一筋の光明を得たというよりも、驚きしかなかった。
読んでの感想は、
「先生は、どのくらい資料をお持ちなのだろうか」だった。
それで、大学院の事務課へ行って事情を話して先生の連絡先を教えてもらった。当時のことで、まだプライバシー問題とかいうことはあまりなく、信頼関係もできていたからすぐに教えてもらえた。
詳しいことは手紙を書いてお知らせすることにしたが、待ちきれず、挨拶だけするつもりで電話した。そして、思いついて一言だけ「お持ちの資料はどのくらいありますか」と伺った。
すると、そっけなく、
「黒田さんの本だけだよ」と。
先生の返事に唖然とさせられたが、「本一冊であれだけのことを書いてしまうのか」と、その文章力に驚嘆してしまって、もう言葉が出てこなかった。
小菅から大菩薩への途次
その後、「論文」を何度も読んだ。そして、そのうちにふと思った。
「要するに、見てきたような・・・ということなんだ」と。
そして、
「知る人がもういなくなっているなら、自分が知るしかない・・・。」
これが私の基本姿勢です。
作業は、もういくらかはやりましたから、あと20年あれば終わるでしょう。
問題は「厭わなければいいだけ」です。
今日はここまで・・・。
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