7月28日、沼津の千本浜公園へ行きました。
千本浜より伊豆半島方面:
向こうも沼津市とは知りませんでした。
朝、『御料局測量課長 神足勝記日記』の出版について相談するために内幸町に行き、その後、新橋11:50の小田原行に乗り、途中の鴨宮で後続の熱海行きに乗り換え、熱海で浜松行きに乗り換え、15:00頃沼津に着きました。
途中は、駅も沿線も、どこも神足勝記のゆかりの場所です。彼はこの辺を、最初は歩いて、のちには人力車に乗り、さらに鉄道に乗り、何回も移動しています。それを知っていますからキョロキョロとしすぎて、まさしく変なジイさんをジでいってました。
沼津の千本浜公園には若山牧水の碑があります。というと、いかにも私がここをよく知っていて訪ねたかのように思われるかもしれませんが、そうではありません。そこが牧水の縁の地だということは、訪れてから知りました。
じつは、ひょんなところから父の写真が出てきました。それは、松林の大きな石碑の前に座って撮った写真でしたが、どこでいつ撮ったものかわかりませんでした。
ところが、ほかの写真を見ているうちに、鶴岡八幡宮で撮った修学旅行と見られる集団写真に服装がほとんど同じで映っているものがあり、これから鎌倉の近くのどこかという手がかりが得られ、しかも、父は中学校の教員でしたから、はっきり修学旅行時の写真と判断がついたのです。
集合写真をよく見ると、映っている何人かから、撮影時期が昭和36年と特定できました。このころは、箱根や富士山あたりの整備が進み、人気の観光コースになってきていたようです。しかし、場所は鎌倉の近くの大きな碑の前で記念写真を撮る所くらいしかわかりませんでいた。
千本浜公園の牧水の歌碑:
碑前は、3段の階段状から、平地に整備されたようです。また、
碑の形は、撮影角度の違いからか、違ってきているようです。
そこで、写真を天眼鏡で拡大してみると、碑文が「幾山河こえさりゆかば」と読めました。
上にも述べましたが、牧水の碑がどこにあるかを知りませんでしたから、ネットで「牧水 碑 幾山河」と入れてみたところ、「千本浜公園」が出てきました。
ともかく沼津駅につきました。でも、そこからが大変でした。
バスに乗ろうとしたら、バスの運転手の情報が曖昧・不正確、結局バスを乗り過ごす羽目になりました。仕方なくタクシーの運転手に聞くと「わかる」というので乗って付近にいくと、「あれ、この辺のはずだけど」ということで、結局、自分で歩く羽目になりました。途中、マウンテンバイクの練習をしている中学生に聞くと、親切にあちこちと見てくれましたがわからず、牧水記念館があるというので行くことにしました。
記念館についてひとわたり見たところで、石碑の場所を聞くと、先ほどの辺りとわかりまた戻りましたが、戻ってもよくわからず、結局、諦めて帰ることにしました。
歩いていると、川の脇に花屋さんがありました。入って聞くと、「幾山河の碑でしょう、あそこにあるはずだけど・・・」といって、車に乗せて連れいってくれ、林をかなり入ったところに見つけることができました。
わかればなんということもないところにありましたが、見つけるのに苦労しました。
「知っている人は知らない人のことがわからない」とつくづく思いました。
いやそれよりも、60年以上前に父のたどったところを踏んだ嬉しさは、なんとも言いようのないものでした。
牧水記念館で見た歌:
お気に入りですが、恋の詩とは知りませんでした。
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