神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.376 今日の結果 1

2024-12-27 00:15:13 | 
(1)今日は日の出町の「報徳」を調べに行ってきました。最初にその経路を書いておきます。下の地図は、 先日載せたものと同じです。 
    

 1.8:47青梅駅発バス。
 2.9時過ぎに地図の右上にある稲荷神社前で下車。
 3.梅ケ谷〔うめがた〕峠に向かい、トンネルの左〔南〕隣の資材置き場脇から林道に入りました。
 この写真は帰り(16:30頃)に撮ったものです。正面の一角が資材置き場。看板の向こう方向にに林道入口。直進すると梅ケ谷峠。右方向が梅ケ谷トンネル入り口。
    

 4.途中、紫の実と野イチゴを見ました。
      紫の実:野生のムラサキシキブのようです。
    

      野イチゴ:あちこちに見られましたから、一つだけいただきました。
           まだ寒くて写真がうまく撮れず、少しブレています。
     

 5.10時頃尾根:正面奥にある小さな札のところに出てきました。見えているところは尾根の林道です。このまま左〔北〕に辿ると三室山に行けます。いずれ挑戦しようと思います。
    
 
 6.尾根からの眺望。左:麻生山、正面:日ノ出山、右:三室山。
 風もなく温かい山日和でした。下の方で4人の人が地拵えをしていました。  
     
 7.ちなみに、このあとに上った麻生山から見たここの尾根です。少し拡大しています。
 下に伸びる尾根がありますが、その上の影のところが「上の5の写真」です。
 左上の山の脇にちょっと高い建物が見えますが、そのあたりが青梅です。そこからバスで手前に来て樹林帯を登って来たわけです。 
    

 8.そして、尾根をつたって手前に降りてきて、尾根が二股に分かれるあたりから下を見ると、肝要の南北に走る道路が見えます。
    

 9.下る途中は、木が伐採されてなくなった分だけ荒れて、落石や転落の恐れがあり気が抜けませんでした。それはともかく、結構な大木があります。ざっと100年近いものです。昭和の初めの植林かもしれません。
 仕事をしていた人によると、この伐採跡地には、アレルギー対策として花粉の少ない杉などを植えるそうです。
    

11.二股に分かれた尾根を進行方向左に降りたところに梅ケ谷トンネルがありました。この写真も帰り(16時過ぎ)に撮ったものです。
   

 今日はここまでにします。
 なお、また明日また書きますが、今日調べたことをもとに、No.371の中の「改修記念」と「御大典記念」のところを修正しました。
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No.375 報徳 2

2024-12-25 23:04:11 | 閑話
(1)今日の昼ごろ、月を撮ろうと外に出たところ、雲が広がっていて見えませんでした。残念でしたが、流れる雲のようすが珍しく、しばらく眺めていると1点だけ光って見えました。
 
   

(2)太陽がもう一つあるのかと思って見ていると、しばらくしてリング〔輪〕になっていることに気が付きました。うっすらとですが、輪が見えます。ハロー現象〔日暈:にちうん〕です。ニュースで報じているのを見たことがありますが、実際に見るのは初めてです。

    

(3)どんどん移り変わっていき、このあと消えてゆきました。
   


(4)明日は、No.371に載せた「報徳部落」の碑を見て、「報徳会館」を尋ねてみることにきめて、その準備のために少し猛勉強しました。といっても、日の出町のことが出ていないかを目安にページをめくっただけです。30年近く前に読んだものがひと棚ありましたが、その中で、昨日のNo.374に載せた八木繁樹編著『報徳に生きた人びとー報徳家略伝書抜帳』(総和社、平成6〔1994〕年と『佐々井信太郎 略伝』(一円融合会刊、昭和56〔1981〕年)に注目しました。

(5)結果としては、今日のところは収穫なしでした。
 しかし、若いころに、いずれ「報徳」について何かを考える必要を感じていたことを思い出しましたから、それが収穫といえば収穫でした。
 たとえば、上記の『佐々井信太郎 略伝』(362~3ページ)に次の「報徳経済学研究会名簿一覧表」がありますが、マーカーで印をつけた人びとのうち、政治家や運動家は別としても、近藤康夫・小野武夫・杉村章三郎・大熊信行・上田辰之助・土屋喬雄・稲田正次はについては気になります。ほかにもうっかり忘れている人がいるかもしれません。今日久しぶりに見直しただけですが、確かめないといけないと感じてます。



(6)それから、余談ですが、今年1月に元東京外大名誉教授(ドイツ演劇)の谷川道子さんの訃報が出ました。それによると、谷川さんの夫は元東京学芸大学長の鷲山恭彦さんですが、鷲山さんが喪主となって掛川で葬儀が行われるとのことでした。実は、もう30~40年前のこと、鷲山恭彦さんを別の知人が紹介してくれましたから、すでに仲介者も亡くなり、鷲山さんともそれきりで終わりましたが、記事を見て驚きました。
 一方、今日、上の「一覧表」に鷲山恭平さんというお名前があります。鷲山恭彦さんのお名前とよく似ているので読み直しました。すると、この人は掛川の人でした。
 ということで、このお二人は、名前が似ているというだけでなく、おそらく「恭」の字を継承して名付ける関係にあるのだろうと思ったというわけです。
 いずれ確かめてみたいと思います。 

【コレクション 143 子どもの見た戦争】
 これは、東京公文書館の企画展示の案内パンフです。平成26〔2014〕年、10年前のものです。
 大きさはA4判4㌻で、A3判を二つ折りしてできています。
 内容案内になっている1~3㌻を下に載せます。4㌻は関係資料の案内です。
      1㌻

  
      2㌻


      3㌻ 


  以上です。

  今日はここで。
    
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No.374 報徳 

2024-12-25 00:22:39 | 閑話
(1)今日は世間ではクリスマスです。クリスマスはキリストの生誕を祝う日ですが、クリスチャンであるかないかに関わらず、すっかり年末のお楽しみ会として定着しましたね。我が家でも今日は特別にワインを1本あけました。

(2)おととい届いたde(deutschland〔ドイチュラント〕)という広報メールによると、ドイツでは、8割くらいの人が宗教とはかかわりなくクリスマスのお祝いを自主的にやっているそうです。しかし、この日を教会へ行って祝う人は、コロナ蔓延の前に23.6%でしたが、2022年には15.4%に減少したそうです。(Bundeswehr〔連邦国防〕大学の調査)。多くの人にとっては、まあ、もう習慣化・恒例行事化しています。
 
(3)といって、世界にはそれがそうなっていない異常な国もありますから、先日の被団協のこと、平和の実現のことを忘れないようにしましょう。
 
(4)私は、今日は久しぶりに棚から「報徳」関係のもの取り出して、30年くらい前のことを思い出しながら、見直しました。
 「報徳」というと二宮尊徳をすぐに浮かべますが、そしてそれは間違いではありませんが、明治以降には実に多彩な「報徳家」が見られます。たとえば、八木繁樹編著『報徳に生きた人びとー報徳家略伝書抜帳』(総和社、平成6〔1994〕年)は560㌻に及ぶ大著ですが、ここには76名が集められていて、その中で、割合知られている政治家として岡田良平〔文部大臣〕・一木喜徳郎〔宮内大臣〕・河井弥八〔帝室会計審査局長官〕などがいますし、意外な人としては内村鑑三や柳田国男なども入っています。
 この際ですから、もう1日かけて見直して、26日に日の出町の「報徳会館」へ行ってみたいと考えています。何か出てきたらまた書くことにしましょう。

    
    ロウバイの開花待たれる師走かな

【コレクション 142 人づくり風土記】
 ほのぼのとした絵の楽しいパンフレットです。人が社会の中で生きていることを探り出そうとする視点が、1㌻目の左上に「風土が育んだ人づくりの知恵、集大成」とあり、7㌻の②には「政治・産業・信仰・家庭生活の多彩な場面での人づくり、村づくり、国づくりを徹底発掘!」とあることからも伝わってくるようです。
 しかし、これを見ていて思ったことは、30年前には、地域経済の衰退は江戸期をヒントに立ち返ることができると考えられていた、ところが、その後の都市建設・モータリゼーションと道路網の建設とはそれを不可能にしてしまったのではないか、ということです。そういう意味で、興味深い本なのではないかと思います。

 パンフレットの大きさは、A4判、8㌻です。A4判大4枚分の横長の用紙を、最初に左右から4分の1ずつを折り込み、できたのものをさらに二つ折りするとできます。
 全体は、
 1㌻ *下に掲載
 2㌻  監修者 牧野昇 三菱総合研究所会長 地域活性化への基調は栄養素
         会田雄次 京都大学名誉教授 人づくりの原点に立ち返る
         大石慎三郎 学習院大学教授 ”地方の時代”を得時に学ぶ
 3~6㌻ 内容紹介 略
 7㌻ 刊行のことば 編纂者 編集の特色 *下に掲載
 8㌻ 刊行案内 *下に掲載 

       1㌻


       7㌻
 

       8㌻


 以上です。
 今日はここで。

    
      今日の朝9時の月
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No.373 ハチの巣

2024-12-23 23:17:38 | あそび
(1)今日は、アノ素晴らしいカミさんが「まだ賀状は仕上がらないの」と責め立てました。
 私は、「値上がりしたからさ、その分だけ内容を濃くしようと思っているんだ・・・」といってかわしましたが、「ふん!」と。
 考えれば、昔はもうちっとソソとしていたんですけどね・・・。もう、メンテナンスはきかないし、チェンジしようにも、新車はむりだし、中古だとほかも似たようなものみたいだし・・・。と、ぼやきながら外に出ると、月が見えました。昼の月もいいものです。

     
     青空を白き半月移り行く    

(2)そうか、道理で、昨日、夜空を見たとき月がなかったわけだ、と納得して家に入り作業をはじめていると、近所の椿の木にスズメバチの巣が見つかったとカミさんが血相を変えて入ってきました。
 なんでも植木屋さんが庭木の手入れの下見に来てみつけたそうで、今はハチはいないけど、また戻ってくるから、手入れの時に除去すると・・・。
 というので、見に行ってきました。いや、なかなかの大きさです。

      

(3)スズメバチの巣といえば、もっと大きくて、しかもスズメバチがブンブン飛び交っているのを見たことを思い出しました。
 あれは、南アルプスを北岳から縦走して、南端の光岳〔てかりだけ〕から寸又峡林道に降りて歩いていたときです。林道沿いに消防小屋のような建物があり、見ると、飛び交うものが正面入り口の真上にいるのがすぐ気が付きました。巣が街灯のようにぶら下っていて、その周りを、遠くで見ているだけで怖くなるほど無数のスズメバチが群がっていました。真夏の暑い日のことでしたが、私はこれよりすごいスズメバチの乱舞を見たことがありません。

(4)スズメバチではありませんが、先日の金比羅尾根の縦走の際の、麻生山の南面を登っているときのことです。
 ここはかなり急登で、しかもまだ最近人が入り初めてのではないかと紛うばかりの道なき道とでもいう感じのところです。登りも下りも、うっかりするとずるずると滑って、転びやすいところです。どちらかというと下りの方が大変かもしれません。
 そこを登っていくと、女5人男一人のグループが降りてきました。いずれも昔の青年男女です。
 ふつうは「登り優先」ですが、こちらが急ぎ登るよりも、通過を待つ方が双方に都合よいと考えて「どうぞ」と声をかけると、下り始めました。すると、前から3人目の娘がすれ違いざまに、突然、「わたしたちまだ写真を撮っていないから、このおじいさんに撮ってもらいましょうよ・・・」と提案しました。
 まだ頼まれたわけではありませんでしたが、戸惑いながら、「おじいさんじゃイヤです」と突っ込むと、すかさず「あ!、おにいさん」と口先三寸の訂正。そこへ別の娘が「失礼よねえ!」とさらに突っ込みましたから、「そうですよ、人生最大の侮辱」と怒りを表すと、また別の娘が「まだ若いわよ、何年生まれかしら」とボケでカバー。一同の大笑いが麻生山にこだま・・・。
 山はイイ!年内もう一度か、正月登山か。そこが試案のしどころ。両方もある。

(5)賀状も追われないと書けないものです。時間を無駄にしないようにしましょう。

    

【コレクション 141 ポートレートで読むマルクス】
 マルクスだって人間、いろいろあります。マルクスほどの人ですから、なんでも注目すべきです。その場合に大事なことは、マルクスをマルクスにしたものですが、それはマルクスの1面だということを忘れないことです。
 『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)の編纂では、神足勝記の測量課長の面が優先されました。この時もつくづく悩まされました。私は、神足の生活者の面も含めてすb残したいと願っています。
 
 このパンフレットは、A4判、4㌻です。A3判の用紙を二つ折りして出来ています。下には、4㌻全部を掲載し、説明を略します。ゆっくりご覧ください。      
        1㌻   

    
        2㌻

 
      3㌻


        4㌻


 以上です。
 今日はここで。
 
    

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No.372 金比羅尾根縦走記 後日譚

2024-12-22 23:47:04 | 余録
(1)今日は、昨日の「金比羅尾根縦走記 4」に載せた「改修記念」碑と「御大典記念」碑について調べるため、午後に昭島市民図書館の郷土資料コーナーを閲覧に行ってきましたました。
 閲覧したのは『日の出町史』の「文化財編」と「通史編下巻」(平成18〔2006〕年)の2冊です。しかし、残念ながら、公式記録であるこの2点の『町史』からは、どちらの碑の存在についても、どちらの開通事業についても、手掛かりが得られませんでした。専門外のことを、にわかに思い立ってちょっと調べてみたまでのことですから、まあ気長に探ろうと思います。

(2)とはいえ、動けば何もないということはありません。一つ、手掛かりが出て来ました。
 それは、「改修記念」碑に「報徳部落」とありましたから、「報徳 日の出町」でネットで検索したところ、日の出町に「報徳会館」があることがわかりました。場所は梅ケ谷〔うめがた〕トンネルのすぐ近くです。
 じつは、もう20年以上前になりますが、「報徳会館小田原」や掛川の「大日本報徳社」に資料閲覧でお世話になったことがあります。ここで、また一つ「点と点の繋がり」がみえてきたようです。

(3)それから、副産物として、『日の出町史』(200~203㌻)に多摩地方の「御料林の払い下げ」問題について言及した記述があることがわかりました。
 これは、近世以降に社寺が所有していた林地は明治4年に国〔官〕に上地されて官有地となりますが、明治23〔1890〕年頃の御料地形成の際にそこからも取り込みました。しかし、面積が小規模で御料局の林業経営に不向きなこと、大部分が保安林に属したこと、社寺の風致林として不可欠なことなどのために、明治33〔1900〕年に「社寺上地御料林野特売規程」を制定して払い下げ処分を決めました。しかし、翌34年には、寺社の風致、事業、縁故、建築、警衛などで必要とするところを無償払い下げを決めました。下の表はそれをまとめたものです。

    

 この結果、神社の財産基盤が充実していきますが、しかし、もともと上地された林地がすべて払い下げられたわけではなく、例えば、大久野村の白山神社〔表の2行目〕の場合には、もともとの所有地3反9畝のうち下げ戻されたのは3畝2歩、約10分の1にすぎなかったことが述べられています。

(4)御料地・御料林の問題もまだまだ未解明な部分が多く、私も手が回っていません。特に、こういう地域と関わる問題では地方史家・郷土史家の参加が不可欠です。
 情報公開法が制定されて、重要資料が見られる時代になりました。昔なら大先生でも見られなかった重要資料を、今は駆け出しの学生でも見られます。だからこそ、積み上げる研究を心がけないといけません。資料を持って来て「どうだ」と並べて見せるだけではいけません。大向こう受けを狙った「皇室財産論」とか「皇室財政論」みたいなことではない研究を心がけることが重要です。

    

【コレクション 140 文学評論】
 私に文学を語る資格があるとは思えませんから、載せるだけです。
 とはいえ、若いころ読んだタカクラ・テルさんの『大原幽学』や谷口善太郎さんの(え~となんといったか、もう忘れてしまいましたが)作品は印象深く読みました。

 パンフレットの大きさは、B5判で4㌻です。B4判の用紙を二つ折りしてできています。
 全体は、
 1㌻ 下に掲載
 2㌻ 下に掲載
 3㌻ 執筆者名紹介 創刊号(昭和9年3月)目次 内容見本
 4㌻ 刊行案内 体裁:菊判 各号平均208㌻ 全31冊(合本全9冊) 揃定価:118,000円
         1984年1月刊 ナウカ㏍ 
    刊行挨拶 
          1㌻


          2㌻


 以上です。
 今日はここまでです。
 
     
     君知るや ながら酒のうまさを
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