風をあつめて はっぴいえんど happyend Kaze Wo Atumete
正直に申しまして
ぼくが一家言を述べる資格は
全くないテーマであります。
しかし
常に自分を棚上げして
論じている次第です。
とにかくも
行く先々で
けんかをして参ったぼくであります。
最近は
事業も
こじんまりと
粛々と実施出来るようになり
心も落ち着いてきました。
今までの
様々な人生航路を省察してみますと
やはり
人間関係スキルが欠落していたことに
気付きました(遅すぎる)。
ただ
良く考えると
けんかというよりも
言い方がきつかった助言、進言の類いであったことに気付きました。
とすれば
普通に提案すれば良かっただけであり
激昂する意味は全くなかったのです。
何れにせよ
若いということは
浅はかであり
だらやということであります。
人間関係スキルは
人が渇望する何かを察することだとすれば
人は
愛と優しさを
激しく渇望していることがツボであります。
おわり
高橋(尊敬する人:豊臣秀吉)
東国に拠する坂東の武人は
征夷大将軍の魂を堅持していた。
すなわち
平将門公
源頼朝公
徳川家康公は
死してなお
東国から日の本の泰平を
祈念しておられる。
本郷和人先生は
東国の幕府と
京の朝廷は
二つの王権として
並立していたとされるが
ぼくは
寧ろ武人として防人としての
本分を全うされた坂東武士の本懐をみる。
頼朝公は
何かしら朝廷に近づく義経の生き方に違和感を覚えたに相違ない。
将門公は
東国に自らの国を創る野望があったとは思えない。
寧ろ嫉妬と讒言に貶められ朝敵にされてしまったのだ。
家康公は
日光から東の瑠璃光で
日の本を照らし続けておられる。
その渋い
硬派な生き様こそ
武士である。
今
先人の遺徳
偉業を顕彰し
その魂を自らのものとせねばならぬ。
と思う
今日この頃であります。
高橋記(郷土史及び国史研究員)