宗恒の茶庭

「茶道 思いつくまま」や「和の美術」など

「茶の湯展」 NHK日曜美術館

2017-05-08 19:13:46 | 茶道
NHK「日曜美術館」で「茶の湯」展が取り上げられました。
熊倉功夫氏と森万里子氏がゲストでした。以下、番組で述べられた事で印象深かったことを記します。

室町時代には中国から入って来た唐物の軸や天目茶碗、花瓶、茶入などを飾り愛で楽しんでいました。実際には使わず、美術品とされていました。油滴や曜変天目が美しいまま残ったのはこのためだったのですね。

それが村田珠光が、珠光天目として実際に使い始めたのです。”使ってこその道具”という意識。
生活の中に茶を取り込む茶の湯が始まりました。

利休時代になると狭い茶室が造られました。今までは床に唐物の画を掛けていたのを 禅の心がけを書いた禅僧の偈・法語など《書》が掛けられるようになりました。
又茶の湯のために樂に茶碗を作らせ国焼き茶碗が登場します。《俊寛》という銘の黒楽等個性をそぎ落とした緊張感のある茶碗です。

戦国時代では殺し合いをして領土を広げるという何とも血なまぐさい時代です。戦場から帰るとき戦士は精神的に異常だった…そこで茶室で茶を飲んで心を落ち着かせ自己の心を見つめ治してから平常の戻ったのではないかということです。
茶の湯・狭い茶室はそういう精神性の空間であったようです。

織部の時代になると”ならひなきを極意とす”として自由奔放な茶道具が出てきます。水指《破れ袋》織部のひしゃげた茶碗、個性的な模様など出てきます。織部は実験的なアーチスト。


明治時代になると西欧化で日本文化が斜陽したところを財界人が茶道具名品を買いあさりそれら名品を文化人や財界人に披露かたがた茶会をすることが流行りました。今でいうゴルフ外交のように、そういう方々の社交場だったと云われます。

このような歴史を辿っていざ現代はどうでしょう?
IT時代で顔と顔を合わせてコミュニケーションをとること少なくなり、PCに向き合っての仕事が多く疲れる時代です。
静かに自分を見つめる時間を持つには茶の湯がとても良い空間なのではないか。IT企業の中に社内でお茶を静かに飲む空間があるところも紹介されました。

また、利休も織部もその時代時代の現代アーチストであったというお話もありました。・・・確かに・・
例えば、二畳の極小茶室「待庵」も、織部のひしゃげた茶碗も当時の人をびっくりさせたことでしょう。
コメント
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