茶道の稽古を始めてかれこれ半世紀余になり、教室を始めて約30年。
そんな私ですが、今だに茶道の点前で《なぜだろう?》と分からないことがあります。
以前は研究会の時に「質問箱」があり、予めその箱に入れておくと最後に業躰先生が答えてくださったものです。私もそれを利用したことが一回あり答えてくださいました。
先生によっては「この質問された方、手を挙げてください」とおっしゃりその方が手を挙げないと「あーもうお帰りになったのですね。それでは答えられませんね」と反故にされる場合もありました。
大きな会場で、本人確認されるとちょっと恥ずかしい?と感じる方も多いかと。かく言う私もそうです。
最近では研究会での質問は受け付けなくなりました。質問のある場合は支部にお手紙で書かなくてはいけなくなりました。
今私が《なぜだろう?》と思うことは、小習いの中の荘り物の時、水指の蓋は共蓋は使わず、必ず塗り蓋を使うということです。
茶巾や茶筅、茶杓を載せやすい為かしらと思いますが・・・また、塗り蓋は替え蓋でもあり傷んだら替えられるということもあります。
また棚を使って総飾りでお道具を棚に飾り残す時、帛紗を草にたたんで水指の蓋上に飾るときも塗り蓋の場合に限ることです。水次は省略しますという意味で帛紗を飾り残すと習いましたが・・・。
共蓋の時は上に何も置いてはいけないという理屈がどうも分からないのです。
もっとも共蓋の中にはつまみが動物になっていたり、洒落た形になっているものもあります。
そのせいかもしれません。塗り蓋は極くシンプルな一文字型の場合が多いです。
《なぜだろう》と思ったとき、いろいろ調べたり考えるのですが、なかなか解決しません。
台子点前からだんだんと簡略化していって小習になったという歴史から考えていかなければならない問題かもしれません。
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