早春 俳人永尾宋斤

祖父で「早春」を大正15年2月に主宰・創刊した永尾宋斤の俳句・俳語・俳画などからひもといています

宋斤の俳句 「早春」昭和二年三月 第三巻三号 俳句

2020-07-07 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句 「早春」昭和十六年三月 第三巻三号 俳句

早春のかれ艸を掃きへらしけり

早春の高きともしび雪の中

 早春社二月本会 『立春」 「雪」
川上や杜に朝日の春寒し

 多田句会 一の鳥社
温泉宿の門邊出て踏む霜柱
正月のぬくさつゞきに實南天

 安治川句会
住吉の卯の日をかけて宵戎

 阿古谷例会
大寒の空の朝や三艸山

 早春社大気創立句会
窓五つ冬の夜の町それぞれに

 京城の山本姚黄氏歓迎句会
かいつぶり沼に日南行き渡り

 打出句会
紫苑よりうきたつ朝の蚊なりけり

 蜆心亭小集 尼崎
朽葉山さす日に露のしらみかな

 きたの吟社
枯草にさす日の匂春隣


宋斤の俳句 「早春」昭和二年三月 第三巻三号 巻頭<個性> と 近詠 

2020-07-06 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
個性

俳句は作るべきものではない。心境に生まれてくるものが自らの俳句でなくてはならぬ。
作り得るもの、それは人形の首のように、同型のものを幾つでも製造し得る、又作るものが
上手であれば上手同士、下手であれば下手同士の間違に暗合の俳句も出来てくる。
生まれて来るもの、それは如何に類似にしても、似たる兄弟の實は大いに似ていない、
それのように、どれ一つとして内面的に同じものでは在り得ないが、坐れるといふ方の偉大なる表現である。
生れる俳句には個性があるからである。

近詠

蒲公英や松の籟にさそはるゝ

つまゝれてふるふ花なる菫かな

土筆摘み海見て波のやはらかし

人の踏む艸を蓬と知りにけり

花薊くツしやみすれば谺かな