またまた久々です。
私は、普段わりと柔らかい言い回しで「教えて!goo」などに書き込みをしているらしく、それがかえってあだになるときがあります。
前回の性の件もしかり、以前の「君が代」の件でも、ずいぶん責められたものです。どうも時に私は、強烈に多くの人を適に回してしまうようです。それは、時に対象がタブーな話題であるためであったりします。
今回も、敵を多く作りそうな話題、「障がい児教育」について。
私は、立場上、障がい児と呼ばれる子と多く関わってきました。専門とはいえませんが、まあ、いくつものことを学んできました。
中でも自閉症と呼ばれる障がいの仲間とか、ADHDなどは一般の方々から見ると(えらそうに言ってすみません)理解に苦しむ子どもの姿が現れるようで、これらに関する質問もいくつか見受けました。
特に、パニックに陥る子、非(反、ではありませんよ)社会的な行動に出てしまう子について。多くの回答では、「そういう障がいなのだから、仕方がない。パニックなどについては、収まるまでしばらく発散させておいて、落ち着くまで待つのがよい。」という指針が示されます。
いや、それで正解です。医学的にも、教育的にも、例外なく、そうしなさいと書いてある。私も、子どもを指導する立場として、そうするように心がけております。
しかし、年がたつにつれ、私の疑問は膨らむばかりです。
仕方がないから、発散を放っておくのか。
みんなに醜態を晒しながらも、「だいじょうぶだよ。」と抱っこしながら、ひたすらやさしく包み込んで、落ち着くのを待つしかないのか。
無理やりやめさせる。他の子に危害を与えることができなかった代償に、ついには自傷行為にまで及びながらパニック状況を進めようとする。それはさすがに本人の命がまずいので、落ち着かせるようにやさしく接する。「本当は、あの子たちは怖くて、敏感で、おびえているんです。」
給食などの食事では、極度の偏食という形で自閉が表れる子もいる。この子たちにとっては、苦手な食べ物は、毒薬を食べさせられる感覚だそうだ。または、嘔吐促進剤を無理やり口をあけさせられてこじ入れられている状況。…
しかし、そこで私は、「ちょっとまて」と感じたのです。「これは、少年時代の私だ。」
私は赤ん坊のとき、離乳食で筆舌に尽くしがたい苦労をしたと母はいつも言います。いわく、兄のときはスムーズだったから、離乳食の方法論に間違いはなかったはずだ。しかしお前は絶対に食べなかった。口に入れかけては吐き出して、大騒ぎだった。赤ん坊の頃だから、食わず嫌いということはなかったはずなのに、と。
自分に物心がついてからも、その点で猛烈に苦労したことは覚えています。食べられるものがあまりにも少ない。果物、野菜、肉の一部など、ほとんど駄目。「食べるうちにおいしくなるから」といわれましたが、中には食べれば食べるほど憎しみがわくほど嫌悪の進む食材もありました。私の少年時代の思い出のかなりの割合が、「食べ物との戦い」だったことは事実で、幼稚園年長のとき、「給食さえなければ学校に入学したいけど」と、深刻に親と話し合ったことも覚えています。
しかし私は、20年近くかけて克服した。8割がた、抵抗なく食べられます。私の親は当然、その手の障がい、自閉などについての知識を持っているはずもなく、食事については毎日不毛な戦いの日々でした。私も当然知らず、でも結局(ほぼ)克服した。
本当に、特に情緒面における障がいに対して、理解とケアをしていけばそれでよいのか。自傷行為、食べられずにはいてしまうほどの拒絶反応。お互いが極限の苦しみ。しかし、よく考えたらそれは私も一部通ってきた道。
まあ、私の場合は幸か不幸か、知的なものは伴っていなかったと思われるのですが、本能的に、「人間として、淘汰されまい」と、必死にもがいていたような気がするのです。少年時代。今の子たちは…どうなのでしょう…。
私は、普段わりと柔らかい言い回しで「教えて!goo」などに書き込みをしているらしく、それがかえってあだになるときがあります。
前回の性の件もしかり、以前の「君が代」の件でも、ずいぶん責められたものです。どうも時に私は、強烈に多くの人を適に回してしまうようです。それは、時に対象がタブーな話題であるためであったりします。
今回も、敵を多く作りそうな話題、「障がい児教育」について。
私は、立場上、障がい児と呼ばれる子と多く関わってきました。専門とはいえませんが、まあ、いくつものことを学んできました。
中でも自閉症と呼ばれる障がいの仲間とか、ADHDなどは一般の方々から見ると(えらそうに言ってすみません)理解に苦しむ子どもの姿が現れるようで、これらに関する質問もいくつか見受けました。
特に、パニックに陥る子、非(反、ではありませんよ)社会的な行動に出てしまう子について。多くの回答では、「そういう障がいなのだから、仕方がない。パニックなどについては、収まるまでしばらく発散させておいて、落ち着くまで待つのがよい。」という指針が示されます。
いや、それで正解です。医学的にも、教育的にも、例外なく、そうしなさいと書いてある。私も、子どもを指導する立場として、そうするように心がけております。
しかし、年がたつにつれ、私の疑問は膨らむばかりです。
仕方がないから、発散を放っておくのか。
みんなに醜態を晒しながらも、「だいじょうぶだよ。」と抱っこしながら、ひたすらやさしく包み込んで、落ち着くのを待つしかないのか。
無理やりやめさせる。他の子に危害を与えることができなかった代償に、ついには自傷行為にまで及びながらパニック状況を進めようとする。それはさすがに本人の命がまずいので、落ち着かせるようにやさしく接する。「本当は、あの子たちは怖くて、敏感で、おびえているんです。」
給食などの食事では、極度の偏食という形で自閉が表れる子もいる。この子たちにとっては、苦手な食べ物は、毒薬を食べさせられる感覚だそうだ。または、嘔吐促進剤を無理やり口をあけさせられてこじ入れられている状況。…
しかし、そこで私は、「ちょっとまて」と感じたのです。「これは、少年時代の私だ。」
私は赤ん坊のとき、離乳食で筆舌に尽くしがたい苦労をしたと母はいつも言います。いわく、兄のときはスムーズだったから、離乳食の方法論に間違いはなかったはずだ。しかしお前は絶対に食べなかった。口に入れかけては吐き出して、大騒ぎだった。赤ん坊の頃だから、食わず嫌いということはなかったはずなのに、と。
自分に物心がついてからも、その点で猛烈に苦労したことは覚えています。食べられるものがあまりにも少ない。果物、野菜、肉の一部など、ほとんど駄目。「食べるうちにおいしくなるから」といわれましたが、中には食べれば食べるほど憎しみがわくほど嫌悪の進む食材もありました。私の少年時代の思い出のかなりの割合が、「食べ物との戦い」だったことは事実で、幼稚園年長のとき、「給食さえなければ学校に入学したいけど」と、深刻に親と話し合ったことも覚えています。
しかし私は、20年近くかけて克服した。8割がた、抵抗なく食べられます。私の親は当然、その手の障がい、自閉などについての知識を持っているはずもなく、食事については毎日不毛な戦いの日々でした。私も当然知らず、でも結局(ほぼ)克服した。
本当に、特に情緒面における障がいに対して、理解とケアをしていけばそれでよいのか。自傷行為、食べられずにはいてしまうほどの拒絶反応。お互いが極限の苦しみ。しかし、よく考えたらそれは私も一部通ってきた道。
まあ、私の場合は幸か不幸か、知的なものは伴っていなかったと思われるのですが、本能的に、「人間として、淘汰されまい」と、必死にもがいていたような気がするのです。少年時代。今の子たちは…どうなのでしょう…。