ため息が出ます。
「時代おくれの男の認識」だそうです。
今回のテレビ朝日の女性記者と財務事務次官のセクハラ騒動
これが事実だとすれば、確かに、なんとも時代遅れのひどい男です。
まあそこはみんな認めるでしょう。それはいい。
どうにも気になるのは、
「女はずっと昔から我慢してきた。スケベ話もじょうずに使えば話も弾んでいた、なんていう人もいるけど、勘違いも甚だしい。
男は笑っていたかもしれないけど、女は笑いながらも、ずっとずっと嫌だったんですよ。男社会だったからわからなかったんでしょうかね?」
と、平気でのたまう女性コメンテーターたち。
そして「そうだそうだ」とうなずくご一同様。
それは嘘です。
母たちの世代を見てきましたから。
母や、叔母たちの会話を、幼いころからずっと聞き続けてきました。
叔父たち、男のメンバーと楽しく会話する中には、必ずスケベな話(猥談)が出てきました。
そしてみんなで笑い転げていました。
近所のメンバーなどで慰安旅行などがあれば、旅館で他の方の奥さんのおしりを触るなど日常茶飯事で、
パシンと叩かれながらふざけ合っていました。でも、やりすぎる人はみんなからひどく嫌われていました。
もちろん浮気はなかったし、また、そういうことが苦手そうな方には、決して失礼なことはしていませんでした。
ちなみに私は、そういうことは下手なほうで、笑いを誘うような猥談はできなかったなあ、と思います。
でも、そういう話で笑い合っている「場」は、実に楽しかったのです。
母も、叔母たちも、近所のおばさんたちも、まったく嫌がっている様子などありませんでした。
いやな性的振る舞いや言葉を発する人には、しっかりと態度で「NO」を突き付けていました。
でも、母は言っていました。
「Aちゃんの世代からはダメだね。」
Aちゃんというのは、一番年下のおばです。現在還暦を少し超えたぐらいの世代のことです。
確かに、A叔母さんは、そういう会話が苦手でした。現在、よく見かける女性の典型です。
母たちの世代から見れば、彼女たちは男との会話も腹を割ってできないし、ギスギスしているというのです。
でも、母の世代から上の人数も、今では少数ですし、もちろん母の世代全ての女性が、男性の公然とした猥談やボディータッチを肯定していたわけではありません。
さて、男性。
ここまでにも述べてきたとおり、男も、猥談やタッチが許される人、許されない人がいて、上手な人はそういう要素をじょうずに使って、会話を弾ませることができたのです。
上手な人は、そういうのを嫌がっている女性には、決してそういう話題を振りません。もちろん行為も控えます。
下手で、品位もない人がそれをやろうとするから、嫌がらせになる。
…しかし、テレビのコメンテーターは、「女性はすべて嫌だった」という。
じゃあ、聖子さんも、そうだったんでしょうかね?
松田聖子さん。私はかつて、彼女のことをたくさん書いてきました。
代表するラジオ番組「夢であえたら」。当時の音源があまり出回っていないのが残念なのですが…
もうこの番組は、今やっていれば、大炎上番組でしょう。ロボスケによる、セクハラ発言「だけ」でできているような会話。
第一声が、「聖子ちゃん、今日のパンツの色は?」で
本当に色を答えてしまう聖子さん。
「聖子ちゃんのおっぱいは、桜色」「聖子ちゃんの特技、ブラのホック外し」
…
枚挙にいとまがありません。
しかし、それらに対応する聖子さんの答え方、笑い方、かわし方、罵倒の仕方
神業としか言いようがない鮮やかさでした。
でも当時としては普通の対応のように聴こえていたので、当時の女性キャラの皆さんは、多かれ少なかれ、
この手の会話の、上手な対応、笑いに変える技を持っていたと思うのです。
もちろん、ひどい目に合っていたという、元女子アナの話も聞きますけどね。
なんにせよ、聖子さんは上手だったし、いやらしさは感じなかったし、ご本人がそれほど嫌がっているようにも感じられませんでした。
昔の人は、性との付き合い方を、それなりの知恵で身に付けていたと、私は考えています。
私の大学の寮では、在学当時、まだ「春歌」が歌われていました。
「わははは!」と笑い飛ばし、「私たちはどんなに気取っていても、みんなスケベなんだよ」と共有し合って発散し合い、
人とのつながり合いを楽しんでいたのです。
性教育って、どうしてそういう側面を全く無視しているのでしょうか?
だからまったく教育として機能していかない
あの当時に戻れとは言いませんし、それはそれで問題があります。
でも、「性にもたしなみがある」ぐらい、私たちの基礎教養として身に付けるべきだと思うのです。
「時代おくれの男の認識」だそうです。
今回のテレビ朝日の女性記者と財務事務次官のセクハラ騒動
これが事実だとすれば、確かに、なんとも時代遅れのひどい男です。
まあそこはみんな認めるでしょう。それはいい。
どうにも気になるのは、
「女はずっと昔から我慢してきた。スケベ話もじょうずに使えば話も弾んでいた、なんていう人もいるけど、勘違いも甚だしい。
男は笑っていたかもしれないけど、女は笑いながらも、ずっとずっと嫌だったんですよ。男社会だったからわからなかったんでしょうかね?」
と、平気でのたまう女性コメンテーターたち。
そして「そうだそうだ」とうなずくご一同様。
それは嘘です。
母たちの世代を見てきましたから。
母や、叔母たちの会話を、幼いころからずっと聞き続けてきました。
叔父たち、男のメンバーと楽しく会話する中には、必ずスケベな話(猥談)が出てきました。
そしてみんなで笑い転げていました。
近所のメンバーなどで慰安旅行などがあれば、旅館で他の方の奥さんのおしりを触るなど日常茶飯事で、
パシンと叩かれながらふざけ合っていました。でも、やりすぎる人はみんなからひどく嫌われていました。
もちろん浮気はなかったし、また、そういうことが苦手そうな方には、決して失礼なことはしていませんでした。
ちなみに私は、そういうことは下手なほうで、笑いを誘うような猥談はできなかったなあ、と思います。
でも、そういう話で笑い合っている「場」は、実に楽しかったのです。
母も、叔母たちも、近所のおばさんたちも、まったく嫌がっている様子などありませんでした。
いやな性的振る舞いや言葉を発する人には、しっかりと態度で「NO」を突き付けていました。
でも、母は言っていました。
「Aちゃんの世代からはダメだね。」
Aちゃんというのは、一番年下のおばです。現在還暦を少し超えたぐらいの世代のことです。
確かに、A叔母さんは、そういう会話が苦手でした。現在、よく見かける女性の典型です。
母たちの世代から見れば、彼女たちは男との会話も腹を割ってできないし、ギスギスしているというのです。
でも、母の世代から上の人数も、今では少数ですし、もちろん母の世代全ての女性が、男性の公然とした猥談やボディータッチを肯定していたわけではありません。
さて、男性。
ここまでにも述べてきたとおり、男も、猥談やタッチが許される人、許されない人がいて、上手な人はそういう要素をじょうずに使って、会話を弾ませることができたのです。
上手な人は、そういうのを嫌がっている女性には、決してそういう話題を振りません。もちろん行為も控えます。
下手で、品位もない人がそれをやろうとするから、嫌がらせになる。
…しかし、テレビのコメンテーターは、「女性はすべて嫌だった」という。
じゃあ、聖子さんも、そうだったんでしょうかね?
松田聖子さん。私はかつて、彼女のことをたくさん書いてきました。
代表するラジオ番組「夢であえたら」。当時の音源があまり出回っていないのが残念なのですが…
もうこの番組は、今やっていれば、大炎上番組でしょう。ロボスケによる、セクハラ発言「だけ」でできているような会話。
第一声が、「聖子ちゃん、今日のパンツの色は?」で
本当に色を答えてしまう聖子さん。
「聖子ちゃんのおっぱいは、桜色」「聖子ちゃんの特技、ブラのホック外し」
…
枚挙にいとまがありません。
しかし、それらに対応する聖子さんの答え方、笑い方、かわし方、罵倒の仕方
神業としか言いようがない鮮やかさでした。
でも当時としては普通の対応のように聴こえていたので、当時の女性キャラの皆さんは、多かれ少なかれ、
この手の会話の、上手な対応、笑いに変える技を持っていたと思うのです。
もちろん、ひどい目に合っていたという、元女子アナの話も聞きますけどね。
なんにせよ、聖子さんは上手だったし、いやらしさは感じなかったし、ご本人がそれほど嫌がっているようにも感じられませんでした。
昔の人は、性との付き合い方を、それなりの知恵で身に付けていたと、私は考えています。
私の大学の寮では、在学当時、まだ「春歌」が歌われていました。
「わははは!」と笑い飛ばし、「私たちはどんなに気取っていても、みんなスケベなんだよ」と共有し合って発散し合い、
人とのつながり合いを楽しんでいたのです。
性教育って、どうしてそういう側面を全く無視しているのでしょうか?
だからまったく教育として機能していかない
あの当時に戻れとは言いませんし、それはそれで問題があります。
でも、「性にもたしなみがある」ぐらい、私たちの基礎教養として身に付けるべきだと思うのです。