最近心の中でよくループする歌。
トワ・エ・モアの「誰もいない海」。
幼いころから、不思議な歌だと思っていました。
やさしいタッチのフォークソング。(もとはジェリー藤尾さんのシャンソンだったらしいですが)美しいメロディー。
歌詞も情景が見えるようで、美しく進む。
ところが、最後の一行で、ドカンと重くのしかかるのです。「つらくても つらくても 死にはしないと」「淋しくても 淋しくても 死にはしないと」「ひとりでも ひとりでも 死にはしないと」
この曲のことを調べてみたのですが、特にこれと言った、歌詞に関するエピソードは見つけられませんでした。未だもって不思議な重量バランスを持つ歌詞です。
震災後、いろんな人たちの姿を、テレビを通してではありますが、見てきました。
すると、一言で被災者とくくれない、いろんな立場の方がいらっしゃることが、あたりまえではありますが、はっきりと見えてきました。
まだ4月初旬だったと思いますが、集団で避難しているところに、誰かは忘れましたが、何か力を与えてくれるようなプレゼント訪問があったのです。そこをインタビューしているところを見ました。
60代ぐらいのおじいさんが答えていました。
「こういうのを見てね…。本当は、もう生きていくのいつ辞めようかと思ってたの。家族もいなくなって、俺だけ生き残って。何にもなくなって。生きていちゃいけないみたいなね。でもね、まだ生きていかなくちゃいけないのかな、なんてね。」
同じように集団で避難生活している人の中にも、表面では笑っていても、中には、いつ自分の命を終わりにさせようか、ひっそりと思い続けている人もいるのだろうな、と、改めて感じて、胸が苦しくなりました。与えられた命を精いっぱい生きなさい、なんて、軽々しく言えたものではありません。自分の命と信じたもの。自分の命と引き換えても残しておきたいものをすべて失った人、絶対に、たくさんいるはずです。
そんなとき、冒頭の「誰もいない海」が、ストーンと。まるで長い間埋まらなかったテトリスの長い棒がフィットして一気に溶けたような感じで、心におさまってきたのです。
そうか、これなのか。
1960年代から70年代、生きる、死ぬ、は、歌の歌詞として、かなり頻繁に登場していました。
同じ「誰もいない海」という言葉で始まる「17歳」なんて、あんなに能天気な歌詞なのに、締めくくりは、「私は今 生きている」
君が望むなら命をあげてもいい。骨まで愛して。朝日の中うつろな蝶は死ぬ。あなたに命懸け。
もう枚挙にいとまがありません。
これが80年代になると、重い、くさい、必死すぎーーー!と思われたからか、一気に歌詞から消えていきます。そこから20年以上の歳月が流れました。
そろそろ、命に真剣に向き合う曲が来ても、笑われない時代になってきたのではないでしょうか。
坂本九さんの「心の瞳」、マナカナの「いのちのうた」、同じ作者竹内まりやさんの「人生の扉」など、昔と比べると少しおしゃれな装いをしながらも、命と向き合ういい歌は、結構あると思うのです。恋愛の歌に命をかけたっていいじゃないですか。天城越えヒットの陰に、そういう面もあったと思います。
「生死に向き合うことが少なくなって、今の子供たちは、命に対する意識が希薄になった」と言われてずいぶん久しいです。
それは、確かにそのとおりった、と、今回の震災、そして、40年前の巷の歌たちが証明してくれているように思います。
自分が立ち上げた、懐かしい質疑をあげておきます。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/207446.html
トワ・エ・モアの「誰もいない海」。
幼いころから、不思議な歌だと思っていました。
やさしいタッチのフォークソング。(もとはジェリー藤尾さんのシャンソンだったらしいですが)美しいメロディー。
歌詞も情景が見えるようで、美しく進む。
ところが、最後の一行で、ドカンと重くのしかかるのです。「つらくても つらくても 死にはしないと」「淋しくても 淋しくても 死にはしないと」「ひとりでも ひとりでも 死にはしないと」
この曲のことを調べてみたのですが、特にこれと言った、歌詞に関するエピソードは見つけられませんでした。未だもって不思議な重量バランスを持つ歌詞です。
震災後、いろんな人たちの姿を、テレビを通してではありますが、見てきました。
すると、一言で被災者とくくれない、いろんな立場の方がいらっしゃることが、あたりまえではありますが、はっきりと見えてきました。
まだ4月初旬だったと思いますが、集団で避難しているところに、誰かは忘れましたが、何か力を与えてくれるようなプレゼント訪問があったのです。そこをインタビューしているところを見ました。
60代ぐらいのおじいさんが答えていました。
「こういうのを見てね…。本当は、もう生きていくのいつ辞めようかと思ってたの。家族もいなくなって、俺だけ生き残って。何にもなくなって。生きていちゃいけないみたいなね。でもね、まだ生きていかなくちゃいけないのかな、なんてね。」
同じように集団で避難生活している人の中にも、表面では笑っていても、中には、いつ自分の命を終わりにさせようか、ひっそりと思い続けている人もいるのだろうな、と、改めて感じて、胸が苦しくなりました。与えられた命を精いっぱい生きなさい、なんて、軽々しく言えたものではありません。自分の命と信じたもの。自分の命と引き換えても残しておきたいものをすべて失った人、絶対に、たくさんいるはずです。
そんなとき、冒頭の「誰もいない海」が、ストーンと。まるで長い間埋まらなかったテトリスの長い棒がフィットして一気に溶けたような感じで、心におさまってきたのです。
そうか、これなのか。
1960年代から70年代、生きる、死ぬ、は、歌の歌詞として、かなり頻繁に登場していました。
同じ「誰もいない海」という言葉で始まる「17歳」なんて、あんなに能天気な歌詞なのに、締めくくりは、「私は今 生きている」
君が望むなら命をあげてもいい。骨まで愛して。朝日の中うつろな蝶は死ぬ。あなたに命懸け。
もう枚挙にいとまがありません。
これが80年代になると、重い、くさい、必死すぎーーー!と思われたからか、一気に歌詞から消えていきます。そこから20年以上の歳月が流れました。
そろそろ、命に真剣に向き合う曲が来ても、笑われない時代になってきたのではないでしょうか。
坂本九さんの「心の瞳」、マナカナの「いのちのうた」、同じ作者竹内まりやさんの「人生の扉」など、昔と比べると少しおしゃれな装いをしながらも、命と向き合ういい歌は、結構あると思うのです。恋愛の歌に命をかけたっていいじゃないですか。天城越えヒットの陰に、そういう面もあったと思います。
「生死に向き合うことが少なくなって、今の子供たちは、命に対する意識が希薄になった」と言われてずいぶん久しいです。
それは、確かにそのとおりった、と、今回の震災、そして、40年前の巷の歌たちが証明してくれているように思います。
自分が立ち上げた、懐かしい質疑をあげておきます。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/207446.html