死人に鞭打つようなことで不謹慎ではあるが…
私は「教えて!goo」で、命の大切さについて幾度も回答してきましたし、
他の回答者などから貴重なことをいくつも教えてもらいました。
古い質疑歴ではありますが、
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa207446.html
などが、私の中ではその典型です。
ロス疑惑のあのおじさんが自殺しました。
私の家庭の反応は、実に冷ややかなものでした。
記憶をたどれば、あの事件は、全くマスコミの暴走でもあり、いつもの私ならば、マスコミを叩いて終わりなのですが、今回は、「命の重さ」ということで述べてみたい。
全く、あのおじさんについて肯定的な気持ちになれないのです。命に代えてまで訴えたいことが、あのおじさんにあった、とは思えない。
彼の人権を守るために動いている団体もあると言われますが、あの結末を、どうとらえるか。
余談ですが、私がこのニュースを見たのは、NHK週刊子どもニュースで、「人間国宝」について放送しているときのことでした。
「同じ人間なのに、国宝にしてもらうなんて、差別だ」と、うちの子がうそぶいていました。同じ人間でも、その命を、宝物として扱ってもらえる。これをどう考えるか、と問いかけようとしたところで、このニュースが速報テロップとして流れてきたのです。なんとも皮肉なものでした。
同じ人間一人の命が消えたというのに、不謹慎ながら、全く「貴重なものを失った」という感情につながらない。
人間の命は確かに尊重されます。誰にでも人権はあり、守られなければなりません。「人の命は地球より重い」という名言が、昔ありましたが、言葉にこだわってみれば、実は人の命の重みには、個人差が厳然としてある。
①与えられた命を、まっとうに、精いっぱい生きようとする命には、かけがえのない重みがある。
②その業績によっては、他者から特に大切にされる命もある。
立派なことをして、まっとうに生きている人は、やっぱり「値打ちのある人」として重みがプラスされます。私はこれを、「差別」ではなく、「ごほうび」と考えます。ですから、結果として立派な業績が残せなかったとしても、別にその人の命の重みが軽んじられるというわけではありません。ご褒美というプラスアルファの量が違うだけのことです。
でも。
自分の命を大切にしようとしない。他者の命も軽んじる。あえて人から期待されないようなことをして努力から逃げっぱなし。本能のみに生きて、他者を貶める(おとしめる)ことばかり考えている、要するに、いわゆる人間としての徳を積むことを「あえて」捨てていこうとしている人たちに、同じ重みを与えてよいのか。
もうそろそろ、それに対して、「否」と言わなければならないと思っています。
傲慢かもしれませんが、そうでないと、私たちは社会生活を営んでいくことができないのではないでしょうか。一つの生命体としても。
人の命の重さには、個人差がある。でもそれは、本人が生きていく中で、結果として差ができるものであり、その重みを捨てて生きていく人の命は、軽くなっていくものである。
私は「教えて!goo」で、命の大切さについて幾度も回答してきましたし、
他の回答者などから貴重なことをいくつも教えてもらいました。
古い質疑歴ではありますが、
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa207446.html
などが、私の中ではその典型です。
ロス疑惑のあのおじさんが自殺しました。
私の家庭の反応は、実に冷ややかなものでした。
記憶をたどれば、あの事件は、全くマスコミの暴走でもあり、いつもの私ならば、マスコミを叩いて終わりなのですが、今回は、「命の重さ」ということで述べてみたい。
全く、あのおじさんについて肯定的な気持ちになれないのです。命に代えてまで訴えたいことが、あのおじさんにあった、とは思えない。
彼の人権を守るために動いている団体もあると言われますが、あの結末を、どうとらえるか。
余談ですが、私がこのニュースを見たのは、NHK週刊子どもニュースで、「人間国宝」について放送しているときのことでした。
「同じ人間なのに、国宝にしてもらうなんて、差別だ」と、うちの子がうそぶいていました。同じ人間でも、その命を、宝物として扱ってもらえる。これをどう考えるか、と問いかけようとしたところで、このニュースが速報テロップとして流れてきたのです。なんとも皮肉なものでした。
同じ人間一人の命が消えたというのに、不謹慎ながら、全く「貴重なものを失った」という感情につながらない。
人間の命は確かに尊重されます。誰にでも人権はあり、守られなければなりません。「人の命は地球より重い」という名言が、昔ありましたが、言葉にこだわってみれば、実は人の命の重みには、個人差が厳然としてある。
①与えられた命を、まっとうに、精いっぱい生きようとする命には、かけがえのない重みがある。
②その業績によっては、他者から特に大切にされる命もある。
立派なことをして、まっとうに生きている人は、やっぱり「値打ちのある人」として重みがプラスされます。私はこれを、「差別」ではなく、「ごほうび」と考えます。ですから、結果として立派な業績が残せなかったとしても、別にその人の命の重みが軽んじられるというわけではありません。ご褒美というプラスアルファの量が違うだけのことです。
でも。
自分の命を大切にしようとしない。他者の命も軽んじる。あえて人から期待されないようなことをして努力から逃げっぱなし。本能のみに生きて、他者を貶める(おとしめる)ことばかり考えている、要するに、いわゆる人間としての徳を積むことを「あえて」捨てていこうとしている人たちに、同じ重みを与えてよいのか。
もうそろそろ、それに対して、「否」と言わなければならないと思っています。
傲慢かもしれませんが、そうでないと、私たちは社会生活を営んでいくことができないのではないでしょうか。一つの生命体としても。
人の命の重さには、個人差がある。でもそれは、本人が生きていく中で、結果として差ができるものであり、その重みを捨てて生きていく人の命は、軽くなっていくものである。