songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

いじめはあったのか?追記

2010-05-06 02:02:06 | マスコミ関係
最近の自分のペースとしては珍しく気炎を吐いてしまいました。
まあ大型連休だったということもあるのですが、仕事もしていましたので、そんなに暇でもなかったのですが…
とにかくほとんど推敲もせずたたみかけましたので、ずいぶん読みにくいものになってしまったと思います。

私、絵文字、顔文字も使わないし、写真などもほとんど添付しておりません。
全く自己本位で、読者を意識しないブログを進めているなと思います。それでも読んでいただけたら、と矛盾したことを思いつつ。

さて、「いじめはあったのか?」で進めてきた今回のシリーズ。お読みいただければお分かりかと思いますが、
基本的に今回は、マスコミの体制に、非常に激しい怒りを感じております。この体制こそが、事件を悪化させ、混乱させた根本である、ということを主張したくて、ずっと進めてまいりました。その怒りが、このシリーズを続けるエネルギーを与えていたと思っています。

特にうちで取っている地元の新聞(地元ではメジャーな新聞)と、明らかな偏向報道をした汐留系のテレビ局には、許せないところが多々ありました。地元の新聞社など、その気になれば多方面から取材できそうなことがいくらでもありそうなのに、全く足を使わず、頭も使わず、事件後の行事やイベント、動きがあっても、同じ人からしかコメントをとろうとしない。今でもこの新聞を取っている自分が情けなくもあります。もしもこの事件に関して新たな展開が(あくまでももしもだが)見られたとして、よもや保身に走ることはないかとは思いますが…残念ながら新聞社も、一般の保護者層を敵に回すことだけはしたくないようで、そういう意味では戦前戦中と何ら変わっておりません。

しかし、この新聞社にも一人のつわものはいた。

事件後どれぐらいたった時だったでしょう。この新聞の社説欄に、故、指揮者の岩城宏之さんのことが触れられていたのです。
超一流の指揮者であり、文筆家でもあった岩城さんのエッセイに、「いじめの風景」というものがあると。そこから「社説」は論を進めております。

岩城さんは学生時代、疎開か親の転勤か、で、この事件のあった岐阜県の町で何年かを過ごしました。(それは私も知っていたことです。この町に金沢のオーケストラを率いて凱旋コンサートをしに来た時、その演奏を見たこともあります。)
病弱で引っ越しを繰り返す岩城さんは、どこへ行ってもいじめられる、いじめられっ子だったそうです。今ほど人権とか何とか言われなかった時代ですから、そのひどさは推して知るべしです。
で、岐阜のこの町に引っ越してきた時。学校で、やはり大柄な番長格の男と対面し、ガツーンと一発叩かれました。
「ああ、やっぱりここでも俺はいじめられるのだ」と岩城さんは悲しい自覚をしたそうです。
ところがその男は、
「今のはあいさつだ。お前、誰も知り合いがおらんのやろう?俺が守ってやる。困ったことがあったら俺に言いに来い。」
そして青春時代の最も多感なこの時期、岩城少年は、多少のことはあったものの、この岐阜の地では目立ったいじめにあうこともなく、新しい仲間に守られ、今までにない幸せな日々を過ごすことができた、と懐述しているのだそうです。その後も折あるたびにこの町を訪れ、旧交を温めたというのですから、本物です。私が見に行ったオーケストラ・アンサンブル金沢のコンサートの時も、誰の目から見ても、すでに岩城さんの体はだいぶ病魔に蝕まれている様子が明らかでした。しかし渾身の指揮と素晴らしい演奏。岩城さんはこの町に特別な思いを抱いてコンサートを決行していたのだと思うと、思わず涙があふれてきます。


「社説」は、いじめという現象をキーワードに、同じ町での、この対照的な例をあげていました。いじめの悪のスパイラルから一人の少年を救ってくれたできごと。こんな素晴らしい、生きた教訓のある町で、その正反対の事件が起こってしまった。地元の皆さん、今一度、輝かしい先輩の、美しい心に触れてみませんか。とでも言わんがばかりの、素晴らしい社説だったのです。

私は、怒りに震えていたこの新聞社に向けて振り上げかけていたこぶしがすーっとおり、一気に浄化させられた気持ちになりました。
いろいろ言いたいことはあるが、そういう視点を持っているこの新聞社の上層部の方のジャーナリズム精神は、本物だ、と。

今後、この事件に関し、いろいろなことが明らかになっていくと思われます。私たちはしっかりとした情報リテラシーを持って真実を求め、マスコミの方々には、広い視野を持って報道していただき、更に私たちは、岩城さんという偉大な先輩とその仲間の教えと心を胸に刻み、次の世代に、その美しい心を引き継いでいけるよう、努力していきたいと思っているのです。
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いじめはあったのか?その6

2010-05-04 06:08:38 | マスコミ関係
⑤今回の訴訟の意義
私の記憶では、訴訟を起こした大本は遺族側だったとおぼえています。
「事件から数年たったが、加害者側の生徒たちから、その後改めての謝罪もなければ連絡もない。まるで事件の風化を待っているかのように思える。誠意が感じられず、娘が全く浮かばれない。何らかの形で責任を問わなければならないと思う。」

私はこれを見て、「ほう」と感じました。

そして最近、加害者側とされる生徒サイドから、「いじめはなかった、法廷で争いたい」という言葉が初めて出ました。
そこで私はまた、「ほほう」と、何だか希望のようなものを感じました。

まず遺族側から裁判に持ち込む話が出たとき、一部ネットなどでは、攻撃する人もいました。「金で解決する気か。」「そんなの甘い。もっと重い制裁を」など。
でも、まず私は、これは良い一歩だと思ったのです。
ここまでの年月があって、互いの意思の疎通がうまくいかず、会話で解決できる問題ではないとはっきり自覚したのではないでしょうか。

a.もし今生きている「いわゆる加害者側」が、世間で言われる通り、反省の色もなく人間の風上にも置けない無神経さでのうのうと生きていたとしても。
b.逆にその子たちなりに社会的制裁を自覚していて、表現の仕方に食い違いはあるもののその子たちなりの心の傷を背負いながら生きていたとしても。
c.その中間で、その子たち本人の中で、本人たちなりの反省がありながらも、世間一般客観的に見て、到底許せない反省の浅さと、無神経さがみられていたとしても。

いずれにせよ、互いの立場同士、理解と歩み寄りの糸口がこれ以上望めそうもないのでしょう。それならば、これ以上いたずらにわだかまりを増幅させることに、よいことなど一つもありません。私は、むしろ金でけじめをつけ、世間一般的には、このぐらいの事件であった、という折り合いをつけ、以後一切干渉しない。「解決したことにして、気持ちの踏ん切りをつける」というふうにすることのほうが、望ましいと思ったのです。たとえが悪くて申し訳ないですが、交通事故を起こした後の処理のようにして、以後、「あの時は…」ともめないようにするようなものです。

そして、加害者側とされる生徒サイドから、「いじめはなかった、法廷で争いたい」と切り出したことは、更に評価できる動きでした。
まあ、今まで得た情報から考えれば、「そんなわけないやろ」発言ではありますが、当事者はどうとらえたか、初めてこれから明らかにされるのです。
ようやく。3年以上もたってようやく、通常の「事件をとらえる多角的な視点から客観的に」事件を見つめることができます。

もしも今度の裁判で一般的な視点で見たとき、加害者側とされる生徒たちに、「一般的に見て、命を絶つに至らせるレベルのいじめとは考えられない」という判決が出てしまったら、どうするのでしょう。この数年間、あまりにも多くの生徒たちの、大人たちの心が修復不可能なほど傷ついています。そして、その可能性は、ゼロとは言い切れません。だれが責任を負うというのでしょうか。
そしてその言葉は、一番初めに校長が遺族に向けて発した言葉でもあるのです。
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いじめはあったのか?その5

2010-05-03 06:27:26 | マスコミ関係
④ステレオタイプと思われる報道体制

あのころ、「いじめはなかった」報道で全国に非難を浴びることになった学校。
でも、その言葉の中に、「自殺に直結すると思えるほどのいじめとは言い切れない」というニュアンスが含まれていたとしたら、また、そのニュアンスが全国に伝わっていたら、事態は変わっていたかもしれません。もしかしたら、そういう言い方をしていたのかもしれません。

現在もそうなのかもしれませんが、当時、いじめに関する報道は大体がお決まりのコースでした。
・自殺者が出る、または自殺未遂者が出る。
・学校が会見する。前回述べたような事情で、当時は「いじめがあった」発言は、とりあえずは口が裂けても、とりあえず最初は言えなかった。
・そんなわけがないとマスコミが怒りをあおり、いじめの事実が明らかになってくる。
・学校や教育委員会の謝罪。マスコミは「二転、三転」と更に学校不信をあおる報道をする。
少なくともそこに当事者や、他の生徒への教育的配慮はない。

そんなわけでこの事件も見事にその最悪の流れに乗っかっており、肝心の、生きている、守るべき生徒が、こう言っちゃあ何だがあえて言ってしまうがマスコミによってズタズタにされてしまいました。当然、騒ぐだけ騒いだら、心に傷を負ったもの、病を持ってしまったものへの配慮、アフターケアなど皆無です。
市がスクールカウンセラーなどを増やしている始末です。

再三再四指摘していることですが、この事件に関し特に感じたことです。なぜ情報源が、遺族側からの情報1本ばかりだったのでしょうか。
あ、いや、学校側からの情報はもちろんありました。
「事件後、学校ではこのような集会や、ゲストをお呼びしての講座などを開き、いじめ撲滅への啓発を行った」
「有志が声をかけ、学校、地域を結ぶ心のハンカチ活動(だったかな?)」
などなど。
そのたびに、遺族の家族のコメントがありました。

しかしそれらはすべて、一つの視点から見た報道ばかりなのです。亡くなった子サイドからとらえた事件に関する見方1本。

「いじめはすべて、いじめた側が悪い」
それは犯罪であるからです。
しかし、どのような犯罪報道の時でも、普通は、加害者側の事情というものが報道されるものです。取材されるはずです。
背景を知ることによって、凄惨ないじめ(人権傷害)をなくすための手掛かりを得ることができるし、私たちの心に潜む、自分たちもいつ加害者になってしまうかわからない心と向き合うことができるからです。

今回の一連の報道姿勢に、加害者側、または生徒側からとらえた視点が一切なかったことがどうにも不自然であります。今のところ、その疑問に答えてくれたマスコミはありません。
まるで、「戦争はいけない、戦争はいけない」「戦争に導くのは、無能な政治家のせい」「戦争をどうやってなくすか?それを考えるのが、あなたたち政治家の仕事でしょう。」とシュプレヒコールだけを繰り返し、世界中で、戦いの現場にいる人たちの素顔に全く迫ろうとしないお気楽な平和活動家のようです。

その後ろで、どれだけ多くの人の心が傷つき、痛い思いをしているか。いまだに私のイライラは募るばかりです。

それとも…
・もしかしたら、今度の訴訟に対抗すべく、加害者サイドは、あえて今まで取材を断って、準備をしていたのでしょうか?(でもそれもちょっと考えにくい…)
・今まで私が「ひどい」と思っていたかつてのいじめ事件も、この岐阜県の例のように、重要な面がわざと報じられないままで来ていたのでしょうか。もしそうだったとしたら、まだまだ私も甘かったと反省しなければなりません。情報リテラシーへの道は、まだまだ険しく、遠いです。

現在私が知っている元生徒の心の傷付き方を見るにつけ、(学校が同じだったというだけで学級も学年もつながりもすべて無関係な子なのですが)やりようのない怒りをずっと感じているのです。
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いじめはあったのか?その4

2010-05-02 04:57:43 | マスコミ関係
③学校はどのような態度をとったか、その意図は

あの事件の中、最も叩かれたところはどこか。それは、学校でした。
「いじめはなかった」「いじめはあった」「意識がもうろうとして」などの言葉が何十回となくテレビで放映されました。

そして、今まで見てきた事件と違って「珍しいな」と思ったのは、事件直後の夜遅くに校長たちが遺族の家に来て話している様子が、ビデオに録画されていることでした。

おそらく、遺族の父親には、いじめにかかわることだと直感し、学校側の対応にごまかしがないかどうか、証拠として残したいと思い、事前にビデオをセットしたのでしょう。
とすれば、そのビデオ本体は、かなりの長時間録画されているはずです。
しかし、テレビで放映された部分は、非常に特徴的なところを、恣意的と思われるほど執拗に流されていたしか思えません。


…と、その前に。
素人の私が言うのもなんですが、私は、あの時の校長らの対応の中で、非常にまずかったと思うのは、いじめの有無について、当時の所感をそれほど重い責任を持たずに口にしたと思われるところです。
事件からあれだけの時間しかたっていないのですから、本来ならば、どれだけ遺族から尋ねられても、「現在調査中です」「現在断言できる状況にありません」を徹底的に通さなければならなかったところです。実際そうだったのですから。

が、「意識がもうろうとし」は事実だったのでしょう。何らかのはずみで個人的な印象を語ってしまった、ように私は想像します。
マスコミがそれを逃すはずがありません。その部分だけを切り取り、全国放送で流します。当然それを見た視聴者は、やれ隠ぺいだ、保身だと叩きます。で、再三再四校長らが記者会見に臨まなければならなくなるわけです。そのたび言葉尻を捕まえたマスコミが、「二転三転」。

この時、視聴者は「ばか」にさせられました。

事件の本質は、学校の責任者を弾圧することで何とかなるものなのか。違うでしょう。


あの時校長側がはじめに「いじめはなかった」発言をしたのには、意図があったと思われるふしもあるのです。
ひとつ目に、確かにあの頃、「いじめがあった」という発言をすれば、猛烈にヒステリックに各方面から、「何というひどいことだ。いじめの存在など、この世で最も許せないことだ。」と言われる時代であったことは間違いありません。あれからたった3年で、ずいぶん世の中、変わったものです。
「いじめがあった」発言は、学校倒産宣言をするのに等しい、極めて最終段階に等しい発言だった時代です。

もうひとつのこと、これが重要です。
校長が保身に走っての「いじめはなかった」発言?その反対です。
もしも、まだ確証のない段階であるにもかかわらず、いじめがあったかどうか、何が何でもイエスかノーかの返事をしなければならないと責められた時、教育者ならばどうするか。
(もちろん本来ならば、どれだけ叩かれようと、「調査中です」が正解なのだが)
やはり、「ノー」と答えるしかなかったでしょう。それはなぜか。
非常に酷な話ですが、自殺した子の人生はそこで終わってしまいました。しかし、関わった生徒たち、または、関わっていない生徒たちも合わせ、こちら側の生徒は、まだ生きているのです。将来があるのです。
まだ確証のないところで、いじめがあった、などとは、どうしても言えないのです。言ってしまったら、その段階で、その子たちの人生は決定してしまいます。当然学校にも来なくなるでしょう。確認してみて、いじめの存在が明らかであったのならば、責任者の校長が後でどれだけでも頭を下げれば済むこと。それまでは、「現在生きている」自分の学校の生徒の人権と、精神の安定を最優先しなければなりません。あの発言は、ギリギリのところで、かろうじて生徒を守った校長の行動です。

しかし、マスコミと被害者家族には、その意図が見抜けなかった。特にマスコミの、「現在生きている」生徒の人権、精神衛生を虫けらほどとも思わぬ傍若無人なスクープ根性は、下劣極まりないものでした。
映像の選択、その報道の仕方、すべてにおいて「現在生きている生徒」に不安と不信をあおるようなことしかしませんでした。事態は、学校が恐れていた、最悪の方向に進んで行きました。
生徒を守れない方向に一直線だったのです。
マスコミはどうするべきであったか。マスコミに本当のジャーナリズム精神があったのならば、「学校の対応」などという安易なところに世論の批判の矛先を向けさせるような報道の仕方をするのではなく、自分の足で稼いで広くいろんな立場の声を集めるべきだったのではないでしょうか。町の声を聞く。保護者の声を聞く。当時の学校の状況を調べる。
それだけのことで、多少は客観的な報道もできたはずです。学校発信の記者会見が信用できないならば、学校を批判する前に、自分たちで真実に迫ればいい。学校を批判したことによって、生徒はどうなるか。ちょっと想像すれば分かりそうなことです。

事実、どこかの学校と違い、この学校の教師たちについて、ひどいと思われる教師像は出てこなかった。
結局マスコミは、安易に情報が入る、被害者家族からの発言、行動のみを頼りに、このあと何年間も一方的な視点しかない報道を続けていくことになりました。
その陰で、現在進行形で人生を送っている生徒たちの実像には、「視聴者であるPTA様から止められているから」という理由だけで、全く迫ろうとしませんでした。
多くの生徒の人生が、ゆがめられてきたのです。マスコミがその責任をとろうとしないというのは、ずいぶん横暴な話です。報道した者勝ち、という姿勢です。何が社会の木鐸なのでしょうか。
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いじめはあったのか?その3

2010-05-01 04:46:06 | マスコミ関係
②当時及びその後の、周りの状況

あくまでもこれはわたしがまた聞きのまた聞きで得たうろ覚えの情報ですので、信ぴょう性はどうかとも思うのですが、
事件当時、この中学校のこの学年では、生徒指導上非常に厳しい時期であったと聞いたことがあります。
ニュースであげられた子たちは、その中心となって話題にあげられるようなメンバーではなく、全く別の子たち(女の子らしい)の荒れた姿で、学年中ぼろぼろになっていたというのです。
まあ悲惨ないじめというときは、そうした状況下、隠れた現場で行われるものなのかもしれません。

そうだとすると、おそらく学校の先生たちは、別の荒れた状況の生徒指導でエネルギーを使い果たしており、現実問題、そこまで手が回らなかったというのが真相だったのではないか、と私は勘ぐってしまうのです。
もしもそうだったと仮定して。
「それでも、十分生徒に気を配って、しっかりと連絡を取り合い、事態がエスカレートしないようにきめ細かく指導するするのが教師の務めであり、忙しかったからといっていじめを放置してしまったとすれば、教師の責任は重い。そんなもの、言い訳にもならない」ー。が一般論でしょう。

それは、それこそ議論を進めなくする「バカの壁その2」です。

法的に、教師の責任を問うことはできます。しかし、状況を想像すれば、すでにそれは、不可能だったのではないかと考えらるということです。
心情的に状況を考えると、教師側の指導力不足、対応力不足という言葉をあてはめるのは、見当違いというものです。あくまでも心情面で述べれば、です。事件はそういう状況の中で起こっていたのだということは知っておいたほうがいい。誰もこういう場で述べないので、あえて書かせていただきました。
教師までが加担していたどこかの案件と違うのです。

そして事件後。

4人はもとより、学校には多くの生徒がいます。
さきほど、荒れた、と記述しました。失礼を承知でかかせていただければ、長年荒れ続けた学校と違い、ここは、まあ、ごくありふれた学校です。(主観によって違うかもしれませんが)
その学年には、特別に指導の必要な子が数人いて、この学年が厳しかったことは想像に難くありませんが、実際のところ、大半は、いわゆるごく普通の生徒です。
この子たちの、あの事件以後の心情やいかに。
当時の生徒で、現在、「これは心的外傷の症状ではないか」と思われる若者の姿を、(詳しく述べるのは避けますが)実は私は数人、実際に見ています。
今回ここにしたためようと思ったきっかけにもなった若者の姿です。
誤解のないよう述べておきますが、その若者は、当時のことを一切語りません。私も聞いておりません。上に記したいろんなことは、別ルートで私が得た情報です。

全く個人的にではありますが、私が出会ったいろいろな人たちの状況をつなぎ合わせると、上に書いたような姿が想像できるのです。
マスコミの報道。少なくとも3カ月にわたって鳴り続けた非難の電話。その中に、周りの生徒たちの状況は全く報道されませんでした。もちろんPTAから、生徒たちから直接取材しないようにというマスコミへの連絡があったからのことでしょう。しかし、当の生徒たちがいかにこの件で大きな影響を受けたか、誰も述べてくれないのです。
真実はそこの中にこそ埋まっていたはずなのに。
結局マスコミは、当時現場にあそこまで足を踏み入れておきながら、全く真実に触れようとする姿勢を見せず、騒ぎのタネだけをばらまいていたのでした。それが更に大きく生徒たちを混乱に陥れます。
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