songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

松田聖子さん4~泣き虫なのは私のせいなのか?~

2007-03-31 23:01:16 | 音楽
①「泣き虫なのはあなたのせいよ」
 この曲が発表されたのは10月。前の曲「青い珊瑚礁」で、うわさの泣き顔で物議をかもしたのが7,8月。作詞の三浦徳子さんは、この事件のあとで歌詞を書いたのかどうか、非常に微妙なタイミングではありますが、びっくりするぐらいタイムリーな言葉が、効果的に使われていました。

これまで、パワフルな歌い方でずっと押してばかりいた聖子さんの歌い方が、初めてここで、「引き技」を見せます。まあ、青い珊瑚礁でも、「あなたとあうたびに…」のところで引きはありますが、これはあくまでも「独白」です。
風は秋色においてのこの引きは、唐突に挿入されており、しかも、聴取者の耳元にいきなり「あなたが悪いのよ」と吹きかける。

全くおくてだった私は、あっという間にお姉さんの膝元で崩れ落ちてしまいました。聖子お姉さんに耳元で息を吹きかけられた私は、お恥ずかしい限りですが、完全に、いわゆる「キュンキュンの」骨抜き状態にさせられたわけです。つまり私は、理論的な「音楽」と言うよりは、より原始的な「色香」に引き寄せられたわけですね。かわいくていとおしくて仕方がないという気持ちにさせられたわけです。

でも、それだけではなかった。

②間奏の美しさ
しっかりと骨抜きにさせられた私は、間奏に入ったところで再び心揺さぶられます。ストリングスの実に美しい旋律を、ほんわかしたフルート、木琴の音色が支え、しかもバックは骨太でビートの利いたリズム感。
後で知ったことですが、この編曲は信田かずおさん。その前の年にさだまさしさんの「関白宣言」で、これまた特徴のある間奏、後奏を作り出した人です。(そういえば音色が似ています。)

③最後の転調
すごい、いいなあ、これ、と、素直に感じていたところに、最後の仕掛け、「転調」が待っていました。当時は聖子さんも、つやのあるハイトーンが売りでした。
「うわ、まだ音が上がるのか!」「すごいすごい。かっこいい、かわいい、きれい。」半分は色香に惑わされたのかも知れませんが、聴いた時の自分の状態や年齢を差し引いても、やっぱり聖子さんの作品群の中では、この曲が最高峰に間違いないと思っています。

なんにせよ、この瞬間から、私は聖子さんの曲を求めるようになりました。でも、前回述べたとおり、この時期聖子さんは体調を崩しており、風は秋色をテレビで歌っているのを見たのは、12月頃、たった1回でした。

私の最も好みのルックス、と言うわけでもなかったのですが、本人には大変失礼ながら、「ちょっときれいなお姉さん」ということで、気軽にテレビを見ることもできました。もろに好みのタイプだったら、きっと両親の目を気にして、こそこそとテレビを見ていたのではないかと思います。

歌とは、上手なだけではだめなのではないか、と、おぼろげながら感じ始めていた頃でした。その答えは、次の年にはっきりと自覚させられたのですが、同時にその年、81年は、聖子さんにとっての、重い重い試練の年でもありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松田聖子さん3~最高傑作「風は秋色」~

2007-03-31 00:28:14 | 音楽
1980年という年は、私にとって、大変重要な年でした。
近いうちに語るかもしれませんが、私自身の音楽に関する価値観のほとんどを与えてくれた年が、この年でした。

ハンドルネームの元になった、山下達郎さんのRIDE ON TIMEもこの年の夏でした。
前回述べたとおり、この頃から私は、ラジオを聴くようになりました。
その頃、私は、最も信頼すべきランキング番組に出会いました。ニッポン放送の「不二家歌謡ベストテン(ロイ・ジェームス進行)です。他にもベストテン番組はありましたが、私たち若い世代(当時は私も若かった)のリクエストだけがほとんどのランキングを決めてしまうのに対し、不二家は、割と幅広い世代からの平等なデータからランクが決められていました。(錯覚だったかもしれませんが)

また、DJがロイ・ジェームスさんというのがよかった。渋い声、説得力のある重み。厳しい指摘。すごくまじめな番組だと思いました。

さて、この80年の「寒い夏」、私のお目当てはRIDE ON TIMEだったのですが、同時期のヒットだったので、当然青い珊瑚礁も聴いていました。
割と業界では、この歌がカルチャーショックだったそうで、声のパワーとメロディーがよいと。しかし当時私は、前回紹介した、テレビでの「おかーーさーーん」が印象的で、あまり注目するほどの歌手ではないな、と思っていました。他にベストテン内にもいい曲もたくさんあったし。

が、「裸足の季節」と同じ人だと知ったときに、ちょっとずつ印象が変わってきました。「この人、いい曲を歌っているな。」

テレビでの歌は、バックバンドに合わせて歌うし、途中を省略したりします。ラジオを聴くようになって、私はそれらの曲の、本来の姿を知りました。聖子さんの曲が、「何となくいいなあ」と感じるようになったのは、今から考えれば、間違いなく、そのサウンド作りによるものだったと思います。

その印象を決定付けたものが、3曲目、「風は秋色」でした。

現在に至るまで、松田聖子さんの最高傑作と信じて疑わないこの曲に、私は15歳という一番多感なときに出会ってしまいました。
ランキング番組に、組織票なるものがそれほど定着していなかったこの時代、初登場4位というのにも驚きました(もちろん次の週には1位)が、何よりも、このサウンドのグルーブ感と美しさ、歌声の伸びやかさ、パワー。

「裸足の季節」に引き続き、資生堂エクボのCMソングに採用されたこの「風は秋色」は、当時世間からは、「メロディーが青い珊瑚礁とそっくり。」と、今ひとつ評判はよろしくなかったようです。さらに、発売後しばらくして聖子さんは体調を崩して、しばらくテレビ出演を休んでいました。そんなこともあって、テレビで、ランキングされていた当時にこの曲を聴いた人も少ないと思います。

聖子さんが、最もテレビで歌っていない曲かもしれません。

しかし、ミリオンに迫るシングルの売り上げから考えても、質の高い曲であったことが証明されています。

この曲を耳にした私は、3つのことで衝撃を受けました。
①「泣き虫なのはあなたのせいよ」
②間奏の美しさ
③最後に転調

…ちょっと長くなったので、これらについては、次回述べます。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松田聖子さん2~1980年へ~

2007-03-28 21:24:23 | 音楽
初めて、自分自身で「この人は歌がうまいんだなあ」と思った女性歌手は、岩崎宏美さんでした。歌のうまい人は、実際にはたくさんいたと思うのですが、私が、「この人は歌がうまいのかどうか」を判定した基準は、年末の賞レースでの歌い方でした。(ばかですね)

つまり、かわいいだけの女の子は、新人賞などの賞を取ると、泣いてしまって歌にならない。そういうときでも最後まで歌いきる人こそ、本当に歌を大事にしている人だと。

バカな判断基準ですが、小学生なりには、よく考えたと私は昔の自分の頭をなでてやりたい。で、その基準を満たした方が、岩崎さんだったのです。今聴いても、デビュー当時の岩崎さんの声は、神がかり的にさわやか。

そういう意味で言えば、1980年にデビューした聖子さんなど、不合格のきわみのような人だったはずなのです。大体、「ぶりっ子」などという言葉を作り出す元になったぐらいの人ですから。

そんな私がなぜ一時期聖子さんに走ったか。それは、じわりじわりでありました。
入り口は、やっぱり「資生堂エクボ」CMでした。(同世代なら、誰でも知っている)ご多聞にもれず、私も、あの画像に出てくる女の子(山田由紀子さん)が歌っているものだと思っていました。

「いい歌だなあ」と思ってしまったのですね。

また、自分も年齢的に、ちょっとませてきたし、ザ、ベストテンだけが歌謡曲ランキング番組だと思っていた私が、ラジオを聴くようになり、自分が何となく気に入っている曲がこぞって上位にいることをはじめて知った時期でもありました。

歌謡曲と言うものは、世間で勝手に決まってくる上位ランクの曲を受動的に聴くものだと思っていたのに、実は、自分たちのリクエストなどによって、好きな曲を上位にすることができる。すなわち、私たちの世代が主役となって、流行の音楽を決めていくことができるのだと知った頃でした。

「裸足の季節」は、何となく心に残る歌でした。が、この人が、このあと「青い珊瑚礁」でビッグヒットを飛ばし、歴史に名高い「涙のない泣き顔」で「おかーーさーーん」と電話して、まともに歌わなかった松田聖子さんという人であることとは、まだつながっていませんでした。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寄り道!植木等さん哀悼

2007-03-28 06:26:35 | 音楽
全国、今頃同じことについて書き込みをしている人は相当いるとは思うのですが、今日はどうしても書かずにはいられない気分になりました。

植木等さんがお亡くなりになりました。

ギタリストにして、クルーナー唱法のボーカリスト。
本格派のようでいて、どこかがちょっととぼけた声。

クレイジーキャッツ全盛時代を体験していない私にとって、植木さんがどれほどのヒーロー性を発揮していたかは想像もできないことではありますが、本人の普段の生活や性格と、舞台、テレビ、映画で繰り広げられる「無責任男」とのギャップが、これほどまでに激しい人も珍しいでしょう。でも後年、国民は、このギャップをも飲み込んで、植木等という人が大好きになっていったのだと思います。

自ら企画した「スーダラ伝説」が空前のヒットとなったのが平成の始めごろ。その年の紅白歌合戦で最高視聴率を稼いだそうです。この時の相手、紅組がB.B.クイーンズの「踊るポンポコリン」だったことも、よく覚えています。

この勢いで、既に60歳を越していた植木さんがワンマンライブをしているところの映像を見たことがあります。楽しさと暖かさが伝わってくるライブでした。小林信彦さんの本によると、このライブの大成功のあと、プロダクションの方からねぎらいの言葉をいただくと、
「お、じゃ、まだ営業、いけますかね?」とうそぶいて、例の高笑いをされたといいます。でもそのあと、奥さんにこっそりと、
「これでもう、死んでもいい…」とぽつりとこぼされたそうです。どちらも本物の植木さんの姿ですね。

こんなところで語るにはあまりにも不用意なので、伝えることができないのが残念なのですが、この時のライブこそが、ミュージシャン植木等が一番やりたかったことだったのではないか、と私などは考えてしまうのです。

あれだけの人だから、芸能人としてのスランプ、停滞期など全くなかったかのような錯覚をしてしまうのですが、実際にはかなり波乱万丈だったようだし、そういえば、と思い当たるふしもあるし、何より、ご本人が本当にやりたかったことができた時期というのは、それほどはなかったのかもしれません。

しかし、画面に出てくるだけで、何となくこちらの表情がゆるんでしまう、オーラと存在感。出てくると、見てしまうという吸引力。私たちは、植木さんの出る番組にどれだけ力を与えられたかわかりません。当たり前のことなのに、この人が亡くなるということは、想像することすらできませんでした。今はただ、ご冥福をお祈りするだけです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松田聖子さん1~またのめりこんでしまうのか?聖子さん以前~

2007-03-25 21:51:48 | 音楽
「君が代」でだいぶ疲れましたので、しばらく軽くいこうと思っているのですが、「松田聖子」という単語を自分で書いた瞬間、また悪い虫が出てきそうで、ちょっと困っております。

こんなところでカミングアウトするのも何ですが、口にするのもこっ恥ずかしい私のいくつかの思い出の中に、松田聖子さんは何度か出てきます。その筆頭として、私が生涯に、「ファンレター」というものを送った3人の中の一人が、聖子さんでした。

送ったのが確か1983年頃でしたから、聖子さんはバリバリのアイドル最高潮の時期です。私も自分自身、アイドルと呼ばれる人にファンレターを出すような人間だとは思っておりませんでした。しかし当時の私にとって、彼女から与えられたカルチャーショックはあまりにも大きかったのです。

それほど、一時期の私は、聖子さんにのめりこんでいたのかもしれません。しかし私の場合、そののめりこむべき入り口が、他の人とちょっとだけ違っていたのかもしれません。もともと私は、アイドルと言われる女の人たちを、あまり好きではなかった経緯があるのです。

小学校に上がる前から、私の中には妙な自負がありました。自分は音楽好きである、と。そして、私の父には、もっと大変な自負がありました。俺は音楽を聴く耳だけは確かである、と。
昭和40年代です。
歌唱力以上に、ルックスがもてはやされ始めた時代です。父はそこを見逃しませんでした。(そういう意味では、確かに、父はものを見抜くことを私に教えてくれた最初の「師」でしたな。)「ええか、あんな娘たちの歌は、歌じゃない。とにかく下手だ。」「うまい歌を聴こうと思ったら、まずは東海林太郎。次に藤山一郎、岡晴夫。女だったら奈良光枝で、次が菊池章子。ひばりは、世間では騒ぐけど、どうかなあ。今だったら、若いけど、森昌子がようやく許せる程度かな。」

ちょっと偏っているような気もしますが、あのころから30年以上を経た今、父の審美眼はそれほど狂っていないと言えそうです。そこまで耳の育っていなかった私は、「とりあえずアイドルの女の子は、歌はうまくない。」というステレオタイプだけが植えつけられました。

それほどませていなかったので、彼女たちのかわいさや美しさに気づくはずもなく、私も生意気にも、「歌が下手だからだめだよ。」などとほざいておりました。

聖子さんの音楽と出会う以前の話でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする