前回の投稿が終わってすぐ、この事件について家族に聞いてみました。
すると、
「あんたみたいな特別な見方をする人はまずいないよ」
と言われました。
家族は、今回の佐野氏のパクりぶり、謝罪のないふてぶてしい態度に怒り心頭のようです。
本来の論点は、「東京オリンピックのエンブレムに盗作の疑いがあるかどうか」のはずです。
しかし、記事やネットの話題は、ことごとく「佐野氏の過去のパクりぶり」「余罪はどうか」「これもあやしい」「こんなにもかせいでいる」「なんか、偉い人らしい」「この人、どういう人格なの?」「なんかいろんな画像ネットで拾っては、そのまま貼り付けているのが常習化している」云々…
ものすごいなんて生易しいものではない
・今までこうしたエンブレムで、問題になったことはない
・論点は、あのエンブレムだけのはずではなかったのか
など話してみたのですが、全く取り合ってくれません。
「大体あんなにひどい人が」というレッテルが作られてしまって以来、全ての言葉が通じません。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9057147.html
では、「いじめなのかもしれませんが、パクりではないのか、と問われているのに否定しているから、こんなことになったのだ」
という回答がありました
これこそ、「いじめられるものにも原因がある」でしょう
その通りです。原因があることは非常によくわかります。
しかし日本では、堂々と、「いじめられるものにも原因がある、は通らない」と言っているじゃないですか
完全に論破されましたね
いじめは、いじめるほうが100パーセント悪い などとは、嘘も大嘘、日本人の誰一人、そんなこと考えている人などいないということです。
こんな私たちに、いじめ撲滅、などと言えるわけがありません
だから言っているのです。日本は、壮大な、世界に冠たるいじめ大国であると
この点について頭が「バカの壁」状態になっている私たちが、いじめ問題の根幹に迫れるはずがない
文部科学省がどれだけ躍起になったところで、学校がどれだけ活動したところで、いじめが撲滅できるはずがないのです。
焼け石、じゃなかった、太陽の表面に水、です。
マスコミも、この問題を報じる際、面白おかしくよくもあそこまで本来の論点でないところで集団で追い込んだものだ。
オウムを追い込んだ時とは、まったく状況が違うのですから
今回は、エンブレムの問題ではなく、明らかに佐野氏という一人の人物への糾弾に終始しました。
もしもそれをするのならば、エンブレムの問題に結論を出してからするべきです。
今回は、「佐野氏がこういう人物だから、その人がクローズアップされるようなデザインは認められない」
という結論になったと、おそらく誰もが思っています。
ずいぶん、世界に恥ずかしい結論だと、私は思っています。
すると、
「あんたみたいな特別な見方をする人はまずいないよ」
と言われました。
家族は、今回の佐野氏のパクりぶり、謝罪のないふてぶてしい態度に怒り心頭のようです。
本来の論点は、「東京オリンピックのエンブレムに盗作の疑いがあるかどうか」のはずです。
しかし、記事やネットの話題は、ことごとく「佐野氏の過去のパクりぶり」「余罪はどうか」「これもあやしい」「こんなにもかせいでいる」「なんか、偉い人らしい」「この人、どういう人格なの?」「なんかいろんな画像ネットで拾っては、そのまま貼り付けているのが常習化している」云々…
ものすごいなんて生易しいものではない
・今までこうしたエンブレムで、問題になったことはない
・論点は、あのエンブレムだけのはずではなかったのか
など話してみたのですが、全く取り合ってくれません。
「大体あんなにひどい人が」というレッテルが作られてしまって以来、全ての言葉が通じません。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9057147.html
では、「いじめなのかもしれませんが、パクりではないのか、と問われているのに否定しているから、こんなことになったのだ」
という回答がありました
これこそ、「いじめられるものにも原因がある」でしょう
その通りです。原因があることは非常によくわかります。
しかし日本では、堂々と、「いじめられるものにも原因がある、は通らない」と言っているじゃないですか
完全に論破されましたね
いじめは、いじめるほうが100パーセント悪い などとは、嘘も大嘘、日本人の誰一人、そんなこと考えている人などいないということです。
こんな私たちに、いじめ撲滅、などと言えるわけがありません
だから言っているのです。日本は、壮大な、世界に冠たるいじめ大国であると
この点について頭が「バカの壁」状態になっている私たちが、いじめ問題の根幹に迫れるはずがない
文部科学省がどれだけ躍起になったところで、学校がどれだけ活動したところで、いじめが撲滅できるはずがないのです。
焼け石、じゃなかった、太陽の表面に水、です。
マスコミも、この問題を報じる際、面白おかしくよくもあそこまで本来の論点でないところで集団で追い込んだものだ。
オウムを追い込んだ時とは、まったく状況が違うのですから
今回は、エンブレムの問題ではなく、明らかに佐野氏という一人の人物への糾弾に終始しました。
もしもそれをするのならば、エンブレムの問題に結論を出してからするべきです。
今回は、「佐野氏がこういう人物だから、その人がクローズアップされるようなデザインは認められない」
という結論になったと、おそらく誰もが思っています。
ずいぶん、世界に恥ずかしい結論だと、私は思っています。